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2017.04.14

モノたちの「環世界」に憑依する —―菅野創+やんツー《Avatars》

TEXT BY RYOH HASEGAWA

「Senseless(意識のない、無感覚な)」をタイトルテーマに、さまざまな機械を用いて絵を描くマシンを作り出してきたメディアアーティストの菅野創とやんツー。この度、山口情報芸術センター[YCAM]で披露された彼らの新作《Avatars》は、インターネットを介して「モノ」に憑依(ログイン)できるという、ロボットとアニミズムの関係性を問うような作品だった。

菅野創
武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科 卒業。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)メディア表現研究科メディア表現専攻 修了。1984年生まれ。テクノロジーを駆使しながら、シグナルとノイズの関係やエラーやグリッチといったテクノロジー特有の事象にフォーカスする。自分が見てみたいもの、観察したいものを実現するために作品を制作している。

http://kanno.so/

やんツー
1984年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。2009年多摩美術大学大学院デザイン専攻情報デザイン研究領域修了。2015年からHAPSのスタジオ使用アーティストとして京都と東京を拠点にアーティストとして活動。デジタルメディアを基盤に公共圏における表現にインスパイアされた作品を多く制作し、行為の主体を自律型装置や外的要因に委ねることで人間の身体性を焙り出し、表現の主体性の問う。
http://yang02.com/

菅野創とやんツーは二重振り子の原理を用いて、マシンがグラフィティのような線を描く《Senseless Drawing Bot》に始まり、機械学習によって人間の手の書き文字をマシンが真似ていく《Semi-Senseless Drawing Modules - Letters》などを次々と展開。機械が「絵/文字を書く」という行為から、人間のもつ自律性や機械の本質的な要素をユーモラスに描き出し、世界各国で展示を重ねてきた。

モノに憑依し、彼らの環世界を見つめてみる

今回の新作《Avatars》はどんな作品なのでしょうか。

やんツー:電話やカラーコーン、石膏像、車、植物といった、大小さまざまなオブジェクトから構成されるインスタレーション作品です。それらの日常的なモノたちには、それぞれカメラ、マイク、モーター、小型コンピュータなどが組み込まれていて、鑑賞者はインターネットを経由して彼らにログイン(憑依)する。すると、モノに付いたカメラやマイクが自分の目や耳となり、その展示空間を体験できるという作品です。またネット経由で物体自体を動かすこともできます。

実際に「憑依」したい方はこちらから(10:00~19:00、火曜休館、5月14日まで)
https://avatar-streaming.ycam.jp/

作品のアイデアはどのようなきっかけから生まれたのですか?

やんツー:YCAMから今回の展覧会の話をいただいた際、「バニシング・メッシュ(Vanishing Mesh)」というテーマがすでにありました。この言葉には「動物園の見えない檻」といった意味も含んでいるそうなのですが、IoTやユビキタスなどが浸透していく現代社会において、テクノロジーそのものが目に見えなくなっていくこと、その境界線があいまいに融けていくことを暗示しています。

「テクノロジーに対して自覚的になり、自己批判をしながら、まったく新しいものを作ってほしい」とYCAM副館長(当時)の阿部(一直)さんに言われて。そこから菅野さんとお互いに興味のあるトピックを出していき、要素を合体させて生まれたのが《Avatars》です。

そのひとつの要素として、やんツーさんと石毛健太さんとの共作《カーゴ・カルト》(2015)のシリーズもあるのでしょうか。あれは、家電や玩具の元々の動きを使って、あたかも抽象絵画のようなものを描かせるといった作品でしたね。

やんツー:《カーゴ・カルト》は、端的にいうと「呪物崇拝としての文明の模倣」のことで、太平洋戦争中、メラネシアの先住民が、戦闘機に乗って文明の利器を運んできたアメリカ人を神様と勘違いしたことが始まりなんです。彼らが去った後に、木や石で戦闘機や管制官を模倣し、神(=文明の利器)を呼び戻す儀式として離着陸の真似事を繰り返したことに由来しています。

この現代版として、昨今「魔法」とも形容される現代のブラックボックス化されたテクノロジーに対して、使い古された家電やローテクのおもちゃが無限に繰り返す動作からメディアアート的なものを模倣させようと考えました。それは、先住民たちのある種滑稽な信仰心に通じるところがあるんじゃないかと。

