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2018.08.06

「メディアアートは死ねるのか?」エキソニモ・千房けん輔が考察する“アートが死ぬとき”

TEXT BY KENSUKE SEMBO

現在、山口情報芸術センター[YCAM]で、“メディアアートの死”という挑戦的な問いをテーマに掲げる展覧会「メディアアートの輪廻転生」が開催中だ。企画キュレーションを担当したアーティスト・エキソニモの千房けん輔は、なぜアーティスト自らこのような問いを送り出したのか? メディアやテクノロジーの変遷に伴う
作品のアーカイブが世界各国で課題となる中、アーティストたちが自ら埋葬した「墓」から何が見えてくるのだろうか。千房けん輔本人の筆で紹介する。

「メディアアートの輪廻転生」展

原稿執筆時点(2018年7月23日)、山口県にある山口情報芸術センター[YCAM] で開催中の展覧会「メディアアートの輪廻転生」を、同センターと共同で企画・キュレーションした。巨大な古墳状の「メディアアートの墓」を作り、その中に8名の現存のメディアアーティストが「死んだ」と考える作品を展示(埋葬?)している。観覧者はiPad/iPod touch/MDプレーヤー/ウォークマン/ビデオカメラ/ラジカセなどの様々なデバイスから一つを選び、そこで再生されるオーディオビジュアルによる展示ガイドを聞きながら体験する。目の前の「死んだ」作品を見ながら、ガイドで語られる「生前の様子」と「死んだとみなした理由」を知っていくという二重のレイヤー構造をもった展示となっている。

YCAMに突如として出現した「メディアアートの墓」。墓の上には先人たちの数々の言葉が祀られている。まるでシュワの墓所。

そもそもこの企画をYCAMと実施するに至ったのは、エキソニモの赤岩がメディアアートの保存・修復に関するリサーチを行なっていたことがきっかけとなった。また、エキソニモの活動が20年を超えてきた中で、過去の作品が次々と動かなくなっていく=死んでいくことを体験してきたことも大きい。ネットアート作品は特に、ブラウザやOSのバージョンアップ、セキュリティ制限の強化、外部サービスの廃止などによってあっさり動かなくなってしまう。もちろん作品のコード自体をバージョンアップして対応することができる場合もあるが、作品数が増えるにつれ、全ての作品をメンテし続けていくコストは膨大になってくる。そんな事情からエキソニモは自分たちの作品を維持していくことを諦め、「少し長めのイベントのようなもの」と考えていたこともある。

メディアアートの維持

実はこのような「メディアアートを維持していくことの難しさ」を言い続けていたアーティストがいる。岩井俊雄だ。彼は90年代〜2000年代にかけて、アート展のみならず、テレビやゲームの世界、大企業とのコラボによるオリジナル楽器の発表など、メディアアートの第一人者として活躍していた。そんな中、彼はことあるごとに自身の作品を維持していくことの難しさを語っていた。そして2007年前後、彼は絵本作家(いわいさんちWeb参照)へと転身し、メディアアートの世界から忽然と姿を消してしまった。さらにその頃からソーシャルメディアの時代に入り、インターネット上の情報が爆発的に増加し、逆にそれ以前の情報にアクセスすることが難しくなってしまったこともあり、インターネットの上に彼の過去の功績を確認することすら難しくなってしまった*1。

*1
1年ほど前に「岩井俊雄問題」と銘打って一連のツイートをしたことがある。やや煽り気味に書いてはいるが、岩井さんが絵本作家をスタートし、メディアアートへの関与をなくして行った経緯に関して公式な表明がなかったことから、メディアアート側の人間に対してそこを考えてみることを促す狙いだった。
https://togetter.com/li/1109466

『ウゴウゴルーガ』
岩井俊雄がCGシステムとキャラクターデザインを手がけたフジテレビの子供向け番組。早朝放送の番組とは思えない狂気に満ちたクリエーションで、子どものみならず様々なクリエイターに衝撃を与えた。

岩井俊雄がヤマハと共同開発した電子楽器『TENORI-ON』。音楽の知識が一切なくても、視覚的・直感的に作曲、演奏ができる21世紀の音楽インターフェイスを目指した。そのほか、岩井は過去に坂本龍一とのコラボレーションなども手がけ、アルスエレクトロニカでゴールデンニカ(グランプリ)を受賞している。

メディアアートはそもそも、移り変わりの早い情報環境や機器を媒体としているものが多く、環境の変化の影響を受けやすい。そのことがメディアアート自体を常に「フレッシュ」に保っている部分もあるだろう。しかし、そのほかのアート作品と比較して、機材が壊れたというだけの理由で簡単に動かなくなる=死んでしまう状況がある。アーティストが存命であれば修理や再製作を依頼することもできるが、そうでなければ再現することの難易度は高くなる。ブラウン管テレビを彫刻的に使っていたナム・ジュン・パイクの作品が、ブラウン管の製造が打ち切られてゆく中で存続の危機に立たされているという話をよく聞く。今であれば液晶のフラットディスプレイを代わりに使うことになるが、そもそもブラウン管テレビの形状も作品の重要な美的要素であるパイク作品を、単純にフラットスクリーンのモニターに置き換えて良いのかどうかは、作家が他界している以上、誰にも判断することができない*2。

ナム・ジュン・パイク《Electronic Superhighway: Continental U.S.》1995-96 
スミソニアン博物館収蔵の作品。アメリカの美術館にはパイク問わずブラウン管TVを使ったアート作品を専門に修復する有名エンジニアがいたりもする。国内のパイク作品で有名なのは福岡・キャナルシティ博多にある常設作品《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》。検索するとほとんどのブラウン管が映っていない最近の姿がわかるだろう。

*2
パイク自身が作品の保持に関しての資料をあまり残していなかったことが問題を拡大させている。アーティストによっては作品を作品たらしめる必須条件を仕様書として残すことで、将来起こる問題に対処している。しかし、ブラウン管モニター全盛の時代に、将来ブラウン管モニターが廃れ、液晶モニターに取って代わられる(さらに未来には全く別の形式に進化するかもしれない)ことを予期することは難しいことから、仕様書で全