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2023.10.13

ジョージアからトルコまで。漂流した土地をめぐる、ポータブル・ウルトラライトな展覧会「風の目たち The eyes of the wind」

EDIT / TEXT / PHOTO BY MOE NISHIYAMA

風に誘われて漂流するように。1日限りの展覧会以降、行き先も旅程も決まっていない。作品を恒久設置すべき「窓辺」を探し、土地から土地へ、移動を続ける20日間。アート・アンプリファイアの吉田山により企画され、昨年、ジョージア・トビリシで始まった「風の目たち The eyes of the wind」は、ポータブルかつウルトラライトな展覧会だ。今年6月、その第2回がトルコ・イスタンブールを出発点に開催された。そもそも「風の目たち」とはなんなのか。本記事では企画者である吉田山と、共同主催者、ローカルコーディネーターの藤生恭平に加え、リサーチャーとして20日間の旅程に同行した筆者(西山萌)を交え、3者の記憶からその足跡を辿る。

「風の目たち The eyes of the wind 」番外編

2023年6月1日21時55分。5cm四方に収められた20組のアーティストの作品が手製の木箱のスーツケースに載せられて、出国審査を経て預け入れ荷物として飛行機に搭乗。東京・羽田空港を出発し、約8,950km /13時間20分/2回の機内食を含むフライトを経て、現地時間6月2日朝5時15分、トルコ・イスタンブールに入国した。この木箱のスーツケースの持ち主は本プロジェクトの企画者である吉田山と共同主催の藤生恭平。

 

Yoshida Yamar(吉田山)

Art Amplifierとして、アートの増幅とは何かを構想している。主な自主企画として「The eyes of the wind/風の目たち」(freyaalt,イスタンブール,2023)、「The eyes of the wind/風の目たち」(obscura,トビリシ,2022)、「MALOU A-F」(Block House,東京,2022)「のけもの」(アーツ千代田3331屋上,東京,2021)、「芸術競技+オープニングセレモニー」(FL田SH,東京,2020)、「インストールメンツ」 (投函形式,住所不定,2020)など。

 

藤生恭平 

美術家。1989年三重県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程在籍。2022年トルコへ留学。“人が自然環境を開拓/管理していくこと”をテーマに、制作活動を行う。

ーー1日限りの展覧会の開催後、展覧会後は企画者の吉田山と共同主催の藤生によって、トルコ国内を巡り、地道に作品の恒久設置を交渉し、写真や映像でプロセスをアーカイブしていきます。

5cm四方の箱に収められた20組のアーティストの作品は飛行場の手荷物検査を通過し、遠い地に運ばれます。このように展覧会自体のテーマは、この箱に収まる必要に迫られる“不自由”であり、移動する先々の偶然によって構想が変化せざるを得ない出来事がさまざまに行われます。それは映画でいうところのロードムービーのようでもあり、演劇での“ワークインプログレス”、そしてその転用概念である、美術作品におけるプロセス自体を作品化する“ワークインプログレス”とも言い得る行いであり展覧会です。

それぞれの窓は街の景色に直結しており、外から鑑賞可能なその作品はまさにパブリックアートであり、アーティスト自体の目でもあり、そのパブリックとプライベートの境界を跨ぎつつ、その街に根付くこととなります。

その窓辺の風景はアーカイブとしてまとめられます。この展覧会記録集でもあり、とてもユニークな街歩きマップとしても機能することを構想します。(ーー吉田山による展覧会の構想より)
 

空になった木箱と共に吉田山が帰国したのは日本時間2023年6月21日08時05分。20日にわたりトルコ国内で移動を続け、20作家の作品の恒久設置を交渉し、それらのアーカイブをするというプロジェクトはどのように実行されたのか。帰国後もなお、さらなる旅路に向けて現在進行形だという本プロジェクトの性質を加味し、本鼎談は「風の目たち」番外編として収録された。収録時点トルコに拠点を置く藤生恭平(以下、F)と日本に帰国した吉田山(以下、Y)、西山萌(以下、N)がGoogle map上から任意に選び出された地点から別々に歩行を開始。200分を制限時間としてzoomのライブカメラでトルコと日本を繋ぎ、事前に20組の参加作家より募った「Question」を持ち運びながら、それらの答えを探すよう言葉の記述を行った。

【Q.01】出展作品が5cm×5cm×5cmである理由は?