こうした家電やローテクなモノたちのふるまいはヒントになっているかもしれません。《Senseless-》シリーズでは、ロボットが平面的な絵を描くことが中心でしたが、昨年9月に行った個展「Examples」あたりから、モノと空間との関係性を考察するような方向に意識がシフトしてきたんです。

菅野:自分はロボットの数を物理的に増やすことで、いま「ロボットの群れ」のようなものを作っています。例えば、セグウェイにiPadを乗せたようなかたちのガジェットで「Double Robotics」がありますが、あれを50台くらい集めてみたら、きっと人間の集団のように見えると思う。その群れにさらに複雑な動きが介入したとき、どんな感覚を覚えるのかに興味がありました。

ただ、機械の「群れ」については、「空間内で動く複数のオブジェクトであれば、必ずしも同じ物質である必要はない」という方向になり、そこから《Avatars》の大枠のアイデアが見えてきたという感じです。

そのとき、アイデアの核になったのはどんな部分なのでしょう?

菅野:《Avatars》のコンセプトのひとつに、カフカの『変身』のモチーフがあります。あの話は、朝起きると自分が虫になっていて、家族にもすごく白い目で見られる。しかも、身体を思い通りに起き上がらせることもできない。自分の身体が突然変わったときに、世界の知覚のありようが変わってしまう。つまり、自分の行動やパーソナリテイが見た目や身体の機能によって規定されることを再認識するのが面白いと思ったんです。

『変身』
フランツ・カフカ
訳:高橋 義孝 (新潮文庫)

「ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した」という一節から始まる20世紀の傑作小説。生前のカフカは、「“虫”は読者の脳内に発生するもので、決して具体的な絵を描いてはいけない」と、出版社からの挿絵の提案を断り続けたという。
 

やんツー:それに、インスピレーションを与えてくれたのは、その頃読んでいた生物学者ユクスキュル『生物から見た世界』に登場する、「環世界(Umwelt)」という概念。そこでは、ダニの環世界がまず例として登場します。というのも、ダニは獣の臭いしか知覚していない。木によじ登って、獣を下に察知したらその上に落ちる。外してしまったらまた木に登る、これを繰り返していくだけ。嗅覚という単一の知覚器官しかないため、人間とは全く違う環世界を生きている。それを人間視点でどれだけ観察してもわからないとユクスキュルは説いています。

これを現代の文脈に照らし合わせると、コンピュータが小型化し、すべてがネットワーク化され、さらには人工知能技術も成熟化しつつある。そうしたとき、実はコンピュータのような無機物にも、彼らの見つめる「環世界」という考え方は当てはまるのではないかと思ったんです。

菅野:「環世界」は生物学の知見ですが、実は哲学的なアプローチからも考察されています。たとえばトマス・ネーゲルの「コウモリであるとはどのようなことか(What is it like to be a bat?)」という有名な哲学論文があります。コウモリはわれわれと同じ哺乳類ではあっても、基本的に暗闇で暮らしていて、距離の知覚や超音波を頼りに生きている。つまり、僕らが二眼を頼りに知覚している世界とは全く別の世界で生きているということです。

『生物から見た世界』
ユクスキュル/クリサート
訳:日高 敏隆、羽田 節子 (岩波文庫)

動物の知覚や行動の観察から、「生き物がどのように世界を見ているのか」を示した科学の名著。ユクスキュルはこの本で初めて、生き物それぞれに固有の世界があるという概念「環世界(ドイツ語:ウムヴェルト)」を提唱し、後世に多大なる影響を与えた。これは生物学のみならず、社会の貧困や民族間の衝突、またロボットやAIたちの「環世界」を考えるという点でも有効かもしれない。

自律的に動くモノに、生命性を発見する

《Avatars》では、モノにカメラやマイクなどが付けられていますが、そうした「環世界」という視点があったからこそ、カメラは必然的に付けられたのでしょうか?

やんツー:それこそダニは視覚がないので、カメラはなくてもいいという話もありました。しかし実際、作品に落とし込むとなると、鑑賞者のためにはカメラがないと成立しません。ただ、「視覚」だけではなくて、カメラの他にもキネクトやサーモセンサー、あとはマイクの機器もあります。

アバターを通して見た世界 https://avatar-streaming.ycam.jp/

菅野:『生物から見た世界』は本なので読者がダニの環世界を想像すればいいわけですが、今回はリアルな作品。つまり、ある程度の現実感を持ちながら知覚させる必要があります。

今回の作品では、「製品/非製品」、「大きい/小さい」など様々な幅があるモノを集めて、できるだけそれぞれの世界が多様になるように選びました。最初の実験で用いたのが黒電話。これが面白いことに、物理的に受話器を誰かに持ち上げられたとき、黒電話の「目」を通して自分の身体が浮き上がる感覚があったんです。

《Avatars》のモノたちはYCAMのホワイエに展示されているそうですが、実際の現場はどうなっているのでしょうか?

