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2021.08.02

ダークエコロジーの共鳴領域。篠原雅武xナイル・ケティング - EMF2021レポート④

TEXT BY KOUHEI HARUGUCHI

「あわいから生まれてくるもの -人と人ならざるものとの交わり- 」をテーマに、ビジネス・アート・エコロジーの領域から第一線を切り拓く多彩なゲストを国内外から招き、4日間にわたって開催されたEcological Memes Global Forum 2021。

最終日のトークセッションでは、哲学者・篠原雅武氏とアーティスト・ナイル・ケティング氏が、『自然なきエコロジー』の著者ティモシー・モートンの議論を導きに、人間が支配的アクターでなくなった時代の共鳴領域について議論した。

コロナウイルス感染症の拡大に呼応するようにして現前したさまざまな問いは、これまでの人間–自然観が揺さぶられ、その境界(あわい)をこそ焦点化したといえる。両氏の議論から、その不確かな領域に足を踏み入れてみよう。

Ecological Memes Forum 2021 DAY4 トークセッション
「ダークエコロジーの共鳴領域」
トークセッションゲスト:篠原雅武(哲学者)、ナイル・ケティング(アーティスト)
進行:小林泰紘(一般社団法人 Ecological Memes 共同代表・発起人)

人間でないものを「やり過ごす」

ナイル・ケティング(以下、ケティング):私はいまドイツのベルリンから参加しているのですが、今日は雪が降ったあとに晴れて、すぐ雨が降ってそれが雹に変わって、全部盛りみたいな天気です(笑)。

篠原雅武(以下、篠原):こちらは京都ですが、もう桜が咲いていますよ。

ケティング:今日は3月21日なので、早いですね。パンデミックで自宅にいることが増えたので、曜日や月の感覚がなくなってきました。

篠原:ベルリンでは市民のあいだでコロナウイルスへの危機感が共有されている感覚はありますか? というのも、日本だと国内の観光客数は増えていますし、危機感を感じている人とそうでない人との意識のギャップを感じるんです。

ナイル・ケティング(アーティスト)
1989年神奈川県生まれ。ベルリン、東京在住。パーフォマンスやサウンド、ヴィデオなど、あらゆるメディアを取り入れたインスタレーション作品で知られる。 その創作活動は、技術進歩に伴う時間と場において、物質–非物質、生物–無生物の狭間の往来に新たな洞察を加えている。近年の主な展覧会に、「Anticorps」パレドトーキョー、パリ(2020)、「保持冷静」センターポンピドゥxウエストバンド上海(2019-2020)、クンストフェライン・ゲッティンゲン、ゲッティンゲン(2019)、Somerset House、ロンドン(2018)、「第7回モスクワ国際現代美術ビエンナーレ Clouds⇄Forests」 「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」森美術館、東京(2016)、Hebbel Am Ufer、ベルリン(2016)、などがある。

ケティング:いま住んでいる地区は移民が多いのですが、こことオフィス街ではまた様相や人の動きが異なりますね。道や広場ごとにもレギュレーションがちがったりします。いずれにしても、ドイツ国内では危機感が共有されているといってよいと思います。

篠原:日本国内のマスメディアや観光客の状況を見ていると、破局的状況にあるということから目をそむけているのではないかと、すこし違和感があります。コロナウイルス感染症が拡大しているはずなんだけれど、そのリアリティをどう受け止めていいのか、わかったようなわからないような。

篠原雅武(哲学者)
1975年、神奈川県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。大阪大学特任准教授などを経て、現在、京都大学総合生存学館(思修館)特定准教授。専門は、哲学・環境人文学。主な著書に、『公共空間の政治理論』(人文書院)、『空間のために』、『全‐生活論』(以上、以文社)、『生きられたニュータウン』(青土社)、『複数性のエコロジー』(以文社)、『人新世の哲学』(人文書院)など。主な訳書に、マヌエル・デランダ『社会の新たな哲学』(人文書院)、ティモシー・モートン『自然なきエコロジー』(以文社)など。

ケティング:日本のそうした感覚について、ひとつ私の作品をきっかけにお話させてください。私が通っていた日本の小学校は、避難訓練に力を入れていました。まず、生徒たちはその日のいつ地震が発生するか知らされません。授業を受けていると突然スピーカーからノイズが流れて、生徒たちは机の下に隠れます。すると理科室に設置されたフォグマシーンから霧が出て、廊下が擬似的な煙で満たされます。最後は生徒同士で手をつないで、みんなで校庭に避難するんです。