N:高さ5cm×幅5cm×奥行き5cmという制約は去年、ジョージアで開かれた「風の目たち」から続いている形式ですよね。「ウルトラライト」であるという展覧会のコンセプトに加え、5cm四方という制約が設けられている理由は私も気になっていました。

Y:いわゆる公募展などのメタファーでもあるのですが、展示される空間の規模を問わず、事前に出展できる作品のサイズが指定されている場合に、どのように作品を展開可能か、考えることが面白いと思っています。ルールを定めず手荷物で作品を運ぶこともできますが、なにもかも制約をなくしたらアンデパンダン展のようになってしまう。

たとえば岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)の公募は「平面(高さ5m×幅5m)、立体(高さ5m×幅5m×奥行き5m)の範囲におさまるように考えてください」という制約があったと思うのですが、その枠組みに対してどうアプローチすることが可能なのか。フォーマットを決めた方が面白いことになるなと。

去年、この企画の第一弾としてジョージアを訪れたときは、空港でロストバゲッジが多発していると噂で聞いていたこともあり、預け入れ荷物なし、20人分の作品を手荷物のみで運び移動することを基準に、作品の最小単位としてサイズを高さ5cm×幅5cm×奥行き5cmに設定しました。小さい作品を持ち歩いていたので色々聞かれると思っていたのですが特になく、空港の搭乗窓口で予想外に聞かれたことは「荷物はそれだけですか?」「どこかに他の荷物を預けていないんですか?」ということ。カバンひとつから展覧会が開かれる面白さと、荷物が少ないことがこんなにも別の解釈の余地を与えるのかということに対して発見がありましたね。

【Q.02】どのように移動していたのでしょうか? 道中、なにをしていましたか?

Y:今年は20名の作家の作品を運ぶのに巨大な木箱*1を使いましたが、移動するごとに取っ手や蓋の留め具、キャスターが外れたり壊れたりして、その都度修理するのを繰り返していたのは苦痛でもあり面白い体験だったなと思います。飛行機に乗るときも預け入れすると壊れてしまうかもな……と思ったら予想通りちゃんと壊れて戻ってくる。

あの木箱がなければもっとスムーズに動けたなと思いつつ、重いことで道中微妙に体力を削られていくことや、壊れたパーツを修繕するためにマーケットを訪れてメタルパーツを買うことで移動の際に必ず「遅延性」が生じるというか、ずっとブレーキがかかっている状態が面白かったかもしれない。

N:ふだん生活しているなかでは移動していることによる変化はあまり感じられないというか、物理的にも変化が視覚化されることもないので、移動による負荷が明確な結果として常にあらわれているという状況は新鮮でしたね。道中を振り返ると、とくに電車やバス、飛行機などの公共機関を使った移動では接続点、切り替わる点、バスであれば乗り継ぐポイント、電車であれば駅のホーム。移動している時間そのものはあまり意識していなくて、繋ぎ目が記憶に残っている気がします。

*1「風の目たち」に出展する20名の作家作品の作品輸送箱デザインをプロダクトデザイナー・太田琢人が担当。作品輸送箱制作を木雨家具製作所が行った。

Y:1日のうち半日以上移動に費やしている日もあったけれど、移動している時間自体は大体ぼーっと風景を眺めたりしていて、移動した後にGoogleMapを見て結構移動していたんだなということに気付かされる。ここから車であと1時間走ったらシリアなんだとか。こっちへ向かうとギリシャなんだなぁとか。向こうに見えるのは違う国だけれど、あまり仲が良くないから簡単には入国しにくいとか。

地図上で見る分にはすぐにアクセスできそうだと思っても、実際には1日に1本しか船が出ていなかったりして、現地に行かないとわからない複雑さがありましたね。あとは国際免許をとってはじめて運転してみたけれど、運転席が右と左が違うことであまり感覚的な差は生まれないんだなということも一つ発見でした。

F:もともとイスタンブールではよく散歩しているのですが、今回はどこに向かうという地理的な目的地は決められていないのに、作品設置をするという“目的地”はあり、そこに向かって移動していること自体が面白かったですね。ふだんの散歩では目的地があるわけではないので、適当に歩いた先で面白いものに出会う。

今回も同じような感覚を持ちながらも、常になにかを探しているという感覚があり、作品を設置するたびに地図が広がっていくようなところがありました。行っていることとしては旅行なんだけれど展覧会でもあるということを常に意識しながら、道中は自分たちの体力によって判断が左右されて、喉が渇いたからお茶を飲もうと話しながらカフェにたどり着いたりする。そうしてだんだん移動しつつ展覧会が行われていくことが面白いなと。

