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2017.06.02
【後編】霧の彫刻とビデオ・アートからみる、アーティスト 中谷芙二子に通底する哲学
TEXT BY JUNYA YAMAMINE
前回の記事で紹介した、テート・モダンの新館で発表された中谷芙二子の新作《Fog sculpture #03779 "London Fog"》は現代のライブ・アートにおける重要な機会になったと言える。しかし、中谷は70年の大阪万博でE.A.T.(芸術とテクノロジーの実験)の一員としてペプシ館を霧で包んで以降、世界各地で作品を発表し、歴史的な場面を幾度なく創出してきた。また70年代以降にはビデオ・アーティストとして活動してきたが、その全容はあまり知られていない。科学とアートを越境するアーティストの、膨大な活動の一端をここで紹介する。
霧の彫刻家、中谷芙二子
中谷芙二子は、ノースウェスタン大学でファイン・アートを専攻して絵画を学び、1964年には、ロバート・ラウシェンバーグがマースカニングハム舞踊団とともに東京を訪れた際に、彼らをサポートしたことをきっかけに親交を深めていった。それから数年後、ベル電話研究所のエンジニアであったビリー・クルーヴァーからE.A.T.の大阪万博ペプシ館でのプロジェクトへ誘われたことが、中谷の名を世界に知らしめた《霧の彫刻》の始まりである。
70年の大阪万博で発表された《霧の彫刻》は、会期の短縮を余儀なくされたためにすべてを実現できなかったものの、土方巽、ロバート・ホイットマン、デヴィッド・チュードア、粟津潔、小杉武久、寺山修司、東野芳明らが参加者に名を連ねた伝説的なものであった。
その後も、トリシャ・ブラウン・カンパニーやビル・ヴィオラとの共作、そして2000年以降にはグッゲンハイム・ビルバオやエクスプラトリウム(サンフランシスコ)での恒久展示など、約50年にわたって《霧の彫刻》は発表され続けてきた。展示場所や参加してきた人物を鑑みれば、その活動それ自体がもはやひとつの歴史の領域である。
雪の科学者、中谷宇吉郎
もちろん、過去の展示の一つひとつに物語があり、その細部については然るべき機会に紹介されるべきだろう。しかしこの《霧の彫刻》が表象する思想的背景を考察する上で、中谷の父であり、科学者である中谷宇吉郎の存在を欠かすことはできない。
宇吉郎は、北海道帝国大学時代に人工雪の製作に世界で初めて成功し、晩年にはグリーンランドに赴いて氷床コアから太古の地球の歴史を読み解く研究を行っていた。これらの研究は、「雪は天から送られた手紙である」という宇吉郎の言葉の示す通り、自然の声なき声に耳を傾ける姿勢の表れである。
こうした思想は、自然への畏怖をその信仰で表してきた日本的自然観に裏打ちされてきたものであり、自然を科学の力で支配しようとしてきた技術信仰による進歩主義へのアンチテーゼと捉えることができるだろう。そしてその思想は、美術の様式や人間の都合に押し込められることを拒みながら、自然のダイナミズムを表象する《霧の彫刻》にも見ることが出来る。
ビデオ・アートと中谷芙二子
中谷宇吉郎から受け継がれてきた技術的進歩主義に対する姿勢は、《霧の彫刻》のみならず、ビデオ・アーティストとしての中谷芙二子からも見て取ることが出来る。
中谷がビデオ・アーティストとして活動を始めることになった70年代は、学生運動の嵐が吹き荒れた60年代を経て、高度成長へと邁進していった時代である。その中で、人々を共同幻想で包み、一つの方向へと向けていく役割を担ったのがテレビでありマスメディアである。アメリカ人メディア論者、ノーム・チョムスキーは『メディア・コントロール』の中で、マスメディアを「大衆の考えを操作する装置」と定義している。それはつまり、大衆を刷り込みやすい視聴者にしておくためにメディアが発達してきたという、民主主義の皮をかぶった支配主義的な構造を指摘している。この情報を取り巻く権威構造からの解放や抵抗が初期ビデオ・アートの精神的理念に強く表れている。
中谷が1971年にE.A.T.東京支部として参画した『ユートピアQ&A 1981』は、まさにそうした理念を象徴している。このプロジェクトは世界四都市を電話回線でつなぎ、1981年(1971年当時の10年後の未来)への質問と回答が交換される双方向型の情報流通を試みたもので、コミュニケーションのユートピア=解放区=の実現を目指した先駆的な試みであった。
その後、ビデオレターによるグローバル・コミュニケーションを広めていたマイケル・ゴールドバーグの呼びかけで『ビデオコミュニケーション Do It Yourself Kit』展('72)が開かれ、日本のビデオ・アートの歴史が始まる。中谷はこの機会以降、実際の社会活動を写した《水俣病を告発する会―テント村ビデオ日記》(1971~72)や、かわなかのぶひろ、小林はくどう、山口勝弘、宮井陸郎、萩原朔美、和田守弘などともにメディアの民主化を目指した「ビデオひろば」への参画、アメリカで出版されたポータブルカメラを用いた個人メディアの手引き『ゲリラ・テレビジョン』の翻訳など、マスメディアに対するオルタナティブなメディアとしてビデオ・アートの可能性を探求した。
80年代に入ると中谷は、ビデオ・アートの中心となるビデオギャラリーSCANを原宿に設立する。そこでは、ナムジュン・パイクやビル・ヴィオラ、ゲイリー・ヒルなど、当時最先端だった海外のビデオ作家や作品の紹介や日本の若手の発掘などが行われた。当時、そこに出入りしていた顔ぶれを見渡すと、その後にアーティストとして世界的に活躍している宮島達男や藤幡正樹などの他にも、原田大三郎や石原恒和といったエンターテインメント・シーンをけん引していった人物なども含まれ、中谷は後の映像文化、メディアアートの礎となる重要なシーンを築いたのである。
