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2017.02.20

障害を超える、ボーダレス・ミュージアムNO-MA 企画展「大いなる日常」

TEXT BY MIYUKI TANAKA

障害者と健常者の境界を超える試みを実践するボーダレス・アートミュージアムNO-MAにおいて、キュレーター公募企画展「大いなる日常」が2月18日から開催される。人、動物、植物、機械など性質の異なる主体の恊働とそこから生まれる表現を通して、作家性や他者との関係性を問う展覧会だ。近年、障害の探求から生じるテーマをもとに活動する本展キュレーターの田中みゆきが、新たな視座を与える触媒としての「障害」を語る。

障害は、世界と接するオルタナティブな方法

2020年に向けて、障害についての話題を目にすることが増えてきている。わたしは権威化されていない表現に興味を持って活動をしてきたが、その延長でここ数年障害に関するプロジェクトに携わってきた。なぜ障害について興味があるのかと聞かれる時、毎回する話がある。それは、以前「義足のファッションショー」というものを企画したときに出会った、生まれて10日ほどで右脚を切断し、片脚で暮らす女の子のエピソードだ。彼女はわたしに、「脚が二本ある意味がわからない」と語ってくれた(興味がある方はこちらをお読みください)。

この話をはじめとして、障害はわたしにとって、世界と接するオルタナティブな方法を教えてくれるものだ。例えば、聴覚や視覚など知覚器官に障害をもった人がどのように感覚を通して世界を感じているかを知るのは非常に興味深い。電車に乗りながら身体に伝わる振動の違いで降りる駅を把握する人もいれば、パン屋の匂いで家までの道の曲がり角を認識する人、自動販売機のぬくもりを頼りにする人、それぞれの頭の中で実にさまざまな指標でイメージが描かれている。

同時に、同じ「視覚障害」と言っても、見え方も違えば、一人として同じ方法で視覚を代替してはいない。彼らが一人ひとり違う「環世界」を持っていることは、解像度の違いこそあれ、わたしたちも同様にそうでありうることを浮かびあがらせる

世界的に成長への限界が見え始めている時代に、いつまで私たちは「正しい姿」に固執し邁進し続けられるだろうか。テクノロジーによって人の機能が代替され、誰もが何かしら機能不全になる未来が、すぐそこに来ている。しかし、それは決して悲観すべきことではなく、これまで必要/不要とされてきた感覚や機能を再考し、他者や世界との関係を結び直す未来といえると思う。

環世界……客観的な事実や尺度ではなく、主体の知覚で捉え、働きかける世界のこと。参照文献は生物学者ユクスキュル「生物から見た世界」。

 

普通や健常という幻想を抜け出し、スペクタクルではない生と向き合うこと

脳性まひで小児科医の熊谷晋一郎氏は、健常であることとは、「依存先を増やすことで、一つひとつの依存先への依存度が極小となり、あたかも何者にも依存していないかのような幻想を持てている状況」と言う。わたしたちの身体は、技術の発達と引き換えに自分たち自身の知覚や機能を外部に依存してきた。

その見返りとして社会にとって“役に立たない”人間が増えるとすると、制御できない環境のなかでいかに世界と向き合い、他なるものと共に生きることを実践することは、これからの人間性を考えるにおいても、重要な姿勢となるだろう。これまで成長を目的としてきた社会において、「普通」のことができない存在として排除されてきた障害は、大多数が所与のものとしてきた環境や他者との関係性に意義を唱えるヒントを与えてくれる。

ただし、障害を扱ううえで気をつけなければいけないのは、「人がスペクタクルを求める心」だとわたしは思う。私たちはテクノロジーの発展がもたらしたスペクタクルな体験に慣らされすぎてしまっている。

2020年にはパラリンピックの短距離走の記録はオリンピックの記録を抜くとも言われている。もちろんそれは一つの更新された障害者像をつくるだろう。しかし、パラリンピックで記録を出したり、健常者には到底真似できない超能力者のようなことができたりしないと、障害者の存在は認められないのだろうか。

障害者は健常者の感動の対象や多様性を担保するために存在しているわけではない。そもそも、生というものは、ほとんどが何もしていない、取るに足らない時間でできている。健常者のありふれた生が等しく価値があるのと同様に、障害者の生もありふれたままで価値がある。自分の凡庸な生活を棚に上げて、それを鼓舞するために他者を利用することは、「搾取」とも捉えられる行為だと思う。