【Q.03】どんな場所に作品を展示していったのでしょうか。20の作品を恒久設置するまでのプロセスについて教えてください。

N:目的地を探しているけれど、地図にはない“目的地”を探している。目的地だけれど名前がなくて、どこにあるのかも正解もわからないというような。常に動きつつ出会う環境に反応していきながら次なる目的地を探りつつ、作品を設置するときも一方的にではなく、その場所のオーナーや持ち主に交渉する、コミュニケーションをとる。断られる可能性を孕みながらも、結果OKをもらえたら作品を設置するというプロセスを取っていましたが、そもそも3人とも「ここだ!」と思うポイントをあえて言語化するならどんなことだったのかなと考えていました。

Y:動き方もスケジュールも決めていなかったから、その都度軌道を更新していく。かなり即興的な国との関わり方をしていたと思います。強いていうなら形の決まっていないパズルを解いている感じに近いかもしれない。「風の目たち」という名前は「台風の目」にもかけているのですが、吹き飛ばされていくような、風の気質を自分自身も纏えたらいいなという思いがありました。

たとえばBIENくんの作品*2も置く場所には悩むなと思っていたけれど、道中GoogleMapが変な場所に誘ってくれて。野菜や果物、古物を売り出す巨大なバザールが開催されている通りを抜けて好奇心の向くままに歩いて行ったら、海岸線を背景に土石の山とショベルカー、船が同居する小さなビーチにたどり着いた。トラックが土砂の荷下ろしをしているそのすぐ横に見つけたカフェに水と土(砂)、ガラスがあり、あ、ここなのではないかと。無軌道に動くんだけれど、色々なタイミングや要素が揃い、すべてのピースがハマる瞬間がある。

この企画自体は出会い頭であること、展示する自分たちとその土地との出会いだけではなく、のちに鑑賞する人自体もその土地で作品に「出会ってしまう」ということが面白いと思っています。今後ドキュメンテーションとして作品の設置場所を提示したときに、誰かがイスタンブールやアバノスを訪れるついでに作品を観てみようと思ったとしても探しきれない場合もあると思います。逆に何も知らない人が通りがかりで作品を見つけることもあるかもしれない。自分自身もコントロールできないようなロードムービー感があるのが面白いですね。

*2 「風の目たち」のために制作されたBIENさんの作品『なにも起こらない(ように見える)』は、2つの木彫りの小さいカップがあり、そこにそれぞれ土と水を入れて、横に並べるというもの。

N:今回は作品を一時的な設置ではなく恒久設置を前提に動いていたこともあって、設置場所を探すとき、未来のことは想像するしかないけれど、そこが過去にどれくらい続いてきた場所かということは無意識に考えていた気がしますね。即時的かつインスタントに作られた場所は、おそらくインスタントに消えていくという予感があるから、そうではなく、かつ庭師的な役割の人がいそうな場所。守られているとまではいわないけれど、常に見守る人がいるような場所というところは意識していたかもしれません。

F:作品を設置するとき、なにかその土地のオーナーと契約を交わすわけではなく、シンプルに「作品を置かせてほしい」という交渉をして作品を展示させてもらうわけですが、その半分無責任というか、相手や土地に委ねてしまう姿勢が新鮮でしたね。個人の家に置かせてもらうこともあるけれど、その人が引っ越すとなったら窓の位置が変わってしまって作品が移動することだってあるかもしれないし、その後のストーリーには責任が持てない。

Y:ひとつ重要だと思うのが、「風の目たち」は作品を置く場所の持ち主に許可を取ることで「恒久性設置を目指している」ということ。街のグラフィティのように明日消されてしまうかもしれない、というところとは少し違うところにいる、その作品のありようが面白いと感じています。「A Diamond Is Forever(ダイアンモンドは永遠の輝き)」*3というコピーと同じようなことなのですが、本質的には「永遠性」を約束することは誰にもできないですよね。結局ダイアモンドよりも先に人間は死んでしまう。

「風の目たち」でも展示の恒久性については責任を持てないわけですが、オノ・ヨーコの著書『グレープフルーツ・ジュース』で「この本を燃やしなさい。読みおえたら。」という一説にもあるように、物が残る/残らないというところにエモーショナルな部分があるのではないかということを考えています。万が一作品が風で飛んでしまっても、作品の横に貼っていた「風の目たち」シールの痕跡は残り続けるということが面白いのではないかなと。

