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未来の神話をつくる人々

2018.07.20

池上高志×宇川直宏が語るALife-ビヨンセCoechellaライブに見た生命の躍動と暴走(前編)

池上高志(ALife研究者)×宇川直宏(DOMMUNE)

2018年の現在、「ALife(人工生命)」を生み出すことは可能なのか? その探求はどんな意味を持つのか? 日本でALife研究のリードを取る東京大学の池上高志は、今年7月、日本発の国際学会「ALIFE 2018」を主宰する。これまで欧州と北米・中南米で開催されてきたALife学会が初めて統合する歴史的なカンファレンスだ。いま、池上らが志向するALifeとは何か? かねてより池上と交流があり、自身のアート活動において死と生命のあり方を探求するDOMMUNEの宇川直宏と対談を行った。

池上高志
東京大学 総合文化研究科 教授。PhD. 物理学。複雑系・人工生命の研究のかたわら、渋谷慶一郎、evala、新津保健秀らとのアート活動も行っている。著作に、『生命の進化的シナリオ』(朝倉,共著1998)、『動きが生命を作る』(青土社2007)、『生命のサンドウィッチ理論』(講談社 2013) 、アート作品に、Filmachine (YCAM, 2006), Mind Time Machine (YCAM, 2010), Rugged TimeScape (Foil, 2010), Sensing the Sound Web (2012), Bird Song Diamond (Tsukuba, 2014, 2016) などがある。
http://sacral.c.u-tokyo.ac.jp/

宇川直宏
1968年香川県生まれ。京都造形芸術大学教授。映像作家、グラフィックデザイナー、VJ、文筆家、そして「現在美術家」……幅広く極めて多岐に渡る活動を行う全方位的アーティスト。既成のファインアートと大衆文化の枠組みを抹消し、現在の日本にあって最も自由な表現活動を行っている。2010年3月に突如個人で立ち上げたライブストリーミングスタジオ兼チャンネル「DOMMUNE」は、開局と同時に記録的なビューアー数をたたき出し、国内外で話題を呼び続ける。2019年、瀬戸内国際芸術祭にてDOMMUNEの最新プロジェクトを展開予定。

AIは道具で、ALifeはドラえもん?

ALife(人工生命)の目的は、「生命を人工的に作り出す」ことだ。さながらSFの世界とも思える研究活動が、いま新たな盛り上がりを見せている。1986年にアメリカの理論物理学者クリストファー・ラングトンが命名して最初のブームが起きてから約30年、ここ数年のビッグデータやAI技術の発展などが契機となってALifeに新たな可能性が見出されるようになっている。

宇川直宏(以下、宇川):今日は池上さんと「人工生命」のお話ということで、過去の池上さんのインタビュー記事などから予習してきました。

池上高志(以下、池上):ありがとうございます。

宇川:以前、池上さんにALifeとは何かと問うてしっくりきたのが、ドラえもんの例だったんですね。例えるなら、四次元ポケットから出して来るひみつ道具はAIだと。つまりどこでもドアもアンキパンもスモールライトもAIで、ドラえもんこそがALifeであると。

池上:そう、ALifeはコンピュータなどの非生命からいかに「生命」が立ち上がるかを研究する学問であって、人間に有用な技術の話ではないんですよ。いま多くの人が躍起になっているAIはあくまでドラえもんが出してくれる道具であって、それをのび太にどう渡すかが重要なわけじゃないですか。何でもかんでも簡単に道具を渡していてはダメで、人間ののび太を教育していく必要がある。そうした(機械と人間の)関わり合いを作るには、Intelligence(知能)ではなくLife(生命)という大きな箱が必要なんです。

宇川:変化する環境との関わりの中で、パーソナリティは形成され、社会との関係性のもとに、確固たる自己同一性を保つことがアイデンティティならば、関わり合いをつくることは、生命をイメージする上で、大変重要なテーマですね。

池上:環境に相互作用するという意味で、ロドニー・ブルックス*が開発したルンバはすごく生命っぽくて、人間との新たな関係を生み出しているとも言えるわけですが、やはり最終的に生命ではない。

(編集注:ロドニー・ブルックスはルンバを開発したiRobotの取締役兼CTO。人工生命の研究に大きな影響を与えた人物であり、今度のALIFE 2018にも登壇する)

