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2016.09.03
植物はアートのインスピレーションになる。「現代ボタニカルアート」の最前線
TEXT BY AKIHICO MORI
いまでは少し懐古趣味的にも感じられるかもしれないボタニカルアート。その現在進行形はどうなっているのだろう? 現代のテクノロジーを流用して、植物をインスピレーション源として扱う作品を「Bound Baw」の目線で紹介する。
「ボタニカルアート」は、センスのいいカフェやレストランに行けば誰でも目にすることができる。それらは壁の額に飾られ、まるで生け花のように佇んでいる。
ボタニカルアートとは、本来、16世紀以降のヨーロッパで育まれた「博物画」の一部であり、草花を科学的な考証をもとに描写した細密画のことを意味する。いまでいうイラストレーターと研究者が恊働し、サイエンスとしての学術的な価値と、アートとしての側面を併せ持つ絵画として発展した。
それは大航海時代のヨーロッパにおいて、オリエント世界の知られざる森羅万象を採集し、そのエキゾチックな姿を一目見ようと収集しはじめた上流階級たちの欲望でもあった。この人類普遍の欲望を、現代のテクノロジーを使って生み出すアートを紹介してみたい。
植物の美しさを、描く知性
描き得ない植物の美しさを、描こうとする作家がいる。
村山誠が描いた植物を見た時、誰もが美しいと思うに違いない。しかしそれは自然の中で季節を歌い、風景を飾る花や植物の美しさとは明らかに異質なものだ。
植物の美しさを、古典的な生物学の手法である解剖から、最先端のCGまでをつかって「描く」ことで表現する作家·村山誠の作品は、まさに現代の最先端ボタニカルアートと言えるだろう。
これらの精緻な画は、作家の手によって解剖、観察、スケッチ、CGモデリングなどのプロセスを経て生み出されている。花びら、がく、雄しべ、雌しべ、さらに花粉までを解剖し、顕微鏡やルーペで見つめた構造を線で“記述”するのだ。線一本一本で緻密に生命の輪郭を描いてゆくかのような、膨大な作業の果てに生まれたのがこの村山の作品群だ。そこには鮮明なX線写真でも映し出せないリアリティがある。
そして、自然のままの姿から解剖された植物のパーツから、完璧な対称図形に再構築し、設計図を思わせる幾何学的な線が重ねられている。まるで植物の美しさを計測するかのように。
わたしたち人類が美しさを「測ろう」とした歴史は古い。わたしたちが「美しい」と感じるとき、私たちはそこに「美しい理由」を生み出す比率や、ときには「黄金比」を見出そうとする。
黄金比の起源はエジプトにある。ナイル川の氾濫にさらされるたび、エジプトでは土地の境界線が失われた。それらを復旧するため、エジプトでは世界でもっとも早く測量術が発達し、縄を用いて正方形が生み出す手法が編み出された。これがピラミッドや様々な神殿を生み出す契機となったことは言うまでもない。この正方形が、後に黄金比の発見につながる。まさに人類最初の世界の「美」の発見だった。
それ以降、わたしたち人類は、常に美しさとは測り得るものなのだろうかと自問してきたとも言えるだろう。たとえば、四季に揺れる自然の中の植物に測り得ない美しさが宿ることを私たちは知っているからだ。
村山のボタニカルアートは、植物の持つ美しさを、古典的な手法から最先端のCG技術までを用いて完璧に計測し、描こうとする。科学とアートの歴史が重合した知性の営みを通して、この美しさは生み出されているのだろう。
花の美を奏でる音楽
何も語らない花。その美しさを、音楽で奏でようとする作家がいる。
“人が花に美しさを感じるとすればそれはなぜか。また、音楽に美しさを感じるのはなぜなのか。”
この美にまつわる根源的な問いに、福島諭は「女郎花(オミナエシ)」という多年草の周期を、クラリネットとコンピュータによる楽曲で表現した「《 patrinia yellow 》for Clarinet and Computer」を生み出した。
11分のこの楽曲は、前半、中間部、後半の3部構成で女郎花の1年を奏でる。前半と後半はクラリネットとコンピュータで、中間部はコンピュータのソロ演奏である。
前半では女郎花の特徴である長い花茎(かけい)の成長が、音律の断片として表現される。続く中間部の開花を前半の音律の断片が和音の連なりを生み、開花を暗に表現する。そして後半は枯れ草となる様子が表現される。
この楽曲には、「リアルタイム·サンプリング」という手法が採り入れられている点が特徴だ。これはリアルタイムのクラリネットの演奏の録音をコンピュータで処理し、楽曲を制作することを指す。これによって「不可逆の時間の流れの中で記憶のフィードバックを通じて歩んでゆくものこそが生命である」というテーマを表現しているという。
福島は、音楽をつくるための作曲法とは異なる方法で音を編み、花の一生をなぞった。
その旋律を耳にすれば、私たちが「美しい」と感じる瞬間、その感覚はいかに様々な境界を超え、物理的な制約を破り、出会うはずのない次元に存在しているもの同士を結びつけて生まれているかを知るかもしれない。
植物の話す言葉をつくる
言葉を語るはずのない植物に、言葉を語らせようとする研究者がいる。
部屋の中の植物はわたしたちにとって語らぬ住人であり、彼らが言葉を話すとも、音を聞いているとも思わない。しかし、もしかするとあなたの部屋の植物が枯れるのは、あなたのプレイリストが彼らのお気に召さないからかもしれない。
Microsoftのプログラム「Studio 99」に関わるポスドク研究者Helene Steinerは、「Project Florence」と呼ばれるこのプロジェクトで、植物が放出する電流と化学物質をテキストメッセージに翻訳しようとする。
植物に話しかけたければ、まずコンピュータにメッセージをタイプすればいい。すると、コンピュータはそのメッセージがポジティブなものか、ネガティブなものかを判定し、光の信号に翻訳し、植物に伝える。
すると植物がその光の信号をどのようにとらえたかを、カプセルの中の植物の、葉と根につけられたセンサーが感知する。植物がネガティブにとらえたか、それともポジティブにとらえたかをそれらのデータによって判別し、コンピュータはTwitterのツイートを用いて返答する。つまり植物の状態がポジティブであれば、ポシティブな返答を、そうでなければネガティブな返答を(もっともこれを「返答」と呼ぶかには議論が必要だが)するというわけだ。
Project Florenceのソフトウェアは、Twitter上をスキャンし、植物の特定の感情に関連したものをメッセージとして発することができる。
これらは自然言語処理(人間の言葉をコンピュータに処理させる技術)に則って植物の状態を提示しようという試みだという。人間は気分が良いとき、その応答はポジティブになる。そして不快な気分の時はその限りではない。
現代のボタニカルアートのインスピレーションで植物を眺めるとき、植物というテーマがわたしたちを惹きつける深遠さと、人間には測り得ぬ彼らの美しさを再確認できるだろう。
CREDIT
- TEXT BY AKIHICO MORI
- 京都生まれ。2009年よりフリーランスのライターとして活動。 主にサイエンス、アート、ビジネスに関連したもの、その交差点にある世界を捉え表現することに興味があり、インタビュー、ライティングを通して書籍、Web等で創作に携わる。 幼い頃からサイエンスに親しみ、SFはもちろん、サイエンスノンフィクションの読み物に親しんできた。自らの文系のバックグラウンドを生かし、感性にうったえるサイエンスの表現を得意とする。 WIRED、ForbesJAPANなどで定期的に記事を執筆している。 http://www.morry.mobi