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未来の神話をつくる人々

2017.08.18

デビッド・オライリー最新作、生命の本質にアクセスする環世界ゲーム《Everything》ドミニク・チェン対談

デビッド・オライリー(アーティスト)×ドミニク・チェン(情報学研究者)

斬新なCGアニメーションでCG表現の常識を覆し、一躍世界的な注目を集めたデビッド・オライリーが数年前からゲーム制作を開始した。そして今春にリリースされたゲーム《Everything》は、「この世界のあらゆるものの視点で世界を見る」という哲学的なテーマを掲げ、ゲームを新たな芸術表現メディアへとアップデートした傑作として国際的な賞を総嘗めにしている。ゲームというメディアを通して、「生命そのもの」を表現したかったと語るオライリーに、情報学研究者ドミニク・チェンが迫る。

Photo by Cherin Choi

デビッド・オライリー

1985年、アイルランド、キルケニー生まれ。斬新なスタイルのCGアニメーション制作を続け、2009年、アニメーションの伝統であるネコとネズミの関係性を現代性豊かにアップデートした『プリーズ・セイ・サムシング』はベルリン国際映画祭短編部門のグランプリを皮切りに、世界各地のアニメーション映画祭で賞を総嘗めにする。スパイク・ジョーンズ監督『her』で主人公セオドアがプレイするゲーム画面をデザインしたことで更なる注目を集め、2015年に”山を眺め続ける”ことを主題としたゲーム作品《Mountain》を発表。その後、今年4月にリリースされた《Everything》は絶大な評価を受け、現在までで20以上の賞を受賞している。

写真:荻原楽太郎

ドミニク・チェン

博士(学際情報学)、早稲田大学准教授。クリエイティブ・コモンズ・ジャパン理事、株式会社ディヴィデュアル共同創業者。IPA未踏IT人材育成プログラム・スーパークリエイター認定。2016年度、2017年度グッドデザイン賞・審査員兼フォーカスイシューディレクター。近著に『謎床:思考が発酵する編集術』(晶文社、松岡正剛との共著)。訳書に『ウェルビーイングの設計論:人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社、渡邊淳司との共同監修)など。

 

すべてのものに“憑依”するゲーム
対談は東京とロサンゼルス、Skypeにて

ドミニク・チェン(以下ドミニク):はじめまして、ドミニク・チェンと申します。まずは、新作《Everything》がアルスエレクトロニカの大賞ゴールデン・ニカを受賞されたとのこと、おめでとうございます(註:取材は6月発表直後)。

デビッド・オライリー(以下デビッド):ありがとう。このゲーム、日本でのPRはほとんどしていないんだけど、ぼくは日本が大好きなんですよ、いますぐ住みたいくらい。こうした日本のメディアのインタビューは本当に光栄です。

David O'Reilly 《Everything》トレーラー
ナレーションはイギリスの哲学者アラン・ワッツ。この映像は現在、ゲーム界史上初のオスカー短編アニメーション部門にノミネートされる可能性が示唆されている。

ドミニク:ぼくは子どもの頃からゲーマーなのですが、《Everything》には大きな感銘を受けました。このゲームでは、プレイヤーが素粒子から動物、植物、そして銀河系まで、文字通り”everything”———あらゆるものに変身し、それぞれの視点を獲得できますよね。この体験は、日本でいう「憑依」を連想させます。憑依とは幽霊が人に取り憑いたり、物体に転移したりして、モノが人に話しかけてくることで、ぼくはその手の話が大好きなのですが、それと近いものをあなたの作品に感じました。

デビッド:その言葉は知らなかった、面白いですね。

 

ドミニク:それと同時に、《Everything》では、原子というミクロレベルの物質から銀河系という大きな次元までつながってしまう、そのループ構造はすばらしいアイデアだと思います。着想のきっかけはどこにあったのでしょう?

