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死者の復活とデータの行方

2020.06.05

死者に権利はあるのか? 死後データの意思表明プラットフォーム「D.E.A.D.」特別鼎談(前編)

折田明子(メディア研究者)×川村真司(Whatever)× 富永勇亮(Whatever)

クリエイティブ・コミューンWhateverが、自身の死後のデータの扱いにまつわるプラットフォーム「Digital Employment After Death(通称D.E.A.D.)」をローンチした。「AI美空ひばり」などが顕著なように、これからは死後も個人のデータが“使える”ものになっていくのか。ソーシャルメディアや死者のプライバシーについて研究する折田明子氏をゲストに招き、Whateverの川村真司、富永勇亮と鼎談を行った。

プロフィール

折田明子

関東学院大学 人間共生学部 コミュニケーション学科 准教授。2007年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学、博士(政策・メディア)取得。中央大学ビジネススクール助教、米国ケネソー州立大学客員講師、慶應義塾大学大学院特任講師などを経て現職。オンライン・アイデンティティ、プライバシー、情報リテラシー教育などをキーワードに研究を進める。
http://www.ako-lab.net/

川村真司

Whateverのチーフ・クリエイティブ・オフィサー/COO。東北新社と共同出資して設立した、WTFCのCCOも兼任。Whatever合流前はクリエイティブ・ラボPARTYの共同創設者/エグゼクティブ・クリエイティブディレクターと同時にPARTY NYのCEOを兼任し全てのグローバルビジネスを担当。数々のブランドのグローバルキャンペーンを始め、プロダクト、テレビ番組開発、ミュージックビデオの演出など活動は多岐に渡る。カンヌ広告祭をはじめ数々の賞を受賞し、アメリカの雑誌Creativityの「世界のクリエイター50人」やFast Company「ビジネス界で最もクリエイティブな100人」、AERA「日本を突破する100人」などに選出されている。

富永勇亮

Whateverプロデューサー/CEO。立命館大学在学中の 2000 年に AID-DCC Inc. 設立に参画、COO として在籍、2014 年 4 月 dot by dot を設立。2018 年から PARTY New York のプロデューサーを兼務、2019 年 1 月に合弁、Whatever Inc. を設立、代表に就任。2019年8月に東北新社と共同出資しWTFCを設立、CSOに就任。広告、インスタレーション、ミュージックビデオ、IoT、ファッション、TV などメディアを横断したプロデュース活動を行い、カンヌライオンズ、SXSW、文化庁メディア芸術祭、The Webby Awards などを受賞。Lyric Speakerを開発するCOTODAMAへの出資、AI×ブラインドテイスティングで好みの日本酒がわかるサービス“YUMMY SAKE”への出資、テクニカルディレクター集団BASSDRUMへ出資、社外取締役を兼務、クリエイティブコミューン “Wherever”を運営するなど、クリエーター同士のゆるやかなネットワークをつくることがライフワーク。

近年、個人データを利用して、故人を擬似的に復活させることが可能になり、多くの有名人が“復活”するコンテンツが発表されている。NHK紅白歌合戦で発表されたAI美空ひばり、手塚治虫AIによる新作マンガ、ピアニストのグレン・グールドの演奏をAIが再現など、枚挙にいとまがない。

そんな時代にクリエイティブ・スタジオ「Whatever Inc.」がスタートした「Digital Employment After Death(通称D.E.A.D.)」は、自身の死後のデータの扱い方について意思表明できるプラットフォームだ。

Whateverの調査では、「死後、個人データとAIやCGを活用した自身の『復活』を許可するか?」というアンケートに対して、「許可しない」と答えた方は全体の63.2%にものぼる。

Whatever・富永勇亮氏は本プロジェクトを立ち上げた狙いについて「ある種の社会実装」と語る。「世の中の人と議論を重ねながら、最終的に法やガイドラインが設定されるなど、人々が望む方向のルールが生まれてほしい」と。

そんな「D.E.A.D.」プロジェクトについて、「D.E.A.D.」を手掛けた富永勇亮氏と川村真司氏が、各分野のエキスパートと対談し、「復活とは」「社会における人々の意識とは」を探る試みをお送りする。

第1回のゲストは、関西学院大学人間共生学部の折田明子准教授。同大学にて「ネット・コミュニケーション」「ソーシャルメディア」などについて教鞭をとっており、「亡くなった方のプライバシーは存在するのか、そもそもデジタル上での死というのは何だろうか」といった研究を進めている。

日本人はデータを「消したい」派?

