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2016.12.02
世界を見る「目」を変えた新たな地図、オーサグラフ
TEXT BY JUNYA YAMAMINE
建築家・鳴川肇が考案した、新しい世界地図《オーサグラフ》が、2016年度のグッド・デザイン大賞を受賞した。既存の地図に生じる「ゆがみ」をできるだけ正確にしたこの新しい「地図」の記述法が、現代の「デザイン」として賞された理由は大きい。なぜなら、この一枚の地図が、わたしたちの固定観念を打ち破り、新たな世界の見つめ方を教えてくれるからだ。
鳴川の《オーサグラフ》がグッド・デザイン大賞を受賞したことは、将来重要なメルクマークとなることをまず述べておきたい。これまで同賞の多くの受賞作は、具体的な問題解決を目指したプロダクトやシステム、汎用性の高いソフトウェアなど、多くの場合目に見える有用性がある。
しかし、鳴川の《オーサグラフ》は「世界」という概念をテーマにしており、ともすれば抽象的にも見えてしまう。だが、それゆえに、普遍的なテーマに挑んだ《オーサグラフ》が受賞したことは重要なのである。
概念変化を促す世界地図
《オーサグラフ》は構造家として建築の分野で生きてきた鳴川自身の個人研究の賜物である。よって、誰かしらの要請を受けたものでもなく、クライアントがいるわけでもなければ、購買層となる明解なターゲットがいるわけでもない。
経済中心の今日、そのような状況下で個人研究を重ねていくことは困難を伴う。しかし、個人の研究として普遍的な概念へと挑んだ世界地図がグッド・デザイン大賞を受けたことは、これまでの受賞作品を見る限り異例のセレクションと言える。だが、投票によって同賞が贈られたことは、まるで閉塞した経済中心主義のパラダイムを打開させたいという人々の想いの現れのようでもある。
ここでは、そんな《オーサグラフ》の魅力について迫っていきたい。
時代・文化とともに更新していく「世界像」
《オーサグラフ》が与えたインパクトについて述べるにあたって、まず「世界像」という言葉を引用したい。この「世界像」は、ドイツの思想家マルティン・ハイデガーが1938年の講演の際に、“メディアやテクノロジーの発達に伴って変化する、人間が思い描く世界の形”を示した言葉で、エッセイ「世界像の時代」などに綴られている。
のちのマーシャル・マクルーハンが『身体拡張の原理』の中で述べた、“メディアの発達による人間が知覚できる世界の拡張”と併せて考えると、20世紀から現代への技術革新によって人々の「世界像」が大きく変化したことが分かる。
歴史を紐解いてみれば、地球を中心に星々が回る世界観から、望遠鏡などを通した観測技術の発展によって、天動説が証明され、NASAの宇宙開発によって地球の姿を図像でもって指示したことは、まさに世界像の更新にあたる。ほかにも、ハロルド・エジャートンが撮影した数千分の一の世界やレナート・ニルソンによるミクロの世界、地球外探査機から届く映像などは、テクノロジーが人間の思い描く世界を拡張した実例といえる。
しかし、鳴川はテクノロジーによらず、固定概念の盲点を突く方法で我々の世界像を更新した。
球面展開のレトリック
世界地図と言われれば、多くの人がこのメルカトル図法によるものを想像するだろう。大航海時代の16世紀に考案されたこの地図は、緯度経度が直角に描かれており、羅針盤を頼りに航海するには都合が良い。
しかし、よく知られるように、南北の極点に近づけば近づくほど、ゆがんで大きく描かれてしまうという欠点がある。そのため、地球のゆがみを少なくしたモルワイデ図法や、一つの点からの距離が正確に測れる正距方位図法など、いくつもの世界地図が考案されたがいずれも普及しなかった。
いずれの図法も、球体を平面上に展開するという不可能性をはらんだ難題に、欠点を抱えながら回答してきた。しかし、四角形に無駄なく展開するメルカトル図法が、最も一般的な流通様式である紙に適したことから広く普及していった。
つまり、メルカトル図法が最も一般的な世界地図となった背景には、圧倒的な流通の力がある。その結果、歪められた地球の姿が、広く世界の形として認識されることとなったのだ。
もう一つの従来の世界地図の問題点は、視点の固定化にある。日本で市販されている世界地図の多くは日本を中心に描かれているが、イギリスの世界地図はイギリスを中心に描かれている。こうした世界地図のあり方は、刷り込みのように自国を中心とした世界の見方を植え付けてしまう。
大国を中心とした19世紀、20世紀であれば、その一元的な世界地図でも良かったかもしれない。しかし、ポストモダンを経た21世紀には中心のない球面世界を表現する世界地図に期待したくなる。それを《オーサグラフ》は紙面上で実現している。
中心のない世界地図《オーサグラフ》