デビッド:これは今に始まった突飛なアイデアではなくて、人間とは何か、存在とは何かといった、人類が古くから考えてきたことと同種のものだと思っています。

とくにぼくは、動物・植物など生命のもつ複雑なメカニズムが好きで、人間と他の生物の間に優劣があるとは思わないんです。人間のもつ特徴のほとんどは他種にもあるし、愛情や好奇心や欲望といった“人間らしい”と表現される感情だって、他の生物の中にも存在しているはずです。この世界に存在するものにはすべて、内部に情動のようなものを抱えている。ぼくはこうした古い考えを、ビデオゲームというメディアの中でどう表現できるかを考えました。

「禅」と滑稽さの相関関係

デビッド:元々ぼくが興味あるアイデアというのは、どうにも言葉で表しにくいものなんです。たとえるなら、「禅」のようなもの。禅の哲学は「絶対的な無」にありますよね。禅の思想を軸としているからといって、言葉や坐禅、寺院や庭園のなかに禅の本質は存在しない。

ドミニク:まさか禅の話が出てくるとは!そして、仰る通りだと思います。

デビッド:つまり、ぼくがゲームのシステムを通して表現したいのは一種の「禅」なのです。それは宗教のことではなく、たとえば「神」という存在をぼくたちはどう認識しているのか、そこにどんな相互システムが働いているのかといった構造の方に興味があります。

ドミニク:禅などの仏教哲学にはどうして興味を持ったんですか?

デビッド:ぼくの作品は時々「バカバカしい」と批判されるんですが、禅にも通じるものがある気がしていて。西洋のキリスト教社会で哲学的テーマを扱うとどうしてもシリアスになりがちですが、日常に宿る滑稽さは必要なんです。偉大で神聖な司祭だって毎日トイレには行くわけで、そういった哲学と日常のコントラストを禅の思想は含んでいると思うんです。

——日本文化には以前から興味があったのでしょうか?

デビッド:デザインと建築、それに黒澤明や鈴木清順のような古い映画も大好きです。特に庭と建築の関係には興味がありますね。あのオープンな空間の使い方を見ると、西洋とは全く異なる精神性が宿っていることがわかります。ほかにも、神社への敬意、日本的な暮らしに見る心理的な特徴は、西洋とも、どのアジア諸国とも違うオリジナリティがあって、とても魅力的です。もう一度言いますが、本当に日本に住みたいんです(笑)。

環世界をシミュレーションする

ドミニク:日本移住!ぜひ可能性を探りたいですね。ちなみに、ゲームの世界には「オープンワールド」という言葉がありますよね。ゲームの中にはとても巨大な空間があって、プレイヤーはあらゆる場所を移動できるという考えですが、実際のプレイではなかなかできない。けれど《Everything》は史上初の真のオープンワールドではないかと思いました。どこか自然科学のドキュメンタリーを見ているようでもあるし、チャールズ&レイ・イームズの《Powers of Ten》も思い出しました。

チャールズ&レイ・イームズ《Powers of Ten》
チャールズ&レイ・イームズが1968年に制作した教育映画。公園に寝転がる男性を中心に、極小の素粒子から極大の宇宙まで、10分の1ずつスケールを変えて自然界を捉えていく。

デビッド:たしかに、このゲームの重要なテーマに「無限性」があります。ループを繰り返すことで、始まりも終わりもない世界へとスケールしていく。銀河と銀河のあいだを移動することもあれば、ある昆虫の目になることもある、そうした様々な世界とつながっていきます。けれどそれはオープンワールドのように1個の巨大な世界があるという発想とは別種のものなんです。

ドミニク:様々な世界が同時に存在する。それは20世紀初頭に生物学者ユクスキュルが唱えた「環世界」——ドイツ語の「Umwelt(ウムヴェルト)」を彷彿とさせますね。ぼくはいま大学で教鞭をとっているのですが、実はつい最近、「環世界」をテーマとした講義のスライドで《Everything》を紹介させてもらったんです。

参照:モノたちの「環世界」に憑依する——菅野創+やんツー《Avatars》
*ユクスキュルが「環世界」を唱えた名著『生物からみた世界』に言及。

デビッド:なるほど、Umweltですか。そもそも、人間以外の動物が話したり踊ったりするのは、アニメーションの古典ですよね。でも、科学的に生物の生態をシミュレーションしていくと、彼らがこの世界をどう認識しているかをぼくらが知るのは不可能だとわかります。

たとえば蜂の視覚は人間とは異なり、ぼくらよりも屈折した視覚で世界を見ている。しかし、どこかのサイエンスムービーが「蜂はこんな風に世界を見ています」と見せるのは馬鹿げています。蜂には固有の時間・空間感覚、温度や湿度などを感じとるセンサーがあるし、植物であれば、彼らの感じる苦痛がどんなものか、人間には想像すらできません。《Everything》はある意味「環世界」のシミュレーターと言えますが、実際の現実とはかけ離れたものでもあるしょう。