菅野:ホワイエ内に人がいるときと、いないときでだいぶ景色が異なります。とりわけ子供の反応は興味深いです。本来動くと認識していないモノが一瞬でも動くと、「こいつはちょっと遊んでくれる相手かもしれない」と思うのか、つついたり、いじったりし始めます。

撮影:萱野孝幸 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

モノに生命性を感じる要素として、自律的な「動き」はポイントかもしれませんね。

菅野:よくルンバの例を出すのですが、掃除機を修理屋に持ってくる人は「これ直してください」と言うのに対し、ルンバを持ってくる人は「”この子”直してください」と言うんだそうです。自律性をもったロボットや人工知能が生活に浸透していくなかで、そこには「生命」と呼べるかもしれないものができつつあるかもしれません。

前作《SENSELESS-》シリーズも機械が絵を描き出すことで、ちょっとした生き物っぽさを感じる瞬間がありましたね。

やんツー:今回の作品は半分人間みたいなところがありますからね。

菅野:ちなみに「ゴーストモード」というものもあります。誰かが憑依(ログイン)していなくても、勝手に動くというもの。現場の鑑賞者からすれば、どのオブジェクトがネット越しで人間に操作されているのか判別がつかない。

やんツー:現場で話しかけてみると分かりますね。ネットから鑑賞するだけではなくて、現場でもみることで鑑賞体験が成立します。両方ともまったく違う体験なんです。東京でネットを通じて観たあとに、現場でアバターが実際に動いている様子をみると、きっとゾッとするはず。

アニミズムの国の、機械とゴースト

ゴーストモードは面白いですね。いずれはロボット同士が会話をするようになるのでしょうか。

菅野:ゴーストモードに関しては、アイデアだけで実装しきれていない部分もいくつかあります。はじめは誰かに憑依(ログイン)されたモノの動きを機械学習によって記憶させ、あたかも“人間が動かしているような”動き方をさせるというアイデアがありました。

他にも展示空間を3Dでセンシングで記録することで、モノたちが空間内を完全に把握できる状態を作り、それを元に自身の体を動かすといったアイデアも途中まで実装していました。「瞬時に空間全体を把握する」という意味では、人間の知覚を超えているともいえます。

撮影:古屋和臣 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

やんツー:この作品にはリファレンスとして、過去のメディアアート作品もいくつかあります。三上晴子さんの《欲望のコード》やクワクボリョウタさんの《R/V》。あとはexonemoの《Eye Walker》も近いかもしれません。

今回の新作を出してから、今後の展望を教えてください。

やんツー:過去のメディアアート作品のリファレンスを持ちながらも、《Avatars》の先進性は、ここに何でも起こりうる状態を導いていること。今作には、ぼくらもまだ読み解けていない様々な問題提起をはらんでいると思っています。

菅野:この展覧会の監修をされた阿部一直さんの話で面白かったのは、日本には八百万の神への自然信仰があり、あらゆるモノに神性を見出すアニミズムの文化がある。つまり《Avatars》のように、モノがだんだんと神格化することにあまり抵抗がない。ぼくたちは「ログイン」を「憑依」と呼んでいますが、これは日本人の独特の感覚でしょうね。《Avatars》を宗教的、文化的にまったく異なる国で見せたら、どんな認識のされ方をするかに興味がある。色々な国で展開してみたいですね。

INTERVIEW BY ARINA TSUKADA & RYOH HASEGAWA

展覧会情報

「バニシング・メッシュ」
山口情報芸術センター[YCAM]
2017年2月18日(土)〜5月14日(日)
10:00〜19:00(火曜休館)
入場無料

http://www.ycam.jp/events/2017/vanishing-mesh/

メイン写真/撮影:Gottingham 画像提供:山口情報芸術センター[YCAM]

 

CREDIT

Ryohasegawa
TEXT BY RYOH HASEGAWA
『SENSORS』シニアエディター。編集者、ライター。リクルートホールディングスを経て、独立。修士(東京大学 学際情報学 )。複数媒体でライティング、構成、企画、メディアプロデュースを行う。Twitter: @_ryh

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