*3 1947年、デビアスグループの当時の広告代理店N.W. AyerのコピーライターFrances Geretyによって生み出された名コピー。時を超えて輝き続けるダイヤモンドと、ダイヤモンドが象徴する「愛」の永遠性を結びつけ、消費者の感情に訴えかけたこのコピーは以後34ヶ国語に訳され、1999年、米国の広告専門誌「アドバタイジング・エイジ」によって「20世紀で最も偉大なスローガン」に選ばれた。

【Q.04】展覧会が1日だけの開催だったのはなぜですか?

Y:去年のジョージアから引き続きなのですが、自分たちが限られた日数しか現地に滞在できないなかで、誰かに在廊を任せられるわけでもありません。実際に人が来るのはオープニングだけだったりするという話もあり、オープニングとクロージングを兼ねてしまおうと。

去年ジョージアで、到着した次の日に1日だけ展覧会を開催してみて、到着した勢いで一気にすべてを見せていくという形は面白いなと思ったんですね。とくに去年は来場者の作品と展示作品を「交換する」ということを展覧会のひとつの仕組みとして考えていたこともあり、ずっと自分が会場で作品の説明をし続けるというパフォーミングアーツ性もあり、「展示」というより「上演」に近かったのかなと思います。

ジョージアに滞在していた写真家の田沼利規さんにおにぎりと日本食と日本茶を用意してもらい、プロジェクトの説明をして作品を持ち帰ってもらった初回にならい、今年も到着した次の日の初日、現地で調達した具材でおにぎりと味噌汁をつくり、1日のみの展覧会としました。

「風の目たち」では作品を「売買する」という目的を取り外したことでギャラリーでの展示方法と経済体系とは異なる分、静止したものとしての展覧会を開催することが最終目標ではないということが、2回目になってより一層明確になりましたね。1日限りの展覧会の後、移動し続けるハリケーンのように各所を巡り、最終的にまた元の地に戻ってくることで緩やかなエクスチェンジの作用があるのかなと。今後も「風の目たち」を続けるとしたら展覧会は1日にするかなと思います。

F:20個の作品が揃っている状態は一瞬しか観ることができないという状況が「風の目たち」という言葉を象徴しているなと思います。「風の目」として最初の1日だけ展示する。その後20日という日数をかけて1作品ごと、恒久設置する窓辺を探していく。台風のようなものですね。台風ってよくわからん巨大な風の塊で、日本だと南から北に行くにつれて勢力が弱まってどんどん消えていくわけですけれど、それは同時に大きな風が小さな風に形を変えて別の場所に流れていくということでもある。密度は小さくなるぶん勢力は縮小しているように見えますが、風の流れる範囲自体は広がっていく。

イスタンブールで初日に開催した20作品の展示は密度のあるものだったけれど、時間が経つにつれてひとつずつ作品がなくなっていき、同時に展覧会自体の規模やスケールは拡大していく。それが「風」という言葉にとてもフィットしていると思いますね。

【Q.05】美味しかった食べ物はなんですか?

F:全員そろってチーキョフテ(Çığ kofte)*4じゃないでしょうか。

Y:チーキョフテもいいけれど、チョルバ(Çorba)*5。パーキングエリアで買った焼きたてのナンと鳥のチョルバが良かったですね。

F:たしかにあのとき以降、鳥のチョルバは一度も会えていないかも。

N:アイラン(Ayran)と*6、藤生さんのフラットの最寄駅シシリ(Şişli)で食べたメゼショップのメゼ(Meza)*7。あとはお腹を壊していたとき藤生さんが持ち歩いていたドラゴンフルーツのジャムには助けられました。

*4 3名ともほぼ毎日食べていたトルコのファーストフードこと「チーキョフテ(Çığ kofte)」。元々「Çığ(生)+ kofte(肉団子)」のことをさすが、街中で売られているチーキョフテは生肉の代わりにブルゴルと呼ばれる細かい挽き割りの小麦が使われているヘルシーフードでもある。唐辛子のペーストやトマトのペースト、玉葱やニンニク、また香辛料などが加えられ、一見すると味噌のようなペーストが握り寿司のように捏ねられ、ザクロソースのかかった生野菜と共に包んで食べる。中には「Sushi」と書かれた手巻き寿司のような形のものを売るお店もあり各地で比べると土地の違いが垣間見えて面白い。