篠原:すごい避難訓練ですね。

ケティング:大人になって思い返すと、私にとってこの避難訓練は振り付けのように思えたんです。私たちのまわりの環境が変化に対応してパフォーマンスしなければいけない──人なき世界の劇場のように思えました。同じような状況を美術館のなかでつくろうとした作品が《Remain Calm》(2019)です。この作品では20分に1度、地震などの災害が光や音でシミュレーションされる空間になっていて、私たちパフォーマーも災害に応じてプログラムされた振り付けを演じます。

《Remain Calm (reduced +) 》2020
Photo: Aurélien Mole, installation view at Palais de Tokyo

そこではどこにスポットライトがあたるわけでもなく、来場した観客も作品の一部になって、すべてがセノグラフィー(舞台美術)に飲み込まれていく状況をつくりました。篠原さんがおっしゃるような、日本において破局的状況から目をそむける、あるいは自分の都合のいい方向へ捉えなおす行為は、その状況を自然の一部として感覚しているのではないでしょうか。危機がやってきては過ぎていくように、あるいはパフォーマンスの一部のように。日本には、破局的状況を個人の内省的なものに置き換えるようなイメージが共有されているのではないかと思っています

篠原:そうなのかもしれません。コロナウイルスに関しても、日本にはやり過ごしたいという感覚があるように思います。ウイルスは存在するのに、忘れる、やり過ごすような感覚がある。ぼくが過敏になっているだけような気もするけど、どうなんだろうか。たとえばヨーロッパのロックダウンでは、街中に人の姿はなくなりますよね。そうした世界のニュースを見て感じられるリアリティと、日本でやり過ごしていることのリアリティとの違いは、いったい何なのかと考えてしまいます。

ケティング:ヨーロッパにいると、おそらくキリスト教の影響が強いからだと思いますが、人間はアイデンティティを持ったひとつの屹立とした存在であるという認識があります。ティモシー・モートンのいう「微生物の集まり」としての人間は、ことばとしては理解できますが、実際に感覚することはむずかしい。でも日本では、自らの身体のなかに人間でないものの存在を内省的に認めている感覚があるように思います。だからコロナウイルスの受け取り方も異なっているのではないでしょうか。

たとえば日本の乳酸菌飲料のCMでは、微生物を身体に取り入れて腸内が活性化されるようなビジュアル化がなされています。菌類や微生物の集合体として自身が形成されていることを感覚的に共有できていて、それゆえに現在のパンデミックすら深刻な危機としてとらえられていないような印象があります。

「わからなさ」と「不気味なもの」への感覚をひらく

ケティング:コロナウイルスからは話が変わりますが、60–70年代に活躍した工藤哲巳さん(1935−1990)という作家がいます。彼の作品に、広島の原爆や放射能からインスピレーションを受け、ゾンビのようなインスタレーション《接木の花園/環境汚染―養殖―新しいエコロジー》(1971)があります。

彼は、機械化が進む社会において、ヨーロッパ的な自然観(人間–自然の二元論)ではなく、人間と自然の境界がなくなってしまうような状況について考えていたのだと思います。私たちもまた、すこしずつゾンビになってきているといえるのではないでしょうか。モートンも、フランケンシュタインをメタファーにして、人間の定義や境界についておもしろい議論を展開していますよね。

篠原:フランケンシュタイン(1818)の誕生は19世紀、ロマン主義の時代です。ロマン主義は、産業革命によって人間が阻害され、美しい自然が失われることへの反発として起こりました。しかし、フランケンシュタインを書いたイギリスの小説家メアリー・シェリー(1797−1851)の思想はロマン主義的ではありません。

『自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて』ティモシー・モートン著、篠原雅武 訳(以文社)

モートンはシェリーの研究をしていますが、そのテーマはトランスフォーメーション、つまり人間が変わること。これは重要なポイントで、昨今はアントロポセン(人新世)が話題にあがりますが、その際の議論は、人間が自然や地球のあり方を変えてしまった、その人間の罪深さへの批判になりがちです。

その問題化も重要ですが、他方で地球が変わったことによって人間のあり方も変わってしまう、そしてどう変わっていくのかわからない、その「わからなさ」こそが重要な論点だと思うのです。モートンはこのことを「不気味なもの the uncanny」[★1]として議論します。人間が中心にいて自然をコントロールしてきたというこれまでの想定が成り立たなくなり、人間も自然もわからなくなる──その不気味な感覚をちゃんとリアリティとして持っておこうぜ、と。

★1 「不気味なもの」の概念について提唱した人物は、ジークムント・フロイト(1856−1939)。詳しくは以下を参照。ジークムント・フロイト「不気味なもの」藤野寛訳、 『フロイト全集〈17〉』須藤訓任/藤野寛訳(岩波書店、2006年) 

