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死者の復活とデータの行方

2021.03.02

自分のデータはフリー素材に? 稲見昌彦x川村真司×富永勇亮「D.E.A.D.」鼎談 (後編)

稲見昌彦(東京大学)×川村真司(Whatever)×富永勇亮(Whatever)

クリエイティブ・コミューンWhateverが、自身の死後のデータの扱いにまつわるプラットフォーム「Digital Employment After Death(通称D.E.A.D.)」をローンチした。これからは死後も個人のデータが“使える”ものになっていくのか。ソーシャルメディアや死者のプライバシーについて研究する稲見昌彦氏をゲストに招き、Whateverの川村真司、富永勇亮と鼎談を行った。ロボット工学と拡張現実の研究者であり、人間の身体性の拡張やその先にある意識と心の変化を研究。今回はデータ化によって生まれる倫理感やアイデンティティについて伺った。

死後データの復活、10年後なら許せる?

川村:稲見さんは自分自身を復活できるようになったとして、YesかNoではどちらですか?

稲見:「誰かを」と「自分を」で、答えは変わってきますよね。私は両方とも今のところはYesです。ただ、それは無限とは思わなくて、きちんと半減期も考えておきたいですね。たとえば弔いのための「四十九日」の法要は半減期のデザインだと思うんですよね。

川村:そうですね。四十九日とか、3回忌とか。

稲見:で、徐々に間隔も広くなっていくじゃないですか。

川村:そうですよね。半減期は半減か半増なのか、どっちが正しいですかね?

稲見:多くの人の場合は下がるんじゃないでしょうか。けれども、死後に再評価されるという可能性もありますよね。

川村:そうそう。また逆に、俳優ロビン・ウィリアムズの遺書には「10年間はやめてくれ、でも10年後は好きに肖像を使ってくれ」と書いてあったそうで、10年経ったら人々の記憶からも消えているから、当時関係があった人たちも大勢亡くなっているかもしれないし、だからこそ(データの使用を)許せるという観点になる、と。

稲見:悲しみや情動に関わるものはそうでしょうね。けれど、アセットに関わるようなところは、データからつくることができる。その部分は、ある一定の期間が経ったら公共財になるので。

川村:パブリックドメインになったり。

稲見:それは死後百年以上経ってフリーになる著作権の議論と近い話になりますね。

川村:生誕何百年とか、そういうことになっていくんですね。

稲見:音楽においてもありますね。イギリスの作曲家グスターヴ・ホルストの『木星』が、著作権が切れた頃に歌詞をつけたという話がありますが、ホルストは生前「絶対に歌詞を付けるな」と遺言に残していたそうです。そうなると、遺言自体にも時限がついていたということ自体が興味深い。それは個人の遺志に明確に反しているわけですが、それによって新しい文化も生まれたという見方もできる。一世紀近くの時間が経てば、それは公のものとして扱えるという考え方もあります。

川村:時間が経つにつれて、だんだんどうでもよくなるものもありますよね。「まぁ100年たったら別にいいかな」と。

稲見:たとえば、戦国武将のラブレターなんかが後々に公開されたりしますが、死の直後にあったら困りますよね。でも現代では歴史的な資料として扱われるようになります。

川村:歴史になるかどうかはおもしろいですよね。ファンとしては知りたい気持ちもある。

自分のデータはフリー素材に?

塚田:以前、稲見先生のインタビュー記事で「今後、われわれが死んだときは、人間の形をしていないかもしれない。データをインストールした先がコップだということもありえる」という趣旨の発言がありました。稲見先生が想像する未来の中で、復活するときの形状にはどんなアウトプットがあり得ると思いますか。

稲見:「死後、何になりたい?」という話ですよね。それも、生きているうちからもう実践できますからね。まず生前にいろいろと試してみて、どんな復活の仕方があり得るのかを吟味してから決めると思います。

塚田:お墓というシステムも、親族の墓に入るという選択肢以外にデジタル上においてはいろいろな可能性が出てくることも考えられますよね。バイオアーティスト福原志保さんによる、故人のDNAを木の細胞に保存して墓標とする『Biopresence』という作品などもありました。

稲見:もともと私はバイオロジーもやっていましたが、自分が残すのはゲノムよりもデータな気がしています。データ自体が情報的なものだとは思っているので、あえてフリーにして公開するかな。フリー素材。

富永:稲見さんのフリー素材!(笑)

稲見:残された人によって、いろいろと加工可能にしておいたほうが結果的に残るかなという戦略です。パブリック戦略ですね。

富永:稲見さんはそういう自分のbot的なものをつくる準備などはされていますか?

