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未来の神話をつくる人々

2019.10.08

『プラータナー:憑依のポートレート』から考える、西洋文化に忖度しないアティチュード

岡田利規(チェルフィッチュ)×塚原悠也(contact Gonzo)×中村茜

タイの現代小説を原作に、チェルフィッチュ主宰の岡田利規がオリジナル脚本の執筆と演出を担当し、全編タイ人の役者によって演じられた4時間の演劇『プラータナー:憑依のポートレート』。昨年のタイでの初演、パリ公演を経て、今年6月末に行なわれた東京公演では、タイに住む芸術家カオシンの半生とタイの現代史が重ね合わされた物語を、「我がごと」として受け止める多くの観客たちの姿があった。この画期的な国際共同制作に込められた思いとその成功の理由を、岡田とセノグラフィー・振付を担当した塚原悠也(contact Gonzo)、統括プロデューサーを務めた中村茜が語った。インタビュアーはBound Baw編集長の塚田有那。

岡田利規(脚本・演出)

1973年横浜市生まれ、熊本在住。演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰。活動は従来の演劇の概念を覆すとみなされ国内外で注目される。2005年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。同年7月『クーラー』で「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005ー次代を担う振付家の発掘ー」最終選考会に出場。2007年デビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を新潮社より発表し、翌年第二回大江健三郎賞受賞。2012年より、岸田國士戯曲賞の審査員を務める。2013年には初の演劇論集『遡行 変形していくための演劇論』、2014年には戯曲集『現在地』を河出書房新社より刊行。2016年よりドイツ有数の公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレ(ドイツ)のレパートリー作品の演出を4シーズンにわたって務めている。

塚原悠也(セノグラフィー・振付)

1979年京都生まれ、大阪在住。2004年関西学院大学文学研究科美学専攻修了。2006年にダンサーの垣尾優と共に「contact Gonzo」を大阪にて結成。公園や街中で「痛みの哲学、接触の技法」を謳う、殴り合いのようにも見える即興的な身体の接触を開始。個人名義の活動としては、2014年にNPO法人DANCE BOXの「アジア・コンテンポラリー・ダンスフェスティバル 神戸」や、東京都現代美術館の「新たな系譜学をもとめて 跳躍/痕跡/身体」展などでパフォーマンス・プログラムのディレクションを行う。また2014年より丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて始まったパフォーマンス企画「PLAY」にて『ヌカムリ・ジャミポス3部作』と名付けたパフォーマンス作品を3年連続発表。2011年〜2018年、セゾン文化財団フェロー助成対象アーティスト。2020年よりKYOTO EXPERIMENT共同プログラムディレクター。

中村茜(統括プロデューサー)

1979年東京生まれ。日本大学芸術学部在籍中より舞台芸術に関わる。2006年株式会社プリコ グを立ち上げ、08年より同社代表取締役。チェルフィッチュ・岡田利規、ニブロール・矢内原美邦、飴屋法水などの国内外の活動をプロデュース、海外ツアーや国際共同製作の実績は30カ国70都市におよぶ。2009年NPO法人ドリフターズ・インターナショナルを、金森香(企画・PR・プロデュース)と藤原徹平(建築家)と共に設立。そのほか、『国東半島アートプロジェクト2012』『国東半島芸術祭2014』パフォーマンスプログラムディレクター、2018年よりアジアを旅するエクスチェンジ・プ ラットフォーム「Jejak-旅 Tabi Exchange : Wandering Asian Contemporary Performance」の共同キュレーター等を歴任。2016〜17年、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の支援を受けバンコク(タイ)に18ヶ月、ニューヨ ーク(アメリカ)で6ヶ月研修。2011〜2015年、日本大学芸術学部演劇学科 非常勤講師。舞台制作者オープンネットワークON-PAM理事。

観客席で「あなた」に「憑依」する

Bound Baw 塚田有那(以下、塚田):『プラータナー:憑依のポートレート』(以下、『プラータナー』)を観劇しまして、とても濃厚な4時間の体験でした。最初に岡田さんにお聞きしたいのは、「Silhouette of Desire(欲望のシルエット)」という原作小説(ウティット・ヘーマムーン著『プラータナー: 憑依のポートレート』福冨渉訳/河出書房新社)のタイトル[注:タイ語の原題からの英訳]に対して、舞台では「憑依のポートレート」という副題をつけられたのにはどんな意図があったのでしょうか。