折田先生は『D.E.A.D.』プロジェクトをご覧になってどう感じられましたか?

折田明子(以下、折田):アンケートの結果で、「復活を望んでいない」という項目の結果が世代によってばらつきがありましたよね。若い世代ほど「復活しても良い」という答えが多かった。それは我々が調査したものとも非常に近い結果でした。すべてのコミュニケーションがデジタルに乗っている世代と、後からそれが乗るようになった世代でも違うんでしょう。

また文化差もあるようで、例えばFacebookですと、亡くなった人のアカウントを「追悼モード」にするか、そのまま残すか、または消すかが選択できるんですが、日本で「追悼モード」にする人は本当にわずかで、逆にアメリカでは多いんですよ。

国によっても違いがあるんですね。

折田:日本では、ほとんどのデータを「消したい」という人が多いようです。

川村真司(以下、川村):それは、どういう背景があるんでしょうね? 宗教的な理由があるのか、単純に国民性なのか。

折田:実は、宗教で分析してみたら、ほとんど違いが出なかったんです。

川村・富永勇亮(以下、富永):おおー。

折田:日本とアメリカとフランスで調査しましたが、大きな差異はありませんでした。ただ、ネット上の名前と、利用目的によっても答えが変わってきますね。例えば自分のリアルネームで、情報発信をメインにしていくアカウントは残すけど、「誰にも見つかりたくない裏アカウント」のようなものはやっぱり消したいという方が多い。

川村:やはり、その裏アカこそがプライバシーというか、個人情報的であるということかもしれませんね。

折田:そもそも日本人は、SNSではリアルネームとニックネームを使い分けている人が多いんです。欧米では実名が多いと言われていますが、イニシャルだったり、同姓同名も多いこともあって匿名性が高かったりしますが、それに比べて日本人の名前はすごく特定しやすいですよね。そこで、ニックネームと本名を、それぞれのアイデンティティで使い分けているようです。

確かに日本のSNSでは本名の公開や顔出しを嫌がる人も多いですよね。

折田:もちろん、仕事に関しては本名と顔写真を出すこともありますが、プライベートな情報はニックネームで発信するとかですね。その使い分けは、特に日本では特徴的だと思います。複数のアカウントを使い分けているという話を国際会議ですると、珍しがられたこともありました。そうした使い分けがあると、死後にサブアカウントは消したい、でもメインのアカウントは残しておこうという考え方が出てくる。やましいことを書いているから、というより、それを本名と紐付けたくないかどうかということになります。

他にも調査結果での違いはありましたか?

折田:我々の調査はSNSに関するものだったので、アカウントに関する質問で絞っていました。また、他にも大学生向けに実施した調査もあって「写真やLINEの通話、Twitterのアカウントだったら?」と聞くと、アカウントは消したいけれど写真は残したいと答える方も多かった。そこは興味深かったですね。

アイデンティティの分人化と「死後労働」

折田先生ご自身は、自分のデータの復活についてはどうお考えですか?