*5 毎日チーキョフテを食べてすぎたせいか(?)各々便秘または下痢になるなど胃腸の不調に陥っていたとき、救いの手を差し伸べてくれたトルコの味噌汁こと「チョルバ(Çorba)」。伝統的な家庭料理として親しまれ、トルコの食卓には欠かせない存在として、パーキングエリアからロカンタ(食堂)、高級料理店に至るまで、だいたいどのお店に行っても必ず置いてあるメニューの一つ。レンズ豆から作られたスープで栄養価も高く、ドマテス・チョルバ(トマトスープ)やウスナパック・チョルバ(ほうれん草スープ)、チキン・チョルバなど多様な種類がある。

*6 ヨーグルト発祥の地ともいわれているトルコの、ヨーグルトに塩と水を加えて撹拌した発酵飲料。トルコでは牛乳はほとんど見ることがないため「ラテ」などに出会うことが滅多にないが、日常に欠かせない飲み物として親しまれ、どんなお店にもドラッグストアにも置いてある。日本の飲むヨーグルトのように砂糖の甘さは一歳なく、酸味が強くさっぱりした後味。

*7 日本でいうところのおばんざい。オリーブオイルとアイランベースのものが多く、トルコの地酒ラクのおつまみとして親しまれ、扱われる食材はうずら豆、スベリヒユ、茄子、ピーマンやイカ、エビ、ムール貝などの魚介類までさまざま。オスマン帝国ではアルコールが禁じられていたため、多宗教のオスマン帝国では、イスタンブール周辺地域、カラキョイ、ガラタ、シシュリ、ユスキュダル、プリンス諸島、カドゥキョイ周辺の非イスラム教徒が、お店や居酒屋であるメイハーネでメゼを作り続け、発展させたといわれている。

【Q.06】トルコの人たちの行動に特徴はありますか? ストリートの動物と現地の人たちとの付き合い方を教えてください。

Y:すぐにチャイを飲むところかな。どこの街でもみんな大体チャイを飲んでいる。1杯30円と格段に安いぶん、チャイ屋さんが街のコミュニティスペースになっていて、いろいろなことが始まる気配を感じましたね。一方でコーヒー*8は1杯300円。飲み終わった後にカップをひっくり返して、底に溜まった粉の形状で一緒に飲んでいる人たちと占い合うフォーチュンゲームだけ妙にロマンティックでアーティスティックだなと思いましたね。それと、イスタンブールはとにかく猫が多い。1mおきに必ず猫がいる。カフェの客席にミュージアムの展示物の横、ショッピングセンターにデパート、ギャラリーにアパートメント。海岸沿いにストリート、公園に至るまで。

*8 トルココーヒーはオスマン帝国時代に皇帝が飲んでいたというコーヒーの淹れ方が踏襲されたもの。コーヒーの粉を水から煮出して粉をこさずに飲むスタイルのため、苦味が強く、上澄みを飲み、粉を残す。

F:もともとトルコは人懐っこい人が多いですが、なぜかみんな猫のことは好きですね......。場合によっては人より優遇されていることもあるかもしれない。とくにイスタンブールは街に猫がいることがあたり前すぎて風景の一部になってしまっていますけれど。ストリートにはキャットフードを入れた器と水飲み場と、段ボールや木材や布などで誰かが作ったお手製の猫の家がたくさんあります。ただ猫は自分たちの好きなところに住むので、誰かが作った猫の家には誰も住んでいない。人間が人間に猫好きですということをアピールしているものでしかなくなっているという……。

Y:それぞれのテリトリーが曖昧だからなのか、誰が作ったのかもわからない猫の家が道路の脇や家のまえに置いてあっても許容されていく感じがありましたね。だから「風の目たち」の作品も、おそらく猫の家みたいなものというか、誰かが置いたんだろうな、で済むところがある。完璧な統治がなされていないからそうしたことも成立しやすいのかなと。

 

