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2020.04.15

露悪的でシニカルなものも時には必要。キュレーター山峰潤也の「展覧会のつくりかた」

TEXT BY HARUKA MUTA,PHOTO BY ASATO SAKAMOTO

露悪的でシニカルなものも時には必要。キュレーター山峰潤也の「展覧会のつくりかた」

アートサイエンス学科の特別授業「未来の箱舟教室」のゲストには、キュレーターとしてメディアアートをはじめ多方面にわたる展覧会やプロジェクトを手がける山峰潤也氏が登壇した。テクノロジーの発展によって新たな表現が可能になる一方で、人々が無意識のうちにメディアから受けている影響やバイアス、インターネットが常態化した現在と未来について、クリティカルな視線を持つアートの意義を語ってくれた。

想像力の外側に目を向ける―「見えない世界の見つめ方」展

僕はキュレーターとして、主に展覧会をつくる仕事をしています。美術館の学芸員というのは大抵、美術史や美学などを学んでから進むものですが、僕の場合は美大で映画やビデオインスタレーションをつくっていました。そんな僕が展覧会を企画するときは、美術史や美学的問題に言及するだけではなく、いまの社会に対する自身の問題意識を端緒とすることが多いです。

体系立てて学んできたわけではないので、専門領域という言葉は使いづらいですが、メディア発達史やメディア社会学、メディオロジーといったものに興味を持ってやってきました。その中でもとりわけ、世の中にステレオタイプを振りまく「マスメディア」とは異なり、個人の声を拾い上げるオルタナティブなメディアや、時代ごとのメディア環境に対するアーティストたちの表現に関わる仕事をしてきました。

中でも考え続けているテーマは「バイアスからの自由」。僕たちはテレビやインターネットいったメディア環境や社会のなかで「世の中ってこうだよね」という、さまざまなバイアスが刷り込まれています。でも、果たして本当にそうなのか。固定観念から解放されることはできないのか、そのときメディアが与える影響について常に問いかけたいと思っています。

キュレーターとしてのキャリアを東京都写真美術館で始めたのですが、2年目の駆け出しだった2011年に企画したのが、「映像をめぐる冒険 vol.4 見えない世界の見つめ方」という展覧会です。メディアの発達が、人々の思い描く世界像にどのような影響を与えてきたのかをテーマとしました

たとえばNASAがアポロ計画(1961〜72年、月面着陸は1968年)で撮影した地球の写真があります。世界中の人々はこの写真を見て初めて「地球が青い」ということを納得したんです。実はこれより前にソビエトの宇宙飛行士であるガガーリンが「地球は青かった」と発言しています(1961年、世界初の有人宇宙飛行に単身搭乗した)。それでも、実際に写真を見て、初めて地球の「青」を人類は知ったんですね。それぞれの人が想像して、バラバラのイメージを持っていた。そこにひとつのクリアなイメージが提示され、地球と言われた時に同じ像を思い描くことができるようになった。これってメディアの力だと思うんですよ。視覚的イメージというのはそれだけインパクトが強いんです。

あるいは、1/1000秒を捉えることのできるカメラが開発されて、ミルククラウン(牛乳などの液体にしずくが落ちると王冠のように見えること)の写真も撮れるようになる。メディア技術が発達することによって、人々はより高度なセンサーで世界を理解できるようになっていくわけです。

アポロ8にて宇宙飛行士ウィリアム・アンダース撮影、1968年

一方で数学や物理学が発達すると、コペルニクスの地動説のように、計算や理論によって世界のかたちを推測するようになります。それを実証する段階で、メディアが用いられるんですね。こうしたことのなかで、人々が思い描く世界像は徐々に変化してきました。

つまりこの展覧会のタイトルである「見えない世界」というのは、人間の想像がおよばない世界をどうやって見ていくのか​、その具体的な実践はどのように行われてきたのかを考えようという試みなんですね。そこには日常に見ている「当たり前」のものたちによって、どれだけ僕たちの考え方が支配されているのか、という問いがありました。

メディアアートはマスメディアに抵抗する手段になる

次にご紹介するのは、2018年に水戸芸術館で開催したアーティスト中谷芙二子さんの展覧会「霧の抵抗」展です。

中谷さんの代表作は霧を発生させる装置を使ったインスタレーション作品なのですが、なぜ彼女を取り上げたかというと、メディアがもたらすバイアスに対して非常に強く抵抗してきた方だからです。中谷さんは70年代から、ビデオアーティストのパイオニアとして活動を始めました。その頃のビデオ・アートというのは、マスメディアがつくり出すステレオタイプから逃れつつ、個人の視点に立脚した見方や表現を提示するメディアだったとも言えます。。

いまはインターネットやSNSで当たり前のように個人の意見を発信できますが、当時はマスメディアに与えられる情報をただ浴びるしかない時代。そうしたメディアを通じて個人が洗脳されることに対して、中谷さんをはじめとするビデオアーティストが抵抗していったわけです。

