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未来の箱舟教室
2017.12.27
100年後の未来を紡ぐ科学。超ひも理論研究者 橋本幸士の「詩と時間」箱舟教室レポート(2)
未来を生き抜く知恵をテーマとした、アートサイエンス学科「箱舟教室」の第2弾は、理論物理学者の橋本幸士氏を招いた。「この世界はひもからできている」という、超根源的な世界の成り立ちを問う物理の先端仮説・超ひも理論を研究する橋本氏は、「いまの研究が、100年後に役立つかもしれない」と語る。昼夜、数式と真っ向勝負を挑むそのまっすぐなまなざしから、「詩と時間」というテーマが浮かぶ上がってきた。物理(サイエンス)と文学(アート)を行き交う彼の世界とは?
橋本幸士
理論物理学者。大阪大学大学院理学研究科 教授。1973年生まれ、大阪育ち。2000年京都大学大学院理学研究科修了、理学博士。サンタバーバラ理論物理学研究所、東京大学、理化学研究所などを経て、2012年より現職。専門は理論物理学、超ひも理論。著書に『超ひも理論をパパに習ってみた』(講談社)、『Dブレーン:超弦理論の高次元物体が描く世界像』(東京大学出版会)など。『素粒子論研究』編集長、雑誌『パリティ』編集委員、大阪大学理論科学研究拠点拠点長。サイエンスとアートをつなぐ「高次元知覚化プロジェクト」に携わり、「高次元小説」などを発表。
http://kabuto.phys.sci.osaka-u.ac.jp/~koji/
僕は大阪大学で物理学の教授をしています。中でも素粒子物理学を研究している理論物理学者です。今回の講義のタイトルである『詩と時間』と聞いて、みなさんはどんなことを想像しますか?
詩は文芸という意味では、アートでもあるでしょう。アート的な見方で、世界を記述する。ざっくり言うとそんなことかもしれません。一方で時間は物理学的な考え方です。サイエンスの見地からこの世界を記述する時、時間は重要な要素です。
この講義では、一見関係のなさそうな詩と時間が、理論物理学者である僕の中でどんなふうにつながっているのかをお話したいと思います。
黒板から生まれる、100年先のサイエンス
さて、まず自己紹介として、僕は理論物理学者として「超ひも理論」を研究しています。超ひも理論とは、宇宙のすべての物質が小さな「ひも」からできているという仮説です。この仮説は40〜50年間ほど研究されているのですが、非常に難解です。難解すぎて、本当に理解している人は世界でも1000人に満たないほどです。つまり、理解している人は現在生息するパンダの数より少ないのです(笑)。
さて、そんな理論物理学者はどんな生き物なのかをお話しておきたいと思います。例えば、東野圭吾原作の『ガリレオ』というドラマがありますね。福山雅治演じるこのドラマの主人公は理論物理学者です。ドラマの中の彼は白衣を着て実験室に立っていますが、そんな理論物理学者は存在しません。
理論物理学者の基本的なスタイルは、夏は半袖半ズボン、冬は長袖のスエットやジャージ。大きな黒板を相手に1日中計算し、議論を繰り返しますから、動きやすい服装が都合良いのです。さらに言うと、こんな恰好をしているのは、そもそも社会との接点がない職業だからです。
理論物理学が扱う対象というのは、明日明後日の社会で役に立つものではないのです。では何のために研究をしているのか? たとえば100年後であれば役に立っている…かもしれません。約束はできませんが、100年後にこの宇宙を支配している法則が、黒板から生まれるかもしれない。そんな学問なのです。
この宇宙を支配する数式がある
さて、この数式を見てください。
何だと思いますか? これは、宇宙のすべてを支配する数式なのです。
たとえばみなさんの身体ですら、この数式に支配されています。人間というものは筋肉の塊です。人の話に頷く時、スマートフォンをさわる時も、そのすべては筋肉の動作です。筋肉は脳の電気信号によって動いていますが、電気の働きはこの数式に基づいているのです。理論物理学において、すべては数式で読み解くことができます。数式によって、この宇宙で起きるあらゆる出来事の予測ができるのです。
物理学の中でも、僕のように素粒子物理学に携わる科学者はみな、毎日この数式を扱っています。素粒子物理学は、物質のもっとも基本的な構成要素である素粒子を扱い、この宇宙が何でできているのかを問う物理学の一分野です。