鳴川は構造計算を専門としながら、幾何学的構造に興味を持ち、テンセグリティー・モデルやフラー・ドームの研究を行ってきた。構造計算と世界地図、一見すると関係ないように思えるが、それを結び付ける糸はバックミンスター・フラーだ。フラーもまた、従来の世界地図の歪みを解決しようと、1946年にダイマクション・マップに考案した。球面を20面体にし、展開したこの図法は、ゆがみを少なく表記できる点で優れているが、海を途切れなくすると陸が分断されてしまう。
その欠点を踏まえ、幾何学的な発想から新しい球面展開の方法論を見出して考案されえた世界地図が《オーサグラフ》である。
詳しくは、以下の動画を参照していただきたいが、球体を、96面体を経て正四面体へと変形させ、切込みを入れるという方法によって実現されたこの世界地図は、紙面にも適しながら、終わりのない球面世界を表すように、無限に並べていくことができる。
そしてこの地図によって、極力ゆがみが出ないように作られており、極点をまたがるような長距離航路の比較や緯度が離れた大陸の面積比などが、容易にわかるようになる。とりわけ、南極大陸やグリーンランドがこのような形で表記されることは、いかに我々の世界像が従来の世界地図によって歪められていたかを端的に示している。
オーサグラフによる世界地図の解説ムービー
この《オーサグラフ》が気づかせてくれる事柄はこうした物理的なことだけにとどまらない。たとえば、冷戦中、アメリカとソ連は北極圏の航路が最も短く、北極を挟んで両陣営が対立関係にあったことはこの地図を見るとひとめでわかるが、東西対立、という構図が、従来地図によってもたらされていたことに気付かされる。
このように、地理的な問題は多様な分野に影響があり、日本科学未来館では、《オーサグラフ》上に、温暖化などの地球規模のさまざまなデータをマッピングすることが試みられた。
また、東京都写真美術館の「見えない世界の見つめ方」展では、インタラクティブな世界史年表を作成し、局所的な通史に陥ってしまいがちな世界史を、世界全体を見渡しながら同時代の出来事を見ていくことができるようにした。こうした実験からも《オーサグラフ》が従来的な地図では出来なかった分析方法を与え、新しい発見を促す可能性を大いに持っていることが分かる。
オーサグラフを用いた《クロノ・マップ4700》は2つのプロジェクタと操作卓によるインタラクティブ作品。左のスクリーンには古代エジプト時代から現在までの各時代を示した96の世界地図を継ぎ目なくつなぎ合わせることで4700年間の世界史を一望できる四角い地図が表示される。
新たな世界を見つめなおす挑戦へ
このように《オーサグラフ》には、多くの可能性が秘められている。しかし、最も重要な点は、当たり前のように思える世界の姿を批評的に捉えなおし、新たな見方を提示したことにある。日常化してしまったものこそ、それ自体を改めて批判的に見なおすことは難しい。しかし、それこそが盲点であり、我々は固定概念というものに強く縛り付けられている。
そのように常識にとらわれたものこそ、16世紀に地動説を笑った者たちである。そのことを思えば、無批判に常識にならうことの顛末に背筋が凍るだろう。だが、固定概念が持つ拘束力から逃れることは容易ではないことは、誰しもがその人生を通して深く理解している。しかし、その固定概念に《オーサグラフ》は一石を投じ、“常識”で曇った目ではなく、新たな視点で世界を見つめなおすことへの挑戦を呼び掛けている。
CREDIT
- TEXT BY JUNYA YAMAMINE
- 水戸芸術館現代美術センター学芸員。1983年茨城県生まれ。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業。東京芸術大学映像研究科メディア映像専攻修了。文化庁メディア芸術祭事務局、東京都写真美術館、金沢21世紀美術館を経て現職。主な展覧会に「3Dヴィジョンズ」「見えない世界の見つめ方」「恵比寿映像祭(4回–7回)」(以上東京都写真美術館)、「Aperto04 Nerhol Promnade」(金沢21世紀美術館)。ゲストキュレイターとして、IFCA- International Festival for Computer Art (2011、スロベニアMKC Maribor)、waterpieces(2013、ラトビア、Noass)、SHARING FOOTSTEPS(2015、韓国、Youngeun Museum of Contemporary Art)、Eco Expanded City(2016、ポー ランド、WRO Art Center)などに参加。2015年度文科省学芸員等在外派遣研修員。日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ メンバー。