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2017.05.17
【前編】芸術と科学を越境するアーティスト、中谷芙二子。テート・モダンで77番目の霧の新作を発表
TEXT BY JUNYA YAMAMINE
霧の彫刻家、そしてビデオ・アーティストとして知られる中谷芙二子の新作《Fog sculpture #03779 "London Fog"》が、年間来場者数500万人を超える現代美術の殿堂テート・モダン(ロンドン)で公開された。音楽に坂本龍一、照明に高谷史郎、そしてパフォーマンスに田中泯という豪華メンバーが一堂に会したインスタレーションの模様を、キュレーターの山峰潤也がレポートする。
ライブ・アートのために開かれた新生テート・モダンの新館
「The Tanks」に、中谷芙二子《霧の彫刻》が降り立つ
まず、この展示の経緯についてから始めたい。今回、中谷の作品は「The Tanks」という2016年にできた新館「Switch House」の地下一階に位置するスペースのグループ展「BMW TATE LIVE EXHIBITION: TEN DAYS SIX NIGHTS」の一作品として招待された。
The Tanksは「ART CHANGES, WE CHANGE(美術が変われば、私たちも変化する)」と宣言した新生テート・モダンを象徴するように、世界に先駆けてライブ・アートを専門とするスペースとしてスタートした。ここでいう「ライブ・アート」には、パフォーマンスやビデオ、キネティック・スカルプチャーなどが含まれる。
無論、こうした形態のアートは今に始まったことではなく、フルクサスなどをはじめ20世紀中盤からあったという反論があるだろう。しかしこのテートの呼応は、既存の芸術様式に対する反芸術活動としてではなく、映像や音響、インタラクションやパフォーマンスを内包した作品が、あらゆる現代美術の現場において“標準化”しつつある現在の状況に対するものである。
この状況を踏まえると、ロバート・ラウシェンバーグやビリー・クルーヴァーらが中心となって結成したE.A.T.(芸術とテクノロジーの実験)のメンバーとして、そして、その後も日本におけるビデオ・アートの先駆けとして、既存の芸術様式に反骨してきた中谷の《霧の彫刻》が招待されたことは非常に興味深い。
1970年の大阪万博にE.A.T.として発表した最初の霧の彫刻《Fog Sculpture #47773》以来、77作品目となる今回のコンセプトはロンドンの異名「霧の都」に由来する。ロンドンで霧と言えば、もともと冬に大量発生し市民が悩まされてきたことが挙げられるが、1952年に発生した大気汚染による公害事件「ロンドン・スモッグ」によるネガティブな印象が根深い。
中谷はそこに着目し、環境にやさしく人々を楽しませるための霧を創造することで、産業革命以降に根付いた、ロンドンの霧に対するネガティブなイメージを払しょくする狙いがあったと、地元紙にこたえている。
霧の中に入り、人々が安心して楽しめる。これは中谷がこだわり続けてきた点である。舞台演出などで使用される従来のフォグマシンは、専用の溶剤を必要とするため天然の霧とは異なる。しかし、中谷は溶剤を使わず、特注のノズルによって超微粒に水を砕いて(*1)霧を発生させることにこだわり続け、人々が安心して入っていくことのできる人工霧を実現してきたのである。
*1…正確には圧力をかけた水を極小の穴から噴射して細い針先に吹き付けて細かく砕いて霧を発生させている。
坂本龍一、高谷史郎、田中泯とコラボレーション
そして今回、約800個の特注ノズルを、Switch House前の広場に半円状に配置した。そこから立ち上がる霧と、その動きや濃度を読み取って変化する坂本の音響、高谷の高周波数帯で明滅する照明とのコラボレーションを柱にこの新作は設計された。
筆者が到着したオープニング2日前、早々に噴霧ノズルや照明、音響機器は、展示場所であるSwitch House前の広場にセットされ、万全の状態に見えた。しかし、肝心の水の供給が整わず、しばらくの間待ちの状態が発生し、設置クルーには少しばかり焦りの表情が浮かんでいた。なぜなら、この日に噴霧テストが出来なければ、翌日噴霧できたとしても、何らかの不具合が生じた場合に修正する時間が無いからだ。じらすような時間の経過を待ち、その日の深夜、作品用の水を積載したタンクを調達することで問題が解決された。
ロンドンの夜に立ちあがった霧は、その全身を高谷がデザインした白いLED照明によって照らし出され、縦横無尽に姿を変えていった。そこに坂本のサウンドも加わり、その姿は自然の威風を兼ね備えているようにさえ見えた。
次の日、その翌日のプレス・カンファレンスに備え、ノズルの向きや本数などに微調整を加えた。地元紙には「Fog Princess」という見出しで紹介され、実際には3月22日のテロの影響で中止となったが、《霧の彫刻》を背景に朝5時から午後3時までBBCのウェザー・ニュースが組まれるなど注目の高さがうかがえた。そして、プレス・カンファレンスを終えた翌日、田中泯が現場入りし、ついに役者がそろった。
一般公開となった3月24日には、多くの観客がその無形の彫刻を目撃した。大人たちはカメラを片手に、子どもたちは歓喜の叫びをあげながら霧の中へと突入し、その様子からは自然現象が持つ求心力を改めて見せつけられるようであった。そして、その日は夕暮れとなり、霧も照明に照らし出され、徐々に緊張感を持った姿へと変容しつつあった。
パフォーマンス開始時刻の午後6時15分、おもむろに田中が霧の中へと侵入していった。霧に対する興奮状態から騒然としていた会場だったが、田中の静寂に満ちた所作と身体がその空気を一変させた。その息をのむパフォーマンスの模様は稚拙な筆者の文才では到底伝えることはかなわないため、こちらの写真と映像を見てほしい。
2日にわたるこのパフォーマンスは、オーディエンスを圧倒し、また、ロンドンの霧に対するイメージを払しょくする中谷の試みは大成功を収めた。その結果、《Fog sculpture #03779 "London Fog"》の展示は2週間の会期延長が決まったという。
中谷は地元紙のインタビューにこう答えている。19世紀イギリスの詩人、パーシー・ビッシュ・シェリーの『雲』という詩から「姿は変えるが、永遠に滅びることはない」という一節を挙げながら、「消えてしまうこと、それが霧について最も好きなところですが、それは本質的な消失ではありません」と語った。
その言葉のように、霧の姿が消えても、今回の出来事は見た人の記憶に深く刻まれることとなるだろう。そしてまた、この模様はテートにアーカイヴされることからも、今後も参照されうる機会となった。
CREDIT
- TEXT BY JUNYA YAMAMINE
- 水戸芸術館現代美術センター学芸員。1983年茨城県生まれ。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業。東京芸術大学映像研究科メディア映像専攻修了。文化庁メディア芸術祭事務局、東京都写真美術館、金沢21世紀美術館を経て現職。主な展覧会に「3Dヴィジョンズ」「見えない世界の見つめ方」「恵比寿映像祭(4回–7回)」(以上東京都写真美術館)、「Aperto04 Nerhol Promnade」(金沢21世紀美術館)。ゲストキュレイターとして、IFCA- International Festival for Computer Art (2011、スロベニアMKC Maribor)、waterpieces(2013、ラトビア、Noass)、SHARING FOOTSTEPS(2015、韓国、Youngeun Museum of Contemporary Art)、Eco Expanded City(2016、ポー ランド、WRO Art Center)などに参加。2015年度文科省学芸員等在外派遣研修員。日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ メンバー。