そして予測を確かめるためには実験を行います。たとえば「加速器施設」では、原子や原子核に非常に高い電圧をかけて加速し、壁にぶつける実験が行われます。壁に原子がぶつかると、飛び散って粉々となり、素粒子が出てきます。その素粒子の特性を調べ、理論計算と合っているかどうかを確認するのです。
計算通りであれば理論計算が証明されたことになりますし、計算が合わなければ理論を改める契機になります。そうして少しずつこの世界の理解ができる、そういう学問なのです。
そしてこの数式は、科学者たちの何百年もの努力の末にたったひとつ残ったものです。科学者たちとは、前世紀の科学者として重要度と知名度ともにダントツでトップのアルベルト・アインシュタイン。さらに日本からは南部陽一郎や湯川秀樹といったノーベル物理学賞に輝いた日本人の科学者も含まれます。
あなたの身体からこの宇宙のすべてまでが記述されているこの数式は、まさにサイエンスの究極形と言えるものなのです。
ちなみに、この数式を彫った世界初のリングを作成したこともあります。世界のすべてを手中に収めることのできるリング、ロマンですねえ。大学の生協で販売したのですが、発売日には長蛇の列ができました、本当ですよ(笑)。
あなたとわたしも、素粒子物理学的には“同じもの”
もう一度先の数式を見てみましょう。ご安心ください。この数式は大阪大学でも、大学院に進む学生が勉強するものです。数式を見るのも嫌、という人もどうかこの1行目「d4x」に着目してください。
時間がt、xyzは座標です。じつは最初の4は、この宇宙には時間が1つと、空間の方向は3つ(縦、横、高さ)あるということを示しています。これは「この宇宙は時間が1次元で、空間の方向が3次元でできています」という宣言なのです。この4つの座標さえ指定すれば、全宇宙の、いつ、どこで起きた現象かが決まるわけです。
この数式はまた、なぜサイエンスが成立しているかを物語っています。先程、みなさんの身体がこの数式によって支配されているとお話しましたが、それは同時に、僕の身体をつくっている素粒子とみなさんの素粒子が同じだということを意味します。僕が動くときの運動の法則は、みなさんのものと同じです。素粒子が同じだからです。仮に僕の中の素粒子とみなさんの中の素粒子を入れ替えたとしても、この宇宙は何も変わりません。僕たちを構成する素粒子に個性はないのです。
なぜかこの宇宙はうまくできていて、人間がサイエンスを発見できるようにできている。なぜそんなことが可能かというと、みなさんのサイエンスと、僕のサイエンスがなぜか同じだからです。しかし、それがなぜなのかは誰にも分かりません。
時間とは空間であり、タイムマシンはサイエンスを破綻させる
この講義のテーマのひとつである、時間とは何でしょう? アートも言ってみれば、時間と場所を人々と共有するものですね? 時間はアートにとっても重要な役割を果たしています。では、物理学者は時間をどのように考えてきたのでしょう?
アルベルト・アインシュタインは「時間とは時空座標のひとつである」としました。先程お話したように、僕たちの宇宙は三次元(縦・横・高さ)です。アインシュタインは、ここに時間も入れて考えたわけです。
また、「時間を虚数にすると、温度である」と言った人もいます。日本の物理学者・松原武生です。ざっくり言うと、今、僕のところに光が向かって来ているとします。光というのは波です。よって、時間がたつと空気中を伝わって、僕のところにたどり着きます。しかしその時間がもし「虚数」(実数ではない複素数)だとしたら、光の波はどこか分からない方向へ行ってしまいます。すると光の波は僕のところには来ません。来なくなった波はどこにいくのか。それは熱のような、外界になるのです。だから時間を虚数にしたら温度になる、という考え方です。
注目すべきことは、アインシュタインと松原の考え方に共通点があることです。なぜなら「虚数の時間」というのは、時間を空間と同じ仲間にするということなのです。物理学者はしばしば時間を空間と同じものと考えて計算をします。時間とはなにか? この問いを物理学者にすれば「空間と同じように取り扱えるものである」と答えるでしょう。
先程、「この宇宙は時間が1次元で、空間の方向が3次元でできています」とお話しました。では時間が2つ以上、つまり2次元あったらどんなことが起きるのでしょうか?