宇川:あくまでIntelligence(知能)の一種でしかないですよね。

池上:ではそこに何が足りないのか。天馬博士じゃないけど、アトムを蹴っ飛ばす勢いで「なんでこいつら生命にならないんだ」と考えるしかない。ブルックスのルンバはなぜ生命にならないか。それはブルックスのジュースと呼ばれている。ALifeの研究はそれを探さないといけない。つまり、それを振りかけると生命になる「最後の一滴」を探しているわけです。

Coechella2018のビヨンセに見た「生命」の躍動

宇川:今日の対談は、まさにそのフレッシュなジュースへとたどり着く経路をいかにイメージしていけるかが鍵になると思っています。最近の池上さんのインタビュー記事で語られていたのは、「過剰性と生命」の問題でしたよね。生命の過剰性ではなく、過剰性と生命。それには池上さんがずっと語られてきたマッシヴ・データ・フローという概念が紐付いてくるわけですが、それを素人の自分がどう捉えようかと考えていたときにひらめいたのが、ちょうど昨日(※インタビューは4月17日)全世界でストリーミングされた、Coechella2018のビヨンセのライブです。あれ、観ました?

池上:観てないけど、そんなにすごいの?

後に「Beychella(ビーチェラ)」と呼ばれることとなったライブ。Wikipediaには「Beyoncé 2018 Coachella performance」のページが登場し、その歴史的1日が記述されている。ライブ全編は未公開だが、ダイジェスト映像はBeyonceのinstgram で公開。

宇川:あらゆるメディアが、あの日のビヨンセはCoechellaそのものよりも偉大だった、ウッドストックやモントレー・ポップ・フェスティバルから連なるライブ史を塗り替える歴史的瞬間だったと評しています。まずどういうものかというと、ダンサーが100人いて、ピラミッド状に整列しながら踊っている。そのピラミッドをかき分けて女王ビヨンセが後光を放ちながら登場し、圧巻のパフォーマンスを繰り広げるわけですが、先ほどの話につなげるならば、ビヨンセ自身の自己同一性を明確に打ち出し、更にはそこから「ブラックカルチャーの歴史」を自らに投影する試みでした。エジプトの王妃であるネフェルティティ、プロテストの象徴であるレイズド・フィスト、ブラックパンサー党、そして、ビヨンセのアイコンである蜂。衣装に縫い込まれたエンブレムに記号として描かれたそれら物語を100分のステージで激しくアジテートするわけです。

そのライヴストリーミングを目撃した自分の中には「この現象は一体何なのか?」「この内側から沸き起こってる感情の正体は一体何だ!?」.......そんな思いが自然とこみ上げてきたわけです。そしてライヴ中盤になって「これは生命の躍動を浴びることによって生まれた素直な感動なんだ」と思えてきました。

池上:面白いね。

宇川:マイケル・ジャクソンやマドンナやレディガガが作ってきたアメリカのエクストリーム・エンターテインメントの世界観を一夜にしてUPDATEしてしまった。その原動力は何か? その正体はテクノロジーでも超魔術でもありませんでした(笑)。この日僕はアンリ・ベルクソンが「創造的進化」で唱えたような生命の進化を推し進める根源的な力を見せつけられた気がしたんです。つまりこのエネルギーは、池上さん言うところの生命とその過剰性から鳴っているものなのではないかと? そしてそれこそが「生命の躍動」の本質で、躍動は当然共振するので、我々の魂も揺さぶられ、そこに感動が生まれる。だからこそビヨンセに超越的な何かを感じてしまったのだろうと。

生命は不完全で、暴走する

池上:躍動性というのは、去年のアルスエレクトロニカ・フェスティバル(テーマは「AI: The other I」)でも感じたことで。展示された作品群の中で、テーマがAIにも関わらず、AIをまったく使っていない無骨な機械のほうがはるかに威力を感じたんですよね。それを身体性の問題だけに収束させるとつまらないんだけど、(ハードウェアの)機械から(ソフトウェアの)コンピュータに移行したときに失われたものは何かというと、ひとつは「暴走性」だと思うんです。

宇川:暴走性?

