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市川 衛Mamoru Ichikawa

02私のインタラクティブアート事始め

インタラクティブアート黎明期

私がインタラクティブアートという芸術活動を始めたのは、実に30年以上も前のことになる。1980年代前半からインタラクティブアートというコンセプトを手探りで構想していたが、最初の実験的な試みとして企画・開催したのが1986年5月に東京の吉祥寺で行われた『インタラクティブアートの世界 〜テクノロジーと芸術の織りなす環境美〜』という展覧会であった。

当時はインタラクティブアートという言葉自体が未だ世の中に存在していなかったので、私は自分が構想した独自のアートの呼称としてインタラクティブアートという言葉を提案したのであった。その構想に共鳴してくれた友人とともに企画を進め、4名の現代美術家の協力を得て実現したのが『インタラクティブアートの世界』展であった。

会場の空間には現代美術家の手による現代絵画・抽象オブジェ・幻想的装飾品など30点あまりの作品が渾然一体に配置され、その中にセンサーを4個配置して鑑賞者の動きを捉えるようにした。私が作曲した環境音楽がコンピュータでリアルタイムに再生されて会場を包み込むように流れる中で、2個のセンサーの情報によってその音楽の表情や音量が変わるようにし、別の2個のセンサーはレーザーディスクをコントロールして鳥のさえずりのような環境音とその映像が会場に流れるようにした。また、時々シンセサイザーを演奏して環境に参加したりもした。ちなみに使用したコンピュータは8ビットのMSXパソコン2台で、プログラムの記録メディアはテープレコーダ(音声記録)であった。初期の実験的な要素が多い展覧会であったが、インタラクティブアートというものに真剣に向き合う最初の実践により多くのヒントが得られた。

1980年代といえば8ビットや16ビットのDOSパソコンが普及していく時代であったが、私が当時の最先端のインタラクティブやマルチメディアの文化に触れ、インタラクティブアートという独自の芸術概念に到達できたのは、1979年に入社し約5年間従事していたパイオニアで当時最先端の映像メディアであったレーザーディスクの開発やソフト開発に携わったことと、それが後に最先端のAppleのインタラクティブ・マルチメディアの世界にいち早く触れる仕事につながり、様々なイマジネーションを持ち得たからだ。ちなみに民生用レーザーディスクが日本で発売されたのは1980年で、CDが発売された1982年よりも早い時期である。

京都大学の理学部物理学出身ということからパイオニアに入社して最初の一年半は所沢工場でレーザーディスクプレーヤの半導体レーザーピックアップの開発に携わっていた。その後パイオニアLDCというレーザーディスクの映像ソフト制作会社が目黒にでき、映像ソフト制作の仕事に携わるようになった。しばらくしてレーザーディスクと連動したMSXパソコンを開発・販売するという企画がもちあがり、ゲームプロジェクトというプロジェクトチームが発足しそれに参加することになり、最新のインタクティブコンテンツ制作に携わるという貴重な経験をすることができた。

PX-7 Palcom

ゲームプロジェクトではソフト側の立場からレーザーディスクという最新の映像メディアをコンピュータと結びつけた世界の可能性をまず研究した。その成果はレーザーディスクゲームという形の商品開発に生かされ、PX-7 Palcomというレーザーディスクとの連動を可能にしたパイオニア製MSXパソコンと、レーザーディスクタイトルの制作・販売に結びついた。

インタラクティブアート宣言

パイオニア退社後はフリーランスでインタラクティブなコンテンツ制作に携わっていたが、インタクティブがアートとして表現できるのではないかと考え実験として企画したのが先に紹介した『インタラクティブアートの世界』展であった。「インタラクティブとは何なのか、その可能性や本質はどこにあるのか」という問いをさらに深めていくきっかけとなったのは、先進的なコンピュータの思想や文化を持っていたAppleのMacintoshとの出会いであった。

GUIでグラフィック・サウンド・アニメーションなどが操ることができるマルチメディアという概念は現在では当たり前すぎてすっかり死語のように使われなくなってしまったが、当時Appleはインタラクティブ・マルチメディアという理念を強く押し出しており、マルチメディアをインタラクティブに統合できるHyperCardという強力なハイパーメディアツールを提供することで、コンピュータの世界に革新をもたらしていた。人間の創造性にコンピュータがいかに本質的に関わりうるかがテーマであったと記憶する。

1987年に発売されたMacintosh IIやMacintosh SEなどでレーザーディスクと連動するハイパーカードの先端的なコンテンツの企画・開発に携わる中で、インタラクティブの本質が自分なりに深く見えてくるようになっていった。そしてまだ誰も世界でインタラクティブアートというものを実践していないのならば自分が世界でただ一人でもインタラクティブアートをやってくのだという決意を固めて私の芸術家としての人生はスタートした。そしてインタラクティブインスタレーションの処女作というべきHyperKeyboardという作品を1989年に発表し、独自のインタラクティブアート理論も1994年に「インタラクティブアート宣言」というHyperCardの電子書籍で自費出版していった。

周囲の数少ない理解者からは私のやろうとしているコンセプトは30年早いなどと言われたりしていたが、私がインタラクティブアートを初めて構想してからちょうど30年ほどたった2016年現在、インタラクティブアートは一般人にも広く知られる存在となり、商業的な展開も盛んに行われるなど本当の話になり、実に隔世の感を感じる。

2017年度にはそのようなタイムリーな時期に大阪芸術大学でアートサイエンス学科が新設されるが、この好機にメンバーとして参加出来ることは嬉しい限りである。30年の経験を生かして新たなフェーズのインタラクティブアートに果敢に挑戦する決意と、アートサイエンス学科を素晴らしい学科に育てていきたいという情熱で心を燃やしているこの頃である。

参考URL: 「インタラクティブアートの世界」(1986)|市川衛のインタラクティブアート

 

市川 衛/いちかわ まもる

WRITER

市川 衛/いちかわ まもる
1955年静岡県生まれ。インタラクティブアーティスト。京都大学卒業。インタラクティブアートを中心に、映像表現、メディアパフォーマンス、アプリケーション開発、デジタルコンテンツ制作、即興演奏を主とする音楽表現、造形インタラクティブ、童話創作など活動は多岐にわたる。自由な発想と創造力でデジタルとアナログの垣根を超えた多領域の表現活動を行う。

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