F:それと、この質問からはトルコの枠組みをどこまでとするか、現地の人は誰かなのか? という新しいトピックが発生しそうだなと思いました。道中も話していましたが、そもそも「トルコ人」という枠組みがかなり曖昧なんですよね。建国の父と呼ばれるアタチュルクによって1923年にトルコ共和国が建国される以前、オスマン帝国以前からヒッタイト、トロイ、ウラルト、フリギア、リディア、リキア、カリア、海の民、ペルシア、マケドニア、ローマ帝国、ビザンツ帝国など多数の国や民族に取って代わられてきた歴史がある。文明的にもギリシャ文明、エジプト文明、メソポタミア文明の合流地点にあたる場所に位置しているので、昔からトルコに住んでいる友人たちも、自分はどこの系統ということは語るけれど、誰がトルコ人なの? という話になるとどこかもやっとしてしまう。外国人に対して優しいのも、そうした多民族国家であるという背景があるのかもしれない。

N:たしかに地形や風土の違いも影響しているのかなと思いつつ、食事や服装、住んでいる人たちの雰囲気も街によって全く違いましたね。とくに世界最古の遺跡、ギョベクリテペ遺跡を訪れた内陸部・アナトリア地方のシャンルウルファ(Şanlıurfa)は厳格なムスリムの人たちが多くどこか保守的な雰囲気がありました。大半の女性が黒いビジャブで全身を覆っていて、夕食を食べに街を歩いていたら驚くほど女性が外にいない。どこを探してもお酒が置いていないのも印象的でしたね。

対して地理的にもエーゲ海に面しているイズミル(İzmir)はギリシャ文化に色濃く影響を受けているせいか、食事もオリーブオイルを使った海鮮料理が中心。どのお店にもお酒が常備されていて、どことなくリゾート感が漂っている。ビジャブもファッションスタイルの一部のようになっていて、まとい方も人それぞれで面白いなと感じました。

そうしたさまざまな違いがありながら、共通していたのがモスクの広場感。モスクに入るにはビジャブが必要で、自身もムスリムではないので緊張しながら恐る恐る建物に入ったのですが、入ってみたら子供たちが走ったり遊んだり、大人も寝転んだりおしゃべりしたり、噴水を眺めている人がいたり、祈りを捧げている人がいたり。誰がどんなことをしていても、ここではすべて許されてしまうというような、そんなカオスな心地よさがありましたね。

【Q.07】展示の際の国や土地での反応の違い、とくに日本からの作品という部分で印象的な反応はありましたか?

Y:初日にイスタンブールで開催した展覧会にはたくさん人が来てくれて、聞きたいことがあれば質問してくれる。場所性を取り外したようなホワイトキューブでは、ある程度興味を持って観にきてくれている人が前提になっているということもあり、作品や展覧会に対する反応もグローバルで共通なのかなと感じました。中には村田沙耶香の『コンビニ人間』や谷崎潤一郎『陰翳礼讃』のトルコ語訳を読んでいる人や、日本のアニメのチェックリストを作っている人もいて、元々親日家が多いとは聞いていましたが、このように現代の日本文化に対して興味を持っている人は一定数いるんだなと思いましたね。

面白かったのは、展覧会の後に作品を展示する場所を探し求めて街中を移動している先々で「ここに作品を展示していいですか?」と質問した0.5秒後くらいに相手のおっちゃんが作品を手に取っていて、「俺が貼る」みたいなスピード感で設置を承諾してくれたこと。考えるスピードの圧倒的な速さと決断力が印象的でしたね。「お前たちは何者か」と問われることもなく、罠なのではと疑われることもない。シャンルウルファ(Şanlıurfa)のケバブ屋のおじさんなんてチャイをおごってくれましたしね。もし日本で同じように質問をしたら、おそらく「面倒くさいからやめてほしい」という返答が返ってくるのではないかなと思うのですが。

F:それでいうと、トルコだとむしろ「面倒くさいからやってしまえ」という感じがあるかもしれないですね。面倒くさいからNOではなく、面倒くさいからYES。船の窓に作品を展示させてほしいとお願いしたときが一番早かったですね。「早よ貼れ貼れ」と。返答までに1秒も経っていなかった。

Y:実際に「船に作品を置いても良い」と判断する権利が船のカフェスタッフの彼ににあったのかはわからないけれど、ゆるやかに「公共」という空間が広がっているんだろうなとも思いました。組織的にもあの作品が展示されているのを見て、「こんなものを展示することは許可していないぞ」と怒って外す人もいないんだろうなと。日本だったら掃除の人なんかが見つけたとしても「こんなものが展示されるなんて聞いていない」とすぐに外してしまいそうなものだけれど。