岡田利規(以下、岡田):あの、小説の主人公の名前のカオシンというのが、タイ語で「憑依」という意味で、単純にそれだけなんです(笑)。でも、演劇というのはある役者がある役柄を演じるということですから、『プラータナー』に限ったことではなく、演劇自体がそもそも憑依だとも言えますよね。

塚田:今回の舞台が印象的だったのは、カオシンという人物が、「あなた」として語られていくことで、カオシンが誰かわからないような状況が舞台上で起きていたことです。

岡田:そもそも演劇なり、フィクションなりを見る際、フィクションそのものにも機能があり、そのフィクションの中のキャラクターにも機能があります。もちろん機能だけに収れんさせてもいけませんが、今回僕が演劇版の『プラータナー』でやりたかったのは、「主人公であるカオシンというキャラクターは、どこかの他人ではなくて、あなたのことですよ」と伝えることでした。つまりカオシンが「あなた」と呼ばれるのは、まさに観ているあなた(観客)のことだからです。ただ、舞台上で「あなた」という人称が発せられたときに、観客が「あ、私のことだ」と思わずに、舞台上に「あなた」と呼ばれている別の対象がいると思うということが結構起きて、「あなた」が自分のことだと分かるのに時間がかかったという人が多かったのは、僕にとって逆に意外なことでした。

塚田:カオシンが「あなた(=観客=自分)」である一方、カオシンが複数の役者によって演じられることで、カオシン自身も常に何ものかに憑依されている人間というようにも感じました。もしくは逆にカオシンという存在が他の人間にも憑依していくゴーストのような、すごく象徴的な存在として描かれていたなと。

岡田:ウティット[注:原作小説の著者]が、小説の主人公をカオシンと名付けたのは、もちろん何らかの理由があってのことだと思います。ですが、それを上演化するとき、主人公の名前が「憑依」を意味することと、色んな役者が取っかえ引っかえにカオシンを演じるという演出プランにしたことは僕の中では別で、さほど結びついてはいません。

一方で、あれだけ複数の役者が同じキャラクターを演じれば、より「憑依」という演劇本来の機能が際立つことも確かです。だから、そのふたつの意味での憑依が偶然重なり合うことで、ちょっと面白いことが起こったんだと思います。ただ、舞台化する上で僕が核にしたことは、「あなたがカオシンだ」ということをはっきりさせることです。

時おり、ハンディカムで舞台上にいる役者たちの姿をリアルタイムで投影していく。誰が主役か、人物の視点がまぜこぜになる不可思議な空間が生まれていた
Photo: 松見拓也
「私の物語」として受けとめる想像力

塚田:この作品は、タイの政治的な状況や歴史にまつわる話が、主人公の生い立ちとクロスオーバーしていくのが特徴ですが、はじめは社会的背景を知らないと理解できないように感じるところもありました。ただ観ていくと、タイの社会状況に詳しくなくても、共通するものがあることに気が付きます。

岡田:ひとつには、そう感じる知性を我々は持っていた方がいいと、僕が個人的に思っているということがあります。言い換えれば、そうした(他国の社会で起きた物語にも共通項を見出す)想像力を持たずにはいられない社会的な状況が今ありますよね。これまでは「タイのことはよく分かりません」で終わりにできたかもしれないけど、「いや、もうそういう状況じゃないでしょ?」っていうことです。

塚田:それは、日本にいる移民でも、アフリカのどこかの内戦でも、よく知らない遠いどこかのこととして切り離すのではなく、今回だったらカオシンという一人の存在が観ている自分のことであると思い描けるような想像力という意味でしょうか。

岡田:そうです。そしてそれは、フィクションというものがもっている、あまりにも当然の機能なはずです。

Photo: 松見拓也

塚田:その想像力の機能がいま必要とされてきた背景はどこにあるのでしょうか。

岡田:個人的な経験でいうと、例えば東日本大震災が起きて、単にそれが自然災害だけの話には終わらず、もっと大きな、より深刻なものの方への端緒になったという意味も含めて、ものすごく大きな出来事だったと思っています。冷戦時代の共産圏、例えばチェコスロバキアで書かれたミラン・クンデラの『冗談』のような文学作品を20年以上前に読んだときは、「ああ、共産国ってこんなに大変なんだ。検閲とか」って、他人事だと思っていました。我々はこうじゃないところに暮らしていてラッキー、みたいなね。だけれども今読み直すと、「あ、オレたちの話だ」って思うわけです。こういうことって、すごく起こりやすくなっていると思うんですね。