ドミニク:環世界シミュレーター、面白い表現ですね。《Everything》がさらに面白いのは、ユクスキュルの唱えた生物たちの環世界だけではなく、捨てられたタバコやブラシ、建築物といった無機物にもなれること。プレイヤーが無機物に憑依するなんて、過去にあまり例のない芸術的ジャンプだと思います。

ゲームは生命を描写するツールになる

デビッド:生物か非生物か、自然か人工かといった境界はとても曖昧だと思います。英語の「Nature」には万物という意味と、または人の手が介在しないものという2つの意味があります。大抵の人は後者をイメージすると思いますが、ぼくたち人間もみんな自然の一部なわけで、ぼくはこの自然界に存在するものはすべて、自然法則のひとつだと考えています。たとえば街に落ちているタバコの吸い殻ひとつとっても、その背景には喫煙者の存在があり、タバコ工場があり、また原料となるタバコ栽培の畑がある。それはすでに自然のパターンの一部と言えるでしょう。

ドミニク:面白いですね。文化人類学者にしてサイバネティシャンのグレゴリー・ベイトソンは、過去に『Mind and Nature』(邦題:『精神と自然—生きた世界の認識論』)という本で、異種の生物間にも共通のパターンがあることを示しています。基本的には、すべての生物や非生物をこの相関パターンによって結びつけることができると。また彼はサイバネティクス運動にも参画していて、生命と非生命、コンピュータや機械と身体を分けて考えるのではなく、それぞれの情報のやり取りや仕組みなどには類似姓があることも言及しています

デビッド:面白い。ぼくの興味は常に、対称性やパターンを見つけ出すことあります。《Everything》では一見滑稽なほど、小さくて取るに足らない世界も徹底的に描写しています。その小さな世界の連続がこの世界の成り立ちを新たに見つめるヒントになるんじゃないかと。

ドミニク:なるほど、禅の瞑想では、僧侶たちが世界の根源にある構造を繰り返し内省していきます。《Everything》も一種の内省的なツールであり、あなた自身がこの世界のプレイヤーになることも重要だったのでしょうか。

デビッド:いい質問ですね!ぼくはこの作品の制作プロセスを通して、まずストーリーを考えるのをやめて、システムのことを考えるようになりました。これまでほとんどの芸術作品は、なんらかの自然を描いていたとしても、社会の中の人間の姿を神話的に表現してきたんだと思います。一方で、ゲームというのは数学的システムを基盤とするため、人間の考えるストーリーから脱することができる。もちろん数学という概念を考えたのは人間ですが、数学の根幹は非主観的な法則性にあります。そのとき、ゲームというメディアは、生命そのものを描写する新たなアプローチになれると思ったんです。

サイエンスの知見が、世界の見方を変えていく

デビッド:ぼくは哲学やスピリチュアルな概念への興味もありますが、科学的なアプローチにも非常に興味があります。一切の主観を排除した超合理的な視点から世界を見つめてみたいという思いがあるんです。

ぼくが初めて世界の見方が変わるようなインスピレーションを受けたのは、人類学者・動物学者のデズモンド・モリスによる著作『Man Watching』でした。ここでは人間を動物の一種として観察したとき、ぼくたちがどう世界を認識し、それが生存とどう関連するかが綴られています。さらに影響を受けたのは神経科学者ヴィラヤヌル・ラマチャンドランの『脳の中の幽霊』。これは失ったはずの手足がまだそこにある感覚がするという「幻肢」について書かれた本ですね。脳の奇妙なからくりがとても腑に落ちました。サイエンスの知見から、世界の見方が変わるようなインスピレーションを得ることはたくさんあります。これについては何時間でも話せますね。

ドミニク:映画『インターステラー』でも、ブラックホールの描写をイギリスのDouble NegativeというVFX制作スタジオが制作していましたが、あれは物理学者たちの多大なる貢献がなければ生まれてこなかったものですよね。世界で初めてブラックホールを極めて忠実に描写しようとした映像と言えるかと。

デビッド:あれは面白かったですね。人類は未だ実際にブラックホールを見たことがないので証明は不可能ですが、あの映画を観て宇宙の認知が広がりました。アーティストと科学者が協力して、世界の新しいヴィジョンをつくっていく、これはとてもいいトレンドだと思います。