70年代という時代はいま見ても非常に興味深いです。大量生産・大量消費が推奨され、社会の中心が経済になっていくなかで、自分たちで作り出す力を失った「消費者」になってしまうのではないか。その抵抗からDIYカルチャーが生まれましたし、ネットワークを介した情報共有から「知の解放」を提唱するエンジニアがいた時期でもあります。

アートの世界でも、60〜70年代は強い力に抵抗していく時代でした。権威的な芸術に対する反芸術運動や前衛芸術運動が起こっていきます。こうした時代を背に、テクノロジーもどんどん発達していきました。そのテクノロジーを生み出すエンジニアのなかに、自分たち自身の価値観をつくりあげていかなければ、軍事・商業・政治的な道具になってしまうという危機感を覚える人たちが現れます。

そのなかのひとりが、ベル電話研究所の研究員であるビリー・クルーヴァー。彼はエンジニア、アーティストが集結「Experiments in Art and Technology(E.A.T.)」という集団をつくりました。そのチームが大阪万博でペプシ館をデザインすることになったんですね。そこでE.A.T.は中谷さんをプロジェクトチームに加えて、パビリオン全体を霧で覆うプロジェクトを実現し、「霧の彫刻」という作品が生まれます

◉参考(山峰氏寄稿記事)
霧の彫刻とビデオ・アートからみる、アーティスト 中谷芙二子に通底する哲学

人と自然の信頼関係を紡ぎ直す

「霧の抵抗」展の会場冒頭には、こんな中谷さんのメッセージを掲げました。

いま、切実に問われているのは、人間と自然の間の信頼関係ではないかと思う。私たち都会人は、ペットボトルの水しか信用しなくなってしまった」(「応答する風景 霧の彫刻」-『建築雑誌』Vol.111,No.1389 1996年5月号、日本建築学会 55頁より)

昔の人は川や井戸の水を飲んでいたわけですが、現代人は製品化された水しか飲めない。それだけ自然と人間とが分断されたという話でもあるし、「製品化されたもの=安全」という刷り込みが、メディアによってつくられたという話でもある。そうした問題意識をもつ中谷さんの「霧の彫刻」は、
都市空間にいながらも、自然や見えない空気が持っているダイナミズムが伝わってくる作品です。

中谷芙二子「霧の抵抗」展 水戸芸術館、霧に包まれる広場
《シンコペーション》崩壊シリーズより 2018

中谷さんは自身もアーティストとして活動をする一方で、ビデオギャラリーSCANという80年代に入るとビデオ専門のギャラリーを80年につくります。そこでは、当時最先端のビデオアーティストの個展やNYのアート・シーンのビデオレポートの鑑賞会が開かれ、また、若手アーティストの公募展なども開かれていました。

つまり若手からすると、最先端のアートの動向を知ることができて、作品発表の機会も得られる場所だった。そして、その場では世代を超えて集まった人たちが食卓を囲んで議論している。そこには、文化を醸成するアンダーグラウンドがあったんですね。そこに関わっていた方々が、その後、メディアアートや映像文化の立役者になっていったので、その後の新しいカルチャーの鳴動を引き起こしたひとつの拠点として考えることができますね。

商業化するメディアアートへの応答

ビデオ・アートやメディアアートは、70年代にマスメディアや大衆化されたものに対するカウンターカルチャーとして起こってきたものでした。時代を経て、1998年には日本で「文化庁メディア芸術祭」が始まります。僕も2年ほど事務局にいたのですが、このフェスティバルは日本のクールジャパン戦略と結びついていたので、アート部門の他に、エンターテインメント、マンガ、アニメーションといった部門があります。

これらは確かに、日本の強いコンテンツですが、ここに引っ張られるような形でアート部門の作品にもある種のわかりやすさが求められるようになりました。その結果、批評性を持った作品が入りづらくなっていったのではないかと。確かにメディアアートは、新しい技術を使った表現の実験場という側面もありますが、メディアの持つ政治性を暴き出していくという批評性がアートという文脈の中で位置付ける上では重要だったと思います。ですが、メディア芸術祭という環境の中で、批評性をもったメディアアートが醸成されるわけではなく、むしろ、テクノロジーをつかった派手で新鮮味のある仕掛けをつくって人を興奮状態にするエンターテインメントのシードとなるものが求められるようになっていった。確かに、経済原理を軸に説明することが一番伝わりやすい世の中ですから、メディアアートから生まれたアイデアからビジネスになりますよ、という方が話しやすいんですよね。

だけど、そうすることで、メディアアートという言葉の意味が変わってしまった。であれば僕は、メディアアートという言葉を使わずに、メディア批評をテーマにした展覧会を作ろう、という気持ちをもつようになっていったんです。そして、テクノロジーがこれからどんな未来をつくっていくのか、またはどんな問題を起こすのかといったことをSF的にではなく、現実的な問題として捉えることの重要性を考えるようにもなっていきました。進歩主義に基づく技術発展とインターネットが常態化した社会というものを批評的な視点から捉えたいなと