塚田:そういった想像力をかき立てるような舞台空間を、『プラータナー』ではつくられたということですね。

岡田:はい。そして僕がすごく嬉しかったのは、東京の観客は、僕が期待していた以上に、その想像力をちゃんと持っていたことです。我々が「これはあなたの物語ですよ」というふうに届けようとしたものが、「これは私の物語だ」と受けとめてくれたと感じられました。そのことには、僕は安心しました。

フィクション性を際立たせる舞台構造

塚田:『プラータナー』でセノグラフィー・振付を担当された塚原さんには、中村さんから依頼があったということですが、今回の岡田さんと塚原さんのコラボレーションには、どのような意図があったのでしょうか。

中村茜(以下、中村):塚原さんには、岡田さんが物語に向かうアプローチを根底から揺るがすような、空間的かつ身体的な意味で物語を脱構築していく役割を期待しました。岡田さん自身、いつも物語をそのまま具象的に表現するアーティストではないものの、今回はとても具体的なイメージを喚起させる物語を舞台化させる必要があり、20年というスケール感のある原作の話をどう見せるか。

例えばセックスシーンひとつとっても、その裏側に隠れた文脈や存在の気配をどう感じさせるか、ある種の抽象性や見えてないものを見せる力が必要でした。そういった点で、2018年の1月に塚原さんが振付けした作品(『ダンスボックス・ソロシリーズvol.2 寺田みさこ「三部作」』)を観たとき、非常にマッチする手法だなと感じて、塚原さんにお願いできればと思いました。

塚原悠也(以下、塚原):最初に『プラータナー』の話をいただいた時点では、まずウティットの小説が6章に分かれているので、代表的なシーンに応じて全く異なるインスタレーション空間を6つ作ろうと考えました。それから、寺田さんの作品でも使用したベルトコンベアを今回も取り入れようとは最初から思っていました。

塚田:あの手動ベルトコンベアは面白かったですね。

塚原:ある種の偶然が取りこめるような装置として、ベルトコンベアから物が落ちたり、コンベアを上から捉えたカメラに何かが写ったり、意味が発生するタイミングや方向性が僕の意図を離れるような方向で考えました。完全に放棄するわけではないけど、どうなってしまうか分からない感じを利用しようとしました。

contactGoznzoの塚原悠也自身が舞台上に上がり、役者たちと身体を折り重ねていく
Photo: 高野ユリカ(上)松見拓也(下)

塚田:岡田さんが、塚原さんの参加で期待していたことは何でしょうか。

岡田:中村さんから小説の内容を聞いた段階で、面白いと思った反面、すごく性的な描写が多い作品なので、そうした行為をどう舞台で表現したらいいのか悩んでもいました。そのあたりも塚原さんがセノグラフィーで関わってくれるなら何かアイデアがあるかもしれないなと。

塚田:もうひとつ美術的な演出でいうと、スタッフが役者たちと同じ舞台上の空間にいたのも『プラータナー』の大きな特徴だったと思います。

塚原:いろんな理由があるんですけど、ひとつには、スタッフワークをすべて見せることによって、舞台上で表現しようとしているものをよりあらわに見せることができるんじゃないかと思ったからです。なぜ演技をするのか、人間の行為そのものを見せられるというか。

岡田: そこはすごくうまくいきましたよね。いちばん分かりやすかったのはキスシーン。つまり、役者たちが2人でキスするとき、当たり前ですけど、本当に彼らがしたいからではなく、観客に見せるためにキスをするわけですよね。それを、他の観客役の役者やスタッフたちの中でやると、そのフィクション性が際立ってきて、むしろその機能や効果が強調されてくる。結果としてエモーショナルな部分が一層浮かび上がるんです。そこが演劇のとても面白いところで、だから、キスしたりセックスしたりっていうことがたくさん起こる物語が、ああいう形で上演されたのはすごくよかった。『プラータナー』成功の要因のひとつだったと思います。