ケティング:「わからない」といった感覚は、いまリアリティのある問いですね。昨今のアイデンティティ・ポリティクス(ジェンダー、人種、民族、障害など、社会的不公正の犠牲になっている特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁しておこなう政治活動)に関連した動きは、「私」を定義するものを求める不安や焦りから発しているように思いますし、ヨーロッパにいるとそのことをより強く感じます。

篠原:自分自身の不確かさを確かなものとして持っておきたいのでしょう。その欲求を安易に満たしてくれるものが、インターネットに流れてくるインチキな情報だったり陰謀論だったりするんですよね。人間とはなにか、その「わからなさ」が高まっているいま、インチキに自身をアイデンティファイするのではないしかたでのアイデンティティの模索が求められているのかもしれません。

ケティング:そもそも、アイデンティティって日本語に翻訳できないですよね。

『Human Kind Solidarity with Nonhuman People』ティモシー・モートン

篠原:そうなんですよ! いまティモシー・モートンの『Humankind』(2017)を翻訳しているんですが、彼はよくアイデンティティという言葉を使うんですよね。いったんは自己同一性と訳してみているけど、自分らしさ? うーん……悩んでいます。

ケティング:メゾン・エルメスでのグループ展「曖昧な関係」展に出展した《Sustainable Hours》(2016)は、音や加湿された空気、匂い、Wi-Fiなど、目に見えないものだけでインスタレーションをつくろうとした作品でした。これらを生み出すために設置したガジェットは、アマゾンからおすすめされたものをただひたすら買ったものです。

《Sustainable Hours》
Photo: Yoshihiro Inada, Courtesy of Ginza Maison Hermès Le Forum

マルセル・デュシャン(1887-1968)が提唱した「レディメイド」(既存のモノが作家が選んだから作品になる)が現代においてどのような意味を持つかを考えると、作家である私は、アマゾンという巨大組織のアルゴリズムに取り込まれ、おすすめされたものをなんとなくクリックするだけの存在です。アイデンティティの境界、私の選択は果たしてだれが決めているのか、曖昧になってくる──私はこうした方法によって、「不気味なもの」の世界観を広げているのだと思っています。

篠原:モートンは、自然とは人間には手の届かない不気味なもの、ノンヒューマンなリアリティとしてとらえます。彼がアーティストを信頼してさまざまな仕事を展開している理由は、そうした「不気味なもの」にアーティストのほうが先に反応しているからなのでしょう。生な自然があるととらえることは、もはやある種の幻想なのかもしれません。ナイルさんが用意した人工的な環境は、素朴に自然を信じることから逃れていくしかたで、ノンヒューマンなリアリティを思考しようとしているのだと思いました、

ケティング:もうロマン主義的な自然を感じることはむずかしいですよね。時代ごとに、たとえばデバイスを使ったりして、自然をどう翻訳するかを考える必要がある。ディストピアに映るかもしれないけれど、そこに生まれるオルタナティヴな自然に感動することができる人間のプログラムも、これからは正直に見直していいのだと思います。

新しい自然としてのアルゴリズム

篠原:最後に冗談みたいな話なんですが、ぼくがティモシー・モートンを知ったのは、US版のアマゾンからのおすすめなんです(笑)。

ケティング:本当ですか(笑)。

篠原:はい。当時2012年だったのですが、次の研究の展開に行き詰まりを感じていました。そこで海外ではどのような思想が出てきているのかと、クァンタン・メイヤスー(1967−)らの思弁的実在論の関連書などをアマゾンで購入して読んでいたんです。それでもいまいちピンとこなくて、もうちょっとおもしろいものはないものかと探していると、メイヤスーを読んでいる人におすすめの本として、モートンがレコメンドされました。もちろんそこで反応している自分はいるんだけど、おすすめしてくれたのはアマゾンだったんですよ。

ケティング:アルゴリズムがもっと複雑になると、それによって自分自身ももある意味で変容するし、自分の趣味趣向すら変わっていくのかもしれない。それは怖いことでもあるけれど、それまでの自分では出会えなかったことにアクセスするスリルは、生きていくなかで求めてしまいます。ずっと安全な場所にはいられないんですよね。


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TEXT BY KOUHEI HARUGUCHI
編集者。エディトリアル・コレクティヴ「山をおりる」メンバー。建築、都市、デザインを中心に、企画、執筆、リサーチなど編集を軸にした活動を脱領域的に展開している。ロームシアター京都『ASSEMBLY』編集など。

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