かつてはインターネットが普及すれば、ローカルな情報発信基地がたくさん出てきてメディアの民主化が図られるといわれていました。でも現状はそうなっていない。GAFA(Google、Amazon、Facebook、Appleの頭文字)のようなアメリカ超巨大企業が国境を超えたある種の支配層になっていたり、ケンブリッジ・アナリティカというアメリカの企業がFacebook上の個人情報を集めてドナルド・トランプに有利な情報を流し、大統領選挙に多大な影響を与えるといったことが起こっています。かつてはテレビを通して色々なバイアスを受けていましたが、いまはSNSを介して自分たちの感情や思考が扇動されるということが起こっているわけですね。それってすごく怖いことだと思っていて。

こうした現代をどう見るか。テクノロジーのもたらす影響に関する批評的な未来を描くアーティストは世界中にたくさんいます。アルスエレクトロニカをはじめ、人間とテクノロジーの関係について問いを発するような展覧会やフェスティバルは各地で開催されています。でも日本にはそういう展覧会があまりない。それなら自分でやろうということで、「ハロー・ワールド」という展覧会の準備を始めました。

テクノロジーの生み出す未来を考える「ハロー・ワールド」展
セシル・B・エヴァンス《溢れだした』(2016年)
Courtesy of the artist and Emanuel Layr Galerie, Vienna Photo:山中慎太郎(Qsyum!)

たとえば、これはロボットのペッパーと液晶モニターに登場する人物たちが繰り広げる18分間完全自動の演劇です。AIで動くヴァーチャルなアイドルが、現実世界に影響力を持ち、そして殺されたという報道が騒動になっていく、という物語なんですが、人間と人間が作り出したものとの境がなくなっている、という状況から考えられるものがあります。そして、この物語上の報道では嘘の情報が流れ、さまざまな憶測がさらに間違った情報を再生産しながら感情を扇動していく。作品全体は近未来の状況をさしているようですが、こうした展開は現在のフェイクニィースの構造を批評的に捉えています。

エキソニモ《キス、または二台のモニタ》撮影:山中慎太郎(Qsyum!)

あいちトリエンナーレでも話題になったエキソニモの《キス、または二台のモニタ》は、キスをするような表情が映っている画面が表示された2つのモニタを重ね合わせることで、実際にはキスをしていないのだけど、キスをしていると思わせる作品です。展示状況が連想させることと、しかし、モニタを重ねているに過ぎないという実際の状況とにメディア的なレトリックがあるわけです。

他にも、監視社会やブロックチェーン、SNS依存、フェイクニュースなどをテーマにした作品を展示しました。「ハロー・ワールド」はかなり露悪的な展覧会だとも思います。けれど、公立の美術館で展覧会を企画する際に「クリーンでポジティブでないといけない」というバイアスを感じてきたのですが、そこから解放されたオルタナティブも提案したいなと思っています。

この展覧会を考える上で基本となったのが、情報哲学者の西垣通氏の著作『思想としてのパソコン』にある、「テクノロジーはパワーである」という言葉です。

科学者・エンジニアはさまざまなテクノロジーをつくりだすけれども、それを使うのは別の誰かである。そこで起こった事象に対しては、ユーザーに責任があるといっても、テクノロジー自体がパワーを生み出すものである以上、リスクは常につきものだと主張しているんですね。

この本に出会って、僕もパワーとどう向き合うかを考えることが必要だと思うようになりました。そして同時に、聞こえがいいものや、わかりやすいものに内在する力や扇動力を改めて考えるようになりました。そのパワーの方がむしろ、人々が気づかないうちに世界に浸透して、作り変えてしまう力があると思うし、そういうものの方が恐ろしい。だから、僕は、露悪的で毒々しかったり、シニカルなものの方がよっぽど正直で優しいと思うんですよね(笑)。

今日の授業はここまでです。ご静聴ありがとうございました。

CREDIT

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TEXT BY HARUKA MUTA
福岡県出身。現在は京都を拠点に、フリーランスのライターとして活動中。暮らしに関する実用書から医師や大学教授へのインタビューまで、幅広い案件を手がける。関心のあるテーマは脳、幻想文学(澁澤龍彦)、植物。
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PHOTO BY ASATO SAKAMOTO
プロデューサー、クリエイティブディレクター、撮影監督。2006年、大阪にてセレクトショップを開業後、シルクスクリーンスタジオを併設。同年デザインオフィス CUE inc.を創設し、手塚治虫からスタンリー・キューブリック、釣りキチ三平まで、音楽、映画、マンガ、アニメなど幅広い商品開発を手掛ける。2013年、写真・映像制作に特化したMEDIUM inc.を設立。ダレン・エマーソン、トレヴァー・ホーンなどの音楽家や電子楽器メーカーRolandのドキュメンタリー映像制作を手がける。現在、デンマーク発のアートマガジン「PLEHORA MAGAZINE」の日本エージェント「REC TOKYO」のクリエイティブディレクターを務め、ヨーロッパを中心にさまざまなアーティストの企画展を展開する。

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