F:ときどきイスタンブールを歩いていると、背の高い壁の上の方に30cm×30cmくらいの大きさで穴が開けられただけの窓があったりするじゃないですか。あれはおそらく壁を作ってしまったけれど、ここにバスルームを作りたいから換気が必要だ!と後から壁を壊して窓にした痕跡だと思うんですね。

道中、エムレ*9からワインで有名な街があると聞きつけたとき、GoogleMapで事前に場所や道を調べたりせず、この辺にあるらしいという情報だけでとりあえず向かってみて、その周辺にいる人たちへに直接聞き取りで場所を特定していくというようなことをしていました。遊牧民的性質が関係しているのかはわからないですが、トルコの人たちの性質として、まずは先に進むことが重要だという感覚がベースにあるような気がしています。窓よりもとりあえず建物を先に建てようと。ローリングストーンズみたいに前に進んでいることを大事にしている。その前に進んでいる方が大事という考え方がこのプロジェクトには合っていたのかもしれないなと。

ただ、一方で謎のワイナリーにたどり着いたときは全員お腹が減っていて、エムレもどこが目的地かわかっていないのに、とにかくワインの有名な場所を探しているというようなことが目標になっていて。それどこなん?と聞いても、この辺にあるはずだと。目的地がわからんのに進んでいるという状況で全員カオス状態になっていた(笑)。僕はあの状況は結構面白いと思っていて、じゃぁ僕たちの目的はなんなの?ということを全員で話さなくてはいけなくなってしまったというシンボリックな状況だったなと思いますね。

*9 写真家を志す藤生のフラットメイトでありクラスメイト。「風の目たち」第2回の旅路では心強きパートナーとして旅程の後半、トルコ語の通訳・翻訳とコーディネートと車の運転をお願いした。

Y :「風の目たち」について、昨年はジョージア、今年はその隣国のトルコで開催してきたわけですが、その目的はなんなのか? 目的地はどこにあるのか? と考えることは面白いことだなと思っています。実はジョージアには友人のアーティスト庄司朝美さんが、トルコには藤生くんがいたからたまたまたどり着いたんですね。いわゆる「風まかせ」を体現することで、今回の「風の目たち」も無事(?)に土地から土地へ、さまざまな出来事の間を彷徨い続けたわけですが、風に吹き飛ばされるように遠くの景色やイベントへ吹き飛ばされることで、予期せぬ出会いやトラブルの渦に巻き込まれていく。今後もこのプロジェクトは続けようと思っていますが、なるべく決定権は風に委ねたいと思っていますね。

参加作家20名からの質問、7つに回答を終えたところで制限時間は終了。この対談で20日間の全容を掴むことはできないが、「風の目たち」に出展する20人の作品は、イスタンブールを中心としたトルコ全20箇所で鑑賞可能。展覧会記録集でもあり、街歩きマップとしても機能することを構想した窓辺の記録、及び設置作品のアーカイブは目下編集作業が進められている。第2回を経て「風の目たち」はこの先どこに向かうのか。目的地なきロードムービーは次なる土地に向けて準備を進めている。

風の目たち/The eyes of the wind Vol.2

会場:Freyaalt 
住所:Çukurcuma Cami Sokak No 7 D:6 Beyoglu, Istanbul, Istanbul, Turkey.
会期:2023年6月4日 14.00-20.00 (その後、街の窓辺に恒久設置)
出品作家:Ahmed Mannan/淺井裕介/BIEN/藤生恭平/布施琳太郎/堀裕貴/石毛健太/石崎朝子/市原えつこ/築山礁太/木村和希/岸本望/近藤尚/松田瑞季/メグ忍者/寺内大登/トモトシ/羽香/山川陸/吉田山/米澤柊

企画協力/現地コーディネート:藤生恭平+Fırat Yusuf Yılmaz
アシスタント・ディレクター:原ちけい
リサーチャー:西山萌
グラフィックデザイン:奥田奈保子(NiNGHUA)
作品輸送箱デザイン:太田琢人
作品輸送箱制作:木雨家具製作所
企画構想:吉田山

主催:FLOATING ALPS LLC 

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EDIT / TEXT / PHOTO BY MOE NISHIYAMA
編集者。多摩美術大学卒業後、出版社を経て独立。編集を基点にリサーチ・企画設計・場所づくり・書籍制作・メディアディレクションなど。アート、デザイン、音、土木、都市などメディアを横断し、雑誌的な編集を行う。 https://lit.link/moenishiyama

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