稲見:自分がTwitterを続けている一番のモチベーションはそれです。ただ、あくまでもTwitter人格という断面にしかすぎないんですけれども。SNS自体もいつなくなるかわかりませんしね。でも一応ツイログは取り続けています。

川村:おお、そうなんですね。そのとき恣意的に気をつけられていることはありますか?

稲見:推敲しすぎないことですね。ソーシャルメディアの中でもTwitterでは、ニコ生よりは少し考えるけれど、ブログや論文を書くほどは考えない、これぐらいの断片的な記録はこれまで最も残りにくかったことですよね。一応パブリックなメディアなので、炎上しているネタとか、議論が衝突しすぎるようなところには突っ込まないようにしていますね。
 
川村:そのあたりも含めると、すごく歪んだデータが取れてしまいそうな気もしますね。

 
自分のバックアップを保存する

塚田:最近では「情報銀行」など、ある種の第三者機関が個人データや生体データを蓄積していくという考え方もあります。そうした機関についてはどう思われますか?

稲見:可能性として非常に大きいですよね。自分の手元に置いておくよりは、外部機関に出しておいたほうが便利になることもたくさんあります。私は5年に1回はバックアップ取りたいぐらいですね。

たとえば、私は今回のCOVID-19で巣ごもりしている間に体重が8キロぐらい減りましたが、私がオンライン講演で使っているアバターは、体重が極大だったときの3Dデータなんですよね。だから、今後は痩せているうちにスキャンしておこうとか、さらには老化してボケる前の自分のバックアップも欲しい。また自分が歳を重ねたとき、そうしたデータがあることで当時の自分と今を比較して考えてられるようになれば、それはそれで意味があります。

川村:情報銀行なんかの存在は、死後以外でも生前でも、使い勝手が良くなるという側面はありそうですね。毎日日記をつけている人ではない限り、いちいち蓄積していられないので、それも込みでサードパーティがやってくれるなら。

稲見:そうそう。また、死というのは大きなイベントですけれども、毎晩寝ている間に死んで朝に再生しているという考え方もできますよね。SF的ですけれども。

川村:細胞の循環という見方もありますよね。

稲見:一晩寝たら考え方も変わっていることってよくありますよね。我々は、連続性を物語として紡いでいるので、自我というものがあることになっています。死後における自我のありかたを思考実験できるのも、根拠となりそうなテクノロジーがあるからですね。

自分のアバターは死後どうなる?

富永:おっしゃるとおりですね。稲見先生が行われている「自在化身体プロジェクト」では、「人機一体」というコンセプトが掲げられていますが、人機一体が進んでいった先の現実に今最も近いのがVR空間といえますよね。そこで自分自身にとても近いふるまいをするアバターが生まれて、勝手に存在しているとしたら、物理空間で自分が死んだ後にそのアバターが存在しているべきかどうかは悩ましいですよね。そもそも、バーチャル空間にいる「自分」のアバターを破棄するか否かの権利は、物理空間上の自分にあるべきだと思いますか?