スタッフの現場があらわになった舞台袖で、役者たちがキスをするシーン
Photo: 松見拓也
「制度」に忖度しないアティテュード

中村:塚原さんって、潜在的にコラボレーションの嗅覚がすごく強い人だと思っていて、対する岡田さんは、もっとマイウェイな人(笑)。岡田さんが直線的に物語を見ていて、まっすぐに伸びていく木だとしたら、塚原さんは枝葉みたいに分かれて、それらをつないでいく人。今回は、その2人の創作に対する本質的なアプローチの違いが相互に補強し合って、コラボレーションがうまく機能したと思います。

塚原:この『プラータナー』という作品自体、東南アジアの国から西洋のアートの状況をどう学べるかという態度がひとつのテーマになっていますよね。そこは日本ともすごく関わりのあることだと思っていて。要するに、僕が大学で美学や美術史を習っていた時代は、明らかに先生たちがヨーロッパやアメリカは先に進んでいると断言する世界で、向こうに行って学んで持ち帰り、その国の中ではちょっと新しいことができた。でも今回はそうではなく、日本とタイで作ったものが新しいと評価されるかどうか、そうした意識を持ちながら遊んでみようと思いました。

その中でも、役者たちにはパフォーマンスをせずとも舞台上にいるとき、できるだけ「アロガント(arrogant)に」と伝えていました。そこでいうアロガンス(傲慢/横柄/尊大)とは、舞台上で自由気ままにふるまうというよりは、コンテクストやルールに対して忖度しない態度のことです。そういうアロガンスな態度こそがセノグラフィーだと。

岡田:ああ、「態度」が重要だって塚原さん言ってましたね。

塚田:面白いですね。忖度しないアティテュードを舞台上で見せることが、今までの対西洋文化ではなく、アジアから新しいことを打ち出していくことに関係してくるということですか?

塚原:基本的にはそうです。ただ、僕も当然、西洋のコンテクストに影響されているし、そこから多くを学んでいるという事実は変わらないわけで。でも、その仕組みを、リバースエンジニアリングみたいなことをして、勝手に自分たちでいろいろと、例えば彼らが予想しなかった動きをつくる。そういう遊びが面白いなと思っています。

塚田:岡田さんは、西洋文化に対してどのような意識がありましたか?

岡田:まず大前提として、自分がチェルフィッチュというカンパニーでヨーロッパで公演を重ねてきたこの10年程の活動の中でも、西洋に対して何が打ち出せるかということは常に意識してきました。僕にとっては、その延長線上に今回のクリエイションがあったというのはかなり大きなことでした。『プラータナー』は、まず原作そのものが、アジアのアーティストがぶつかる葛藤を扱っているわけですよね。それに対して、「態度」という部分での表現は塚原さんがすごく入れ込んでくれていたし、それは上演全体の中でとても大きかったと思います。

また一方で、その制度に忖度しない態度が、演劇という制度の強靭さをむしろはっきりせたとも思いました。「演劇」というものは、役者が一生懸命に奉仕しないと成立しないような脆いものではなく、忖度しない態度、なかば反抗的な態度でいてもちゃんと成立する。むしろその力強さを見せつけられたと、演劇という制度側の人間としては思っています(笑)。

役者たちは思い思いに冷蔵庫からビールを取り出して飲んでいた。これも「忖度」しない態度のひとつかもしれない
Photo: 高野ユリカ
アジアで演劇は成立するか?

塚田:『プラータナー』という作品の制作期間には実質4年近くかかっていて、最初は中村さんが1年半タイに滞在してリサーチをされたと伺っています。そこから今回のようなプロダクションに至るまではどのような経緯があったのでしょうか?

中村:プロジェクトのスタート段階では、小説を原作にして演劇化することしか決まっていなかったので、まず現地のリサーチから始めました。特に国を超えたコラボレーションの際に、アーティストが必然性を感じられるかどうかは大きな課題なので、今回もそれなりの時間が必要だと思っていました。同時に、日本の作品を異国の人にやってもらうのではなく、もっと対等な関係からスタートしたい、もっといえばタイで作るならタイの物語を主役にすべきだろうと。だから、タイの物語に我々日本人が自分ごととして捉えられるかどうかについては、最初に岡田さんや塚原さんにお声がけしたときから相談しました。

岡田:そうですね。今回そこを定めることができたのは僕にとって大きかったです。つまり、タイの物語をやるけれど、僕が関わることに意味があると思いながらつくることができたということです。