池上:そう、制御できない状態がどこかで担保されている。制御できなさをどこかに殺さず保つことで成立している形がある。人間の体はもちろんそうだし、機械にもそれがある。一方で、コンピュータの知能は制御する方向にも向かっていて、いま人間における技術はあらゆることをコントロールしようとしていると思うんです。でもそのビヨンセの話を聞くと、何かが暴走して、開いてしまっている

宇川:なるほど暴走ですか。ブラックパンサーではなく、ブラックエンペラーの方ですね(笑)。確かにビヨンセのこのライブは100人の過剰な生命がほとばしっていましたので、常軌を逸していたと言えると思います。そのカオスを制御できるのが宇宙でビヨンセただ一人であった。そう考えると背景には物語として暴走が潜んでいるのだと思います。また、そのビッグデータ(100人のダンサーとマーチングバンド)から立ち上がってきた秩序が、ビヨンセであったと捉えれば、これは、マッシヴ・データ・フローそのものだともイメージできます。そういえばアルスエレクトロニカの今年のテーマは「Error」らしいですね。ぼくもアルス側からお題を振られて、いろいろと提言したのですが、AIを扱った翌年にエラーというキーワードを出してきたのは連動性があって素晴らしいな、と。

アルスエレクトロニカ、2018のテーマは「エラー – アートの不完全性」
昨年のレポートはこちらから

池上:生命はエラーなくしては進化しないですからね。進化のアルゴリズムは、自己複製のエラーを使って新しい地平へと進んでいく。一方でいま流行っているディープラーニングの基本は、人間が与えた正しい方向にとにかく学習させて収束させていく制御の方法なので、エラーは良くないものとみなされる。一方で進化は常に何かを壊していくプロセスだから。

宇川:ディープラーニングは基本、ベイズ統計ですからね。「創造的進化」とは文脈が違いますよね。精神的エネルギーや熱狂の本質は深層学習だけでは絶対身につかない(笑)。それを考えると、やはりビヨンセのあの「生命の躍動」が生み出した熱狂は、実は池上さんの言うように、混沌や、不確定性、そしてエラーによって支えられていたのかもしれませんね。逆説的に言えば、それこそが「絶対的自由」の正体である、とも考えられます。とにかくCoechellaでのビヨンセのパフォーマンスは、ALifeを考えるヒントになると思っています。

池上:わかりました、見てみます(笑)。生命の発生も、美しい遺伝情報が作られ、スマートに発生したわけではなくて、混沌とした化学スープの中から、複雑で冗長な最初の生命が生まれたんだと思います。だから清潔な化学反応ではなくて、猥雑な化学反応実験(messy chemistry)をもっとやったらいいのだと思います。そのなかに「創造的進化」、「生命の躍動」が培われるのだと。

宇川:そのように生命とは何か、そして「生命の躍動」の根源を模索していたときに、「セロトニンの効果」と説いている人がいて、面白いなと。セロトニンのように不安を取り除く脳内物質が発生しているときは、何らかの力が充満している状態とも考えられますよね。そのエネルギー自体が躍動の根源的な力の一つである、と。またセロトニンは、リズミカルな運動によって齎される脳内ドラッグなので、ビヨンセのあのステージは100人のセロトニンハイを見せつけられた状態だとも言えるわけです(笑)。これは新手のブラック・サマー・オブ・ラブです(笑)。それはまた、今注目されているマインドフルネスの状態だともいえますね。いま自分自身がそこに立っているという実感が充満し、自己が安定している状態ですね。

池上:「いま、ここ」をただ受け入れる感覚ですね。ぼくは「Being There」という表現をよく使いますが、それは生命の議論と切っても切り離せないものだと思います。生命を機能的にとらえるのではなく、生命の持つ存在感、何かある感じを捉えようとするものです。あと、先ほどエラーの話がありましたが、生命には完璧な形っておそらくないじゃないですか。100人の人間がいたらそれぞれに固有の特徴があって、そもそも人間ないし生命というものはインパーフェクトなんです。元々、エピキュロスが言うように世界の本質はズレることにある。ズレから生まれる秩序がカオスであり、生命であると。

フランケンシュタインの鍵は「醜さ」にあった

宇川:なるほど。その話でいうと、メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』を思い出します。ぼくは、あの古典が今でも強い影響力を持ちえているのは、フランケンシュタインの生んだ怪物が醜かったことに秘密があると考えています。怪物は豊かな知性を持っていたにもかかわらず、その容姿の醜さゆえに迫害を受ける。