続・《霧の彫刻》
そして中谷が80を過ぎてからも年5作品を超えるペースで制作し、その活動がますます加速していることにも驚かされる。今年はポンピドゥー・センターやデンマークのARoSでの展示を予定し、翌年以降も国内外からすでにオファーが届いていることからかも、その活動からは目を離すことが出来ない。
中谷は80年代に《霧の彫刻》がコンシューマー・カルチャーの中で消費されることを嫌って一時中断している。それは、商業の世界からイベントなどのための霧の演出を依頼されることが増え、それらの活動と一線を画すためであったと、筆者に述べてくれた。そこにはアーティストとしての態度表明が現れている。つまり、中谷は科学や技術、そして芸術を横断しながらも体制に飲み込まれることを拒み続け、異なる方向を探り続けてきたのだ。
しかし今更、消費という行動を抜きに生きていくことは想像しがたい。だが、この消費社会が客観視できないほど浸透した今だからこそ、それを拒み続けてきた中谷の態度にあらためて注目すべきではなかろうか。20世紀、M・マクルーハンが『身体拡張の原理』で述べたとおり、交通や物流、情報あらゆる面で人間の身体は技術発達によって拡張された。しかし、その結果、生きることの大部分を消費によって賄わなければいけなくなった。ここに便利さや快適さとのトレードオフがある。つまり、今新しく生み出されようとしている技術革新がもたらす便利さや快適さもこのトレードオフを促し、人々を消費という経済システムにより強くくぎ付けにする働きを生じさせる可能性がある。こうした資本を中心とした社会構造からは、マスメディアと視聴者の関係と重なる支配構造を推し量ることが出来る。中谷は、テートでのインタビューの際に、最も不快に感じる振る舞いとして「傲慢さ」と答えている。中谷は自分にも当てはまる人間元来が持つものとしてその言葉を挙げていたが、自然にせよ大衆にせよ、それを支配しようとしてきた人間の振る舞いに対しても強く向けられているのだろう。
今はアジテーションが先行するポスト真実の時代と呼ばれ、これからの時代、AIやIoT、バイオテクノロジーが発達し、危惧されているさまざまな問題を抱えながらも科学技術の進歩はますます加速する。さらには生活の多くをテクノロジーに依存し、それなしには生きてはいけない状況が生まれてくるだろう。しかし、そのパラダイムのままでよいのだろうか。
20世紀、テクノロジーとメディアは足並みをそろえて戦争へと向かった。そして21世紀の今もまた、右傾化から戦争への道が開かれることが危惧されている。こうした時代に、メディアやテクノロジーに関わりながら生きる者への問いとして、中谷の父、宇吉郎のこの言葉で閉じたいと思う。
科学の発達は、原子爆弾や水素爆弾を作る。それで何百万人という無辜(むこ)の人間が殺されるようなことがもし将来この地上に起こったと仮定した場合、それは政治の責任で、科学の責任ではないという人もあろう。しかし私は、それは科学の責任だと思う。作らなければ、決して使えないからである。
中谷宇吉郎『日本のこころ』文芸春秋新社・昭和26年
《霧の彫刻》展示予定
フランス パリのポンピドゥー・センターにて 2017年6月2日、3日
The Garden - End of Times; Beginning of Times
デンマーク オーフスのARoS(アロス・オーフス美術館)にて 2017年6月2日~7月30日
中谷宇吉郎「雪の結晶・火花放電」写真展
現在北欧を巡回中。ラトヴィア、スウェーデンに続いてノルウェー、アイスランドで開催予定。新着情報はこちらから 中谷宇吉郎記念財団
Fujiko Nakaya & Ryuichi Sakamoto ライブ
The New National Museum, ultima oslo contemporary music festival
ノルウェー オスロにて、2017年 9月9日開催
http://ultima.no/en/events/fujiko-nakaya-and-ryuichi-sakamoto
CREDIT
- TEXT BY JUNYA YAMAMINE
- 水戸芸術館現代美術センター学芸員。1983年茨城県生まれ。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業。東京芸術大学映像研究科メディア映像専攻修了。文化庁メディア芸術祭事務局、東京都写真美術館、金沢21世紀美術館を経て現職。主な展覧会に「3Dヴィジョンズ」「見えない世界の見つめ方」「恵比寿映像祭(4回–7回)」(以上東京都写真美術館)、「Aperto04 Nerhol Promnade」(金沢21世紀美術館)。ゲストキュレイターとして、IFCA- International Festival for Computer Art (2011、スロベニアMKC Maribor)、waterpieces(2013、ラトビア、Noass)、SHARING FOOTSTEPS(2015、韓国、Youngeun Museum of Contemporary Art)、Eco Expanded City(2016、ポー ランド、WRO Art Center)などに参加。2015年度文科省学芸員等在外派遣研修員。日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ メンバー。