ドミニク:デビッドの話しぶりも、まるで科学者のようですよ。

デビッド:本当に? 実はぼくも、作品制作にあたってWellcome Trustというバイオメディカル研究機関からの学術的リサーチと資金協力があったんです。それでハーバード大学の生物学者、とくに進化生物学者とのつながりができました。その科学者は粘菌を研究していて、彼からはバイオの世界における最新の考えを学びました。

ドミニク:日本では南方熊楠も愛した粘菌ですね。動物であり、同時に植物でもあるという。

デビッド:ええ、粘菌はとても神秘的です。そして彼らには知性があり、何らかの行動パターンを常に生み出している。アーティストのぼくにとって面白いのは、サイエンスが絶えず自然の神秘から何らかの規則性やパターンを見出そうとすることなんです。アートは神秘性を保とうとしますが、それでも最終的には真理を突き止めようとする。そのとき、サイエンスには手法があり、その手法から何らかの現象やパターンを抽出していきます。一方でアートは、言語では描写できないサムシングを作り出します。いずれも真理を求める思いは同じです。真理が何かなんて誰にもわかりませんが、それでも表現においてできるだけ主観や間違いが介在しないようにしたいとぼくは思います。

ドミニク:その話は何時間でも聞きたいくらいです。別の角度から質問をすると、私には5歳の娘がいまして、先日一緒に《Everything》をプレイしたんですね。ウシ、花、虫と何にでも変化できるこのゲームの醍醐味を彼女にも体験してほしかったんです。すると彼女は、「リスのままがいい、虫や植物にはなりたくない」と言う。どうやら自分の心地良いところにずっといたいようなんです。これは昨今のフィルターバブル現象にもリンクしていて、人は自分にとって快適な、言い替えれば都合のいいゾーンにとどまりたがるものだと思ったんですね。

デビッド:仰りたいことはわかります。ただ、彼女が間違っているわけではなくて、ただ自分が面白いと感じることに正直なだけなんでしょう。人気のアニメーションを分析するとよくわかりますが、大抵、人間は人間に関心があるものなんです。その次は人間に近い動物で、No.1はサル、鳥類であれば直立歩行をするペンギン、あとクマかな。人間は、人間に似た生き物が好きだし、ある意味で、人間はいつでも自分を見つけようとしているんだと思いますね。

ドミニク:だからこのゲームには人間が登場しないんですか?

デビッド:そうですね。これは自分ではない異種から世界を見てみる実験で、人間が存在した瞬間にプレイヤーの視点は「自分」に切り替わってしまいますから。

——最後の質問ですが、あなたは元々アニメーション作家としてキャリアをスタートさせましたが、今後はゲーム制作へと完全にシフトするのでしょうか?

デビッド:メディアが何であっても、ぼくは人が仮想世界やキャラクターに共感するのはなぜか、そこに3D描写などのCG技術や認知科学などをどう活用できるかといった問題に惹かれてきました。その実験はアニメ—ションでもずっと行ってきましたし、過去には色々な賞をいただきました。25歳の頃に回顧展が開かれるなど、このジャンルのアーティストとしてそこまで成功できるとは正直思ってもいませんでした。ただどれだけ評価を得ても、ぼくのつくる短編アニメーションには市場がない。これはシビアな問題です。

ゲームに着手したきっかけはすでに市場があったというつまらない金銭的な理由でしたが、結果としてゲームという新しいメディアで学べたことは、ぼく自身本当に大きなステップアップでした。ここでは、新たな人工の世界を構築できる。この探求は今後もどんどん続けていくと思います。

ドミニク:今日はどうもありがとうございました。これからも作品を楽しみにしています。

 

CREDIT

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TEXT BY ARINA TSUKADA
「Bound Baw」編集長。編集者、キュレーター。「領域を横断する」をテーマに幅広く活動する。サウンドアーティストevalaのサウンドプロジェクト「See by your ears」マネージャー。2010年、サイエンスと異分野をつなぐ「SYNAPSE」を若手研究者と共に始動。12年より、東京エレクトロン「solaé art gallery project」のアートキュレーター。編著に『マリー・アントワネットの嘘』(講談社)『メディア芸術アーカイブス』『インタラクション・デザイン』(BNN新社)、ほか「WIRED」など執筆歴多数。 http://arinatsukada.tumblr.com/

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