もし怪物がジャニーズに入れるくらいイケてたとしたら、ある種の呪術性は漂白されて、トレンドの亜種にしかならなかったでしょう。その場合、過去の誰かがつくった美意識の俎上に立った記号的な存在でしかなく、本質的な生命のエネルギーである野生は語り継がれなかったかもしれません。余談ですがドラマ版の「怪物くん」は、そういえば嵐の大野智くんが演じていました(笑)。しかしそれ以前に人工生命は、そこに自立した意識が宿っていれば、肉体などから完全に切り離されて、信号や波形として生きても良いわけですからね。そして波形にも信号にもそれぞれ違った容姿があるわけです。

イギリスの小説家メアリー・シェリーが1818年に匿名で出版した小説。原題は『フランケンシュタイン あるいは原題のプロメテウス』。なお、フランケンシュタインとは怪物をつくりだした科学者の姓である。

池上:生命の本質のひとつに、生への強い「モチベーション(意欲)」あるいは「欲(WANT)」があると思いますが、おそらく怪物が美しかったら、コンプレックスや抑制がないから、生命にとって最も重要な「WANT」が生まれなかったのかもしれない。では、AIは人間の与えた評価軸で動くけど、ALifeを動かすものは何か? AIは何かを欲するのか。AIに心は宿るのか。ビヨンセたちはガンガン踊っていたけど、彼女らを踊らせるタネがまだわからないんですよ。でも、思うにアートは常にそのタネを追求しているんだよね。

宇川:そこでエラーとアートの問題がつながってくるような気がしますね。フランケンシュタインの怪物がもし美しかったら、落合陽一くんのデジタルネイチャーの発想と近いですが、最終的には自然生命に溶け込んでいたはずだと考えられます。しかし、人間に無償の愛と沢山の恵みを与えてくれるそんな「自然」も、突如「大自然」へと豹変し、バイオレントな猛威をふるう畏怖なる存在となる。このようにエラーは、絶対制御不可能な「大自然」というフレームを想定すると浮かび上がってきます。

池上:でも宇川さん、エラーというのはあくまで概念であって、本来自然界にエラーは存在しないでしょ。間違った化学反応というのはありえないじゃないですか。

宇川:もちろん、自然の側から捉えるとエラーではありませんよ。あくまで、現代人のぼくらが捉えている共生可能な「自然」が、突然共生不可能な「大自然」へとその表情を変えた場合、人間中心主義的視点から捉えると、大地震や津波のような現象は、自然災害、つまりエラーとして捉えてしまう、という意味です。

池上:なるほどね。たしかに人工生命というのは元々自然に逆らおうとすることから始まっていますからね。でも、その自然環境に逆行し、システムを環境から切り離してみることで、そこにエラーという概念が発生する。世界との新しい関係の作り方や相互作用が生じる、それこそが人工生命でもあると。

宇川:要するに、究極の「不自然」が、アートであり、ALifeであるということだとも捉えられます。どちらも人工であるがゆえに…….。

後編に続く)

作って動かすALife――実装を通した人工生命モデル理論入門

作って動かすALife――
実装を通した人工生命モデル理論入門

著:岡 瑞起、池上高志、ドミニク・チェン、青木竜太、丸山典宏 

2018年07月28日 発売予定

 

CREDIT

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TEXT BY ARINA TSUKADA
「Bound Baw」編集長。編集者、キュレーター。「領域を横断する」をテーマに幅広く活動する。サウンドアーティストevalaのサウンドプロジェクト「See by your ears」マネージャー。2010年、サイエンスと異分野をつなぐ「SYNAPSE」を若手研究者と共に始動。12年より、東京エレクトロン「solaé art gallery project」のアートキュレーター。編著に『マリー・アントワネットの嘘』(講談社)『メディア芸術アーカイブス』『インタラクション・デザイン』(BNN新社)、ほか「WIRED」など執筆歴多数。 http://arinatsukada.tumblr.com/
Rakutaro
PHOTOGRAPH BY RAKUTARO OGIWARA
写真家。1991年 スウェーデン生まれ。2010年 多摩美術大学芸術学科入学。この頃から写真を撮り始め、2015年に中途退学。フリーランスの写真家として活動中。 http://raku-taro.tumblr.com/

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