実はこれがタイムマシンなのです。もしタイムマシンがあると、科学的には非常にまずいことが起こります。サイエンスの原理というものは、今の状態を知っていれば明日のことが分かるということです。サイエンスはすべて、この原理に基づいています。
もしも明日起きたことが今起きていることに影響を与えるようなタイムマシンができてしまえば、時間が1つしかないことを前提としているサイエンスは破綻します。
サイエンスというものは、知られていることを説明するということで進展してきたわけですが、それと矛盾することが起きた場合は、新しい理論をつくって両方を説明できなければなりません。タイムマシンができてしまうと、今まで作ったサイエンスは成り立たないとみなされるようになり、破綻してしまうのです。つまり、ドラえもんが登場すると、人類はすべてのサイエンスを捨てなければならないということです。
アートもサイエンスも、「小さなこと」からはじまる
時間が2つになるとサイエンスは破綻しますが、そこには同時に詩が生まれるのかもしれません。僕は「時間が2つあったら?」という問いをもとに、時間が2つ存在する小説「時間2次元小説」を書いてみたことがあります。
この小説は100通り以上に読め、それぞれに違う意味合いになります。ツイッターに投稿したところ、約18000回以上もリツイートされました。非常に大きな反響があり、実際にこの形式で小説をつくってみる人もいれば、過去に似たような複数の時間軸を持つ詩の形態を教えてくれる人もいました。
ある人は、これを「物理学と文学の新たなるコラボレーションだ」と呼んでくれました。
続いて制作したのが、時間3次元+4次元小説です。プログラマの堂園翔矢さんにビジュアライズしていただいたものですね。
またこの作品は「Concrete Poetry(具体詩)」と呼ばれる詩のジャンルに似ているものだということも判明しました。僕にとって、「時間が2つある」というのはサイエンスの問いであり、そこから広がるとは思っていませんでした。しかしその問いを小説にしたら、気づけばアート表現にもつながっていた。
アインシュタインが「特殊相対性理論」を発表した時、世界でそのことを理解していた人は片手で数えられるくらいの数だと言われていました。特殊相対性理論ですら最初は「小さなこと」だったのです。しかし今や特殊相対性理論は物理の主導原理になっています。アートもサイエンスの新理論も、最初はものすごく少ない人数の間で始まります。
それが歴史の中で確かめられ、全世界で認められ、使われ始める。結局、「小さなこと」をやらなければサイエンスもアートも進展しない。そんなことを、僕は詩と時間に思ったのです。
CREDIT
- TEXT BY AKIHICO MORI
- 京都生まれ。2009年よりフリーランスのライターとして活動。 主にサイエンス、アート、ビジネスに関連したもの、その交差点にある世界を捉え表現することに興味があり、インタビュー、ライティングを通して書籍、Web等で創作に携わる。 幼い頃からサイエンスに親しみ、SFはもちろん、サイエンスノンフィクションの読み物に親しんできた。自らの文系のバックグラウンドを生かし、感性にうったえるサイエンスの表現を得意とする。 WIRED、ForbesJAPANなどで定期的に記事を執筆している。 http://www.morry.mobi
- PHOTO BY YOSHIKAZU INOUE
- 1976年生まれ。1997年頃から関西のアーティストやバンドのライブ写真を撮り始める。 その後ライブ撮影を続けながら雑誌、メディア、広告媒体にも活動を広げ2010年から劇団維新派のオフィシャルカメラマンとなりそれ以降、数々の舞台撮影を行う。2015年に株式会社井上写真事務所を設立し活動の幅を広げながら継続してライブ、舞台に拘った撮影を続けている。 http://www.photoinoue.com/