稲見:本人がその対象を直接コントロールできるものが「自分」だとするならば、コントロールする主体がなくなった時点で、逆にそれは自分ではなくなるんですよね。ある意味、子どもの親離れですよ。そこからは、今度は自分に近似された関数は残るけれども、また新しい主体として残り変化し続けるものなので、それはもはや自己ではないんですよね。本人に似ているけれど、また別のなにか。

富永:だから、自律的なアバターはもはや別人格であるという。

稲見:はい。その別人格を遺言によって5年後に消すべきかどうかは、別の人権問題になるかもしれません。なぜならその別人格も社会性を持ち、その人格に親しみを持つ人も出てくるかもしれない。AI権問題とも近いものになりますよね。

富永:なるほど。

稲見:一方で、二人称、三人称からアバター化された自分を見たときは、連続性があるかもしれないのが難しいところなわけですね。つまり私にとっては、もはや自分と分かれた時点でそのアバターは「私」ではないんですよ。いつでもコントロールできるなら私の一部なんです。

とはいえ自分の身体でさえ、常にコントロールしているわけではありません。たとえば、歩きスマホ中の足は、ロボットみたいなもので、自分の体も、ある意味「自律的な他者」になっているといえます。一方で自分の魂は、スマホというデジタル世界の中に入っている。でも、他者になってしまった足がつまずきそうになったときに、突然自分に戻ってくるんですよね。

適切な「自分」の残し方

川村:今、自分の適切な残し方などは、世界のどこかで研究されていたりするんですか?

稲見:成功している例は知らないですが、大阪大学の前田太郎先生の「パラサイトヒューマン」というプロジェクトは、それを意図しているものです。ある人が生まれたときから常に寄生して、ウェアラブルのデバイスを取り付けてやり取りを全部記録しておけば、それはその人らしさを一番わかるセカンドスキンになり得るはずだという。

川村:この考え方では、データ量が正義だということですよね。

稲見:そうですね。装置をお互い付けている世界になれば、相互作用も記録できるはずです。実は私はこの前田先生のお話を聞いて、今の研究をしていくことを決めたんです。学生時代、前田先生に「究極のインターフェースとは何でしょうか?」という青い質問をしたら、「本人が生まれてからずっと、その人の世の中とのやり取りを見ていて、その人らしさに合わせて情報を変換して提示するようなものこそが究極に違いない」と明確な回答をいただきました。それはSF的かもしれませんが、理屈の上で正しいなと納得はしました。こんな変なことを言う先生ともっと議論したいなと思い、博士課程から前田先生のいらっしゃる研究室に行きました。

実はその頃から、今回の問題意識に関わるようなことは仲間内で議論していたんです。われわれはデータだけではなくインタラクションでなくては駄目だというのも、そのあたりの議論から来た発想ですね。それこそエジプトのピラミッドで、ミイラの脳みそを残していなかったように、データから見える人としての営みを捨てて、かえって骨だけ残そうとか、冷凍保存しようとか、DNAを保存しようというのは、昔のエジプトの人たちとなんら変わらないことをやってしまっているかもしれない。

川村:ガワしか残していないと。

 
今後のアイデンティティは「ハブ」になる

塚田: そうしたデータ時代のアイデンティティはどう形成されると思いますか。たとえばアメリカでの10代向け調査で、「SNSの使用頻度が高いほど自己肯定感が下がる」という結果が出ているそうです。常に周囲との比較対象があり、なおかつ幼少期からデータを取得されていくとき、「自分探し」をするような世代はどう感じるのでしょうか。

稲見:たぶん自分がコアではなくて、「ハブ」という感覚になるのかな。ハブこそがアイデンティティな気がしますね。今まではその人らしさを形づくるもとして心と体は不可分であり、固有の「自分」があったと考えられていたかもしれない。とはいえすでに今でさえ、ネットの人格と、大学にいる自分と、家族やまったく異なる場所にいるときの自分は、すでに違う存在といえます。

エコーチェンバーと言われているように、今の世の中で起きている分断が、今後の情報化によってますます進むことは確かなんですよね。分断が進行する中で、世界は完璧に分かれるんじゃないかなと、ふと思ったときに、今は個人がみんなかつての「東インド会社」みたいになれる世の中なんだと思っていて。それがつまりハブとしての機能で、全く異なるコミュニティにそれぞれ所属していることが、ある人の体を通して一体になっている。

身近な例でいうと、インスタでバズった投稿を今度はTwitterから投稿して、それでまた周囲から全く違ったウケ方をしたみたいな。東洋ではありふれたものを見立てて西洋に持っていくと価値が高まるというのが昔の東インド会社的な貿易でしたが、今は個人が情報世界でそうした複数のレイヤーを持っている時代です。