それは、人間に限らず、生き物に対しても当てはまることだ。テクノロジーを扱うメディアアートと異なり、生き物を扱うバイオアートにおいてスペクタクル性のなさは弱点でもあり、そこに生の面白さが詰まっているともいえる。そこにスペクタクルを求めるのは、生のあり方そのものに介入することではないだろうか。

それでも私たちはスペクタクルを求めずにはいられない。そしてその欲望は、とどまるところを知らない。しかしその欲望の行き着く先は、自分たち自身の身を滅ぼすことにもなりうるだろう。それに抵抗するには、対象をどう消費できるかではなく、その生に積極的に関わりあって、お互いの長所も欠点もひっくるめて一体となって共に変わっていくことしかないと思う。地味で、わかりにくく、思うようにいかないが、ただそう信じてわたしは障害に関わることを続けている。

“作家性”を見出すことの、危うさと面白さ

展覧会「大いなる日常」は、「アール・ブリュット」という(実際は必ずしもそうではないが)精神障害あるいは知的障害を持った人たちと結びつけられる表現を扱う美術館に企画を提案したことから始まっている。

もともとは、主体が「作品」をつくっている意識がない場合が多い表現に周りの健常者が“作家性”を見つけ作品化とするという、この分野の奇妙な関係性に疑問を投げかけようと企画した。つまり、行為の主体ではなく、それを発見する側の手つきに“作家性”が委ねられていることの危うさと面白さを取り上げたいと考えた。そのため、障害を持った人の作品と同列に、主体が自らは「ものを言わない」動物の生態を取り込んだ作品や人工知能を扱った表現などを展示することにした。

そこでは、スペクタクルとはほど遠い、密やかな人間不在の営みやその痕跡​を展示したいと思う。鑑賞者それぞれが、表現の主体から何か読み取れたのかわからない手ごたえのなさを持ち帰り、その後の日常生活で他者と接するなかで、発見する側の立場に自分を重ねて、裏切られ、一方的に期待を抱いていたことへの罪悪感を思い出す場面があればいいと思う。それが、スペクタクルではない生と向き合うことではないかとわたしは思っている。

AKI INOMATA 
ヤドカリやミノムシ、犬などの生き物や自然との一種の協働作業を行うことで、人間とそうでないもの、自然と人工など、社会におけるさまざまな境界を問いかけるプロジェクトを展開。 出品作《girl, girl, girl...》はミノムシがミノをつくる習性に、女性が洋服を身にまとう行為を見立てた作品。
http://www.aki-inomata.com/
やんツー 
1984年生まれ。デジタルメディアを基盤に、グラフィティやストリートアート、パブリックアートなど公共圏における表現にインスパイアされた作品を多く制作。2011年から菅野創との共同制作によるドローイングマシンシリーズを発表。本展のために新作を発表し、過去作品《“落書き”のための装置》からの発展として、人工知能が水という消えゆく素材を使って一度きりの文字を描くインスタレーションを展開する。
http://yang02.com/
吉本篤史
1971年生まれ。糸を幾重にも結び小さい糸玉を作り、布に縫い付けていく行為を行っていたが、数年前からは布を細かく刻み周囲を縫ったものを中心に独自の世界を展開する。制作の時間以外でも繊維に強いこだわりがあり、下着・靴下をハサミで細かく切り、一本ずつ 繊維を引き抜いて自室の机に並べたりしている。今回は作家が日々大量につくる、周囲を縫った小さな布のパーツを中心に構成する作業場の世界を再現展示。
キュレーター公募企画展「大いなる日常」

開催概要
会期:2017年2月18日(土)– 3月20日(月・祝)
会場:ボーダレス・アートミュージアム NO-MA(滋賀県近江八幡市永原町上16)
開館時間:午前11時~午後5時
休館日:月曜日
観覧料:一般300円(250円)高大生250円(200円) 
※中学生以下、障害のある方と付添者1名無料。()内は20名以上の団体料金
主催:アール・ブリュット魅力発信事業実行委員会
http://www.no-ma.jp/the_great_ordinary

 

CREDIT

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TEXT BY MIYUKI TANAKA
21_21 DESIGN SIGHT、山口情報芸術センター[YCAM]、日本科学未来館で展覧会やパフォーマンス、書籍や印刷物などの企画に携わる。デザインを装飾や意匠ではなく、社会の課題や物事の仕組みを整理し伝える手法と捉え、カテゴリーにとらわれないアウトプットを展開している。最近は「障害について考えることは世界を新しく捉え直すこと」をテーマに、障害の有無関係なく多様な人々が互いを尊重し生きられる社会に向けて、さまざまな活動を行う。 http://miyukitanaka.com/

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