折田:人間って複雑で、職業人として、友達として、あるいは親として、娘として、と、いろいろなアイデンティティがあるわけで、社会的な関係性によって表出するものが変わってきますよね。例えば友人など非常にパーソナルな関係内での会話は、コンテクストがあるし、その友人のプライバシーも関わるので、公開してはいけないと感じます。すべて見せられるのは…自分の娘に対してだけかもしれません。

先生自身もそう思われるんですね。

折田:でも、自分の書いた論文は死後もどんどん使ってほしい。職業人としての自分が残すものは、全般的にOKなんです。

富永:すごく理解できます。「分人」という考え方がありますが、「誰かに対しての自分がすべてのアイデンティティの総称ではない」というのは僕も感じるところがあって。職業的な部分では誰に見せてもいいけれど、それ以外の部分も自分であると表出することができるかについては僕も疑問です。

川村:僕は逆に、すべてのデータを公開することがOK派なんです。ただ、有償にはしたい(笑)。僕の遺族にお金が入るなら「好きに使って」っていう考え方ですね。お金が発生しないならNGです。

それこそ「死後労働」の考え方ですね。

折田:『死後労働』という言葉が『D.E.A.D.』で使われていて、それまで考えたことがなかったのではっとさせられました。個人のデータを公的に使うことは、労働でもあると。2015年にGoogleが取得した特許では、人間に関するデータを蓄積し、ロボットやデバイスにダウンロードすることができるとのこと。つまり、故人のデータをもとに、擬似的によみがえらせることができる可能性があるわけです。まだ実現してはいませんが…。
一方、生前のSNSのデータから死後もコメントを投稿し続けるbotが既にあったり、経営者の経営判断に関するデータを機械学習させ、死後も経営判断に活用するというプロジェクトがMITにありました。

川村:経営判断だけに絞るとか、そのほうが実現性もあるし有用な使い方が生まれそうな気はしますよね。スティーブ・ジョブスが生きていたらこういう判断をしていたかも、とか。もし僕がAppleにいたら「いま彼に聞いてみたい」と思う気がしますね。ある部分だけに絞った状況判断を累積させていくほうが、その人の全データを残そうとするよりは可能性があると思います。

折田:「その人らしさ」が出るところだけで良いのかもしれませんね。ジョブスであれば、「新しくできたこの製品を彼だったらどう見せるだろう」というシミュレーションは可能性がありそうです。

死んだら人権はない?

著名人の場合、データの扱われ方にも相当の価値が生まれそうですね。それも死後労働にあたるでしょうか。

折田:アメリカでは、死後に残されるデータを、「デジタル資産」としてとらえ、パブリシティ権の枠組みも適用していますね。かたやイギリスのように、「死んだら人権はない」とする国や、フランスのように生前の意思を尊重する国もあるように、国によって方向性が異なるんです。EUの一般データ保護規則(GDPR)では、死後のデータの扱いについては定めていないので、それぞれの対応になっていますね。

川村:日本もドライというか、特に法律はないですよね。

折田:いまはないですね。アメリカの場合は、かつてエルビス・プレスリーの死後のパブリシティ権の裁判があった経緯もあり、著名人が残したデータがSNSやネット上に残っていく場合、何らかの価値が生まれるものであれば、デジタル資産として遺産に準じた扱いになるでしょう。

川村:有名タレントの場合は、パブリシティ権で保護されますね。俳優のロビン・ウィリアムズは、「死後10年は俺を使わないでくれ」と遺書に残したりして…。僕が思うに、自分の死後の権利を生前に決定できるという方向に可能性があると思っています。

折田:パブリシティ権も今後は概念を広げていくことになるんでしょうね。「いまお金になる」というよりも、「将来価値を生み出すであろう」っていうところまで含めるのであれば、有名人に限らず、そしてどんなデータも価値になり得るわけですよね。

川村:確かにありえますね。法律家にもヒアリングしたのですが、たとえ本人が生前に意思表明をしていても現状で法的拘束力はなくて、あくまで意志を尊重するという考え方なんです。『D.E.A.D.』には、そうした死者の権利というものが社会でもっと重要なポジションになればという思いも込めています。

折田:先程のロビン・ウィリアムズさんの件もそうですが、数十年間は使わないでアーカイブだけしてほしいという意思表明は、つまり数十年後には使われる可能性もあるということですよね。歴史の資料がまさにそうで、戦争に関しても何十年後かに公開されることも多々あります。