塚原:僕自身は、自分の大学生活がそもそもカオシンに似ている気がしました。僕は美大出身ではないですが、大学では美学をやっていて、デカルトから始めてハイデガー、ドゥルーズまでを読むなかで、「何なのこれ?」って思うことがあって、似たようなシーンがまさに原作の小説にも出てきますよね。特に興味深かったのが、物語の最後でカオシンが西洋のアートに「何も感じない」って思うところ。それはすごく正直なことだろうし、僕もいわゆるキュレーターの作法でつくる世界観や、ヴェネチア・ビエンナーレ的なアート市場の競争なんかを理解しながらも、一方では「自分にとって何の関係があるのか?」と思ってしまう。そのことへの共感がまずありました。

Photo: 高野ユリカ

塚田:タイというフィルターが外れた状態で作品を見られていたということですね。

塚原:そうです。根本的な思想の部分ではほとんど大きな差はないなと。それと、出演していたタイのBfloorのチームとは以前contact Gonzoとしてコラボしたことがあったので、友達がたくさんいる現場に来たみたいな感覚でした。

中村:さっき演劇の「制度」の話を岡田さんがしていましたが、それは今回のようにアジアとコラボレートする上で大事なファクターだったと思います。つまり、西洋を振り返りつつアジア発のオルタナティヴを考えるプロセスでもあり、また、演劇という制度がそもそも社会にインストールされてないアジアの現状で、それでも演劇に取り組む人たちがいる。そうした状況の中で、もっと本質的に演劇の意味を考える必要があったからこそ、既存の制度にとらわれない意識を全員が自然と持てたし、観客も出演者もスタッフもみんなが参加者になるような、演劇が内包している民主的な感覚も共有できたんじゃないかと、今振り返って思います。

Photo: 高野ユリカ

岡田:うん、そうかもしれない。確かに劇場文化がインフラのように根付いている場所、例えばヨーロッパっていいなと思うわけですよ。でも『プラータナー』が上演されたときに、僕は確かに「演劇」が成立していると思ったんですね。つまり繰り返しになりますが、「これはあなたの物語だ」と届けようとして、「これは私の物語だ」と観客が思えたんじゃないかという意味で。東京公演でもその手応えは強くありました。だとすると、劇場文化はインフラというより下駄みたいなものかもしれなくて、もちろん下駄を履いた方が楽だけど、履かなくても頑張ればやれるし、実際、『プラータナー』は下駄を履かずにも成立できた作品のように思います。

中村:演劇ってアナログで、人と人とのコミュニケーションありきだから、アルゴリズムでは捉えられないメディアじゃないですか。現在のインターネット社会、エンターテインメントが個々人のデバイスの中に詰まった状況の中で、劇場へ足を運んでもらうハードルは高くなっていると思います。でも、情報過多の環境に辟易している人たちもいるはずで、彼らにもっと自分がジャンプできるような、または出会ったことのない感覚に出会える場所として、演劇という箱に期待してほしいと思っています。そうした観客をどうすればさらに増やせるかについても、今回の『プラータナー』プロジェクトのテーマのひとつでした。上演時間は4時間と長いし、アジアだし、国際コラボレーションということで、『プラータナー』は三重苦と言われもしましたが(笑)、結果的にはたくさんのお客さんが観に来てくれたのは、とても嬉しかったです。

塚田:YouTubeで何でも見れる、データで見た気になるという時代において、中途半端なユーザビリティを意識するよりも、今回のように4時間あるとか、説明するのが大変とか、ある種のフォーマットを振り切るようなものを求める流れもあるんじゃないでしょうか。もっと何か自分が壊されるかもしれないようなところに、人は期待する時代になっていくのではないかなと、期待値も込めてですが思います。今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。 

CREDIT

Kobayashi
TEXT BY EIJI KOBAYASHI
編集者・ライター。各種媒体で映画、アート、文学などのインタビュー記事を執筆する他、下北沢の本屋B&Bのイベント企画も手がける。編集した本にOpen Reel Ensemble『回典』(学研)、デイヴィッド・トゥープ『フラッター・エコー 音の中に生きる』(DU BOOKS)、インタビューを担当した『コーヒーの人』『パンの人』(フィルムアート社)など。リトルプレス『なnD』編集人。

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