各々のレイヤーにある各タグはすごく分断されていて、コミュニティが異なる人とはつながらない。けれど、個人の中でそのレイヤーが重層化されているので、色々なやり取りができるわけです。様々なレイヤーをまとめられるのが、自分というハブとしての機能だと。

川村:ハブとして機能している限りは仲良くできるということですね。そもそも、そのマインドシフトとかパラダイムシフトをみんながしていかないといけないという。自然としているんでしょうけどね。
 
稲見:国民的大ヒットがない時代ってそういうことなんじゃないかなと。

川村:自己同一性は「自分はひとつだ」みたいな考え方でしたが、これからはアイデンティティにもレイヤーがあると受け入れられていくんでしょうね。あなたというネットワークがあなた自身です、というか。それが別にひとつでなくてもあなた自身だと言える、そしてそのつながりの多さや太さがあなたを形作り支えることになるという、何か心の安らぎみたいなことをこれからの子どもたちに伝えていけたらいいですね。

死を意識することから始まる

富永:今日のお話を聞いて、僕はやはり解像度が重要だなと思いました。自分自身で記録しても、それは本当の自分を再現するものではないという。私は「分人(ディヴィデュアル)」という言葉が好きで昔から意識していたんですが、今日の稲見先生のお話から、「他者から見た自分」のデータも重要だと聞いて、これはもう本当の意味での「復活」サービスは無理じゃないかと途中で思ったりして。けれど、すべての話が腑に落ちました。ありがとうございました。

稲見:今日、私は決して答えを用意していたわけではないんですよね。この鼎談のやり取り自体が、まさにこの場の一回性から出てきたもので、この組み合わせとこのタイミングでないと、今日の議論にはならなかった。そういう意味では、私も学生がディスカッションして最初に口走ったことは、たまたまその人に駒が回ってきただけであって、その場で共有したアイデアなんだよと、うちの研究室の学生には指導しているんです。そういう意味では、本日は皆さんと一緒にいる中で考えを深めることもできました。

川村:先生にそんなことを言っていただくと。いっぱいメモりました。

稲見:その意味では、今まで目を向けないようにしてきた「死」についても、議論をすること自体は良い取り組みになると思いますね。もっというならば、今ある弔いという儀式も、一人称としての自分にとっての弔いではなく、二人称、三人称の自分を弔ってもらっているんですよね。だから、われわれ自身の問題として、自分ではどんな最後を迎えたいかを考えるときには、データに関する部分もきちんと意識した上で周囲の方々と議論する。決してDNAを何かパックに閉じ込めて宇宙に持っていくだけが弔いじゃないでしょうという感じもするんですよね、未来は。ところで、もうそろそろこの鼎談も終了の時間ですかね。

富永:違うんですよ。僕の電源がなくなりそうなんです。

稲見:そちらのほうが死ですよ。Wi-Fiがなくなるほうが死だったりしますよね。情報的な。

富永:この鼎談の終わりがバッテリーの死という(笑)。

稲見:私、学会も「死」が必要だと思っていて。通常の学会は、いかに続けるかを目指しがちですが、そうすると途中からだんだんやる気がなくなっていくんですよね。去年と同じことをなんとなくやり続けてしまったり。前に産総研の江渡浩一郎さんを中心に一緒につくった「ニコニコ学会β」はカウントダウン形式で、設立時に終わりの年を決めていたんです。最初から5年で終わらせると決めると、最後の2年になったときに「あと2年だから何をやろうか」というように考えるようになるので、創造的になれましたね。カウントダウンへの思考はとても大切ですよね。

川村:とてもいい示唆をいただけました。先生、ありがとうございました。 
 

CREDIT

Akiko saito
TEXT BY AKIKO SAITO
宮城県出身。図書館司書を志していたが、“これからはインターネットが来る”と神の啓示を受けて上京。青山ブックセンター六本木店書店員などを経て現在フリーランスのライター/エディター。編著『Beyond Interaction[改訂第2版] -クリエイティブ・コーディングのためのopenFrameworks実践ガイド』 https://note.mu/akiko_saito

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