川村:機密書類もそうですよね。

折田:いまは出せない情報がたくさんある。でも、そのデータを捨ててしまうと後世に残らない。だから数十年のブランクを経てから公開されるという。

富永:そのデータが「政治」から「歴史」に変わる距離感が関係してますよね

折田:実は手紙もそうですよね。本人の生きている間は公表できないけれど、亡くなってしばらく経ったら公表されるとか。なぜなら手紙を受け取った相手にもプライバシーがあるからです。昨今のSNSではさらに、故人だけではなくその周囲の人々のプライバシーが晒される危険もあります。

富永:一義的ではないですよね、そこは。著作権のように、ある年月を経てからというルールが生まれる可能性はおおいにありそうですね。ただそれとは別に、「誰が復活を許すか許さないか」という意思は本人が決めるべきだと僕は思っていて。それが『D.E.A.D.』を作った最初の動機です。

折田:私も最初の頃は、本人が決めるべきだと思っていました。ただ、今は悩み始めています。本人が「絶対見せたくない」と思うことは仕方ないけれど、ある部分では「どっちでもいいや」と思うところもあるかもしれない。その場合、遺族のほうが求める場合もありますよね。アンケートを取ってみても、自分が遺族になることを想定すると「残してほしい」という声が多い一方で、「自分が死ぬときは消してほしい」と、逆の結果が出る。そのため、どちらの声に従うべきかは悩むところです。

鼎談収録はオンラインで。(左上から時計回りに)川村真司、富永勇亮、塚田有那(インタビュアー)、折田明子 

データが残ることで起きたネガティブな事例はありますか?

折田:殺人事件などの被害者のプロフィールがまとめサイトで書かれてしまったり、顔写真が出てしまうこともあります。亡くなった方の尊厳にも関わりますし、遺族の方々にとっても良いことではない。不正確な情報で作られていることも多いですから。

そういった問題は既に起きていますよね。

折田:有名人の場合であれば、プライベートな部分に対して「本当はこうだった」と公表することは許されるのか。例えば家族に見せるならOKだとしても、公に出すのはNGだとか、そうした細かい問題が出てくると思います。

川村:逆に「自分を死後も復活させてほしい」と思う人は、生前から意識的にライフログをとっておかないとそこまで再現できないと思います。

折田:どこを再現してほしいのかにもよりますよね。美空ひばりさんの「復活」では、あくまで公人として世間に発表されたデータを使っていたわけで。

夏目漱石もアンドロイドが作られていますよね。

折田:夏目漱石のケースでは、「どんな笑顔だったのか」という話があって。夏目漱石が残した写真には、笑顔のものが見当たらないそうなんです。なので、お孫さんからは「笑顔を見てみたい」という希望もあったと書かれていました。夏目漱石に限らず、誰かをアンドロイド化する際にも、故人のどの時期やどんな場面を再現するかによって、再現される姿は変わってくるでしょうね。 向かい合う側も、「この人はこういう時にこうしていた」というシーンを見ることで、何らかのなぐさめや悲しみと向き合うことが得られるのであれば、それは「あり」なのかもしれません。

川村:なるほど。だから「未来に向けて」と何かを求めるよりも、「弔い」としての機能の方が正当な使い方というか、良いのかもしれないですね。

後編へ続く▶ 死者の「復活」をどう考える? 死後データの意思表明プラットフォーム「D.E.A.D」特別鼎談(後編)

インタビュアー:塚田有那(Bound Baw編集長)

CREDIT

Akiko saito
TEXT BY AKIKO SAITO
宮城県出身。図書館司書を志していたが、“これからはインターネットが来る”と神の啓示を受けて上京。青山ブックセンター六本木店書店員などを経て現在フリーランスのライター/エディター。編著『Beyond Interaction[改訂第2版] -クリエイティブ・コーディングのためのopenFrameworks実践ガイド』 https://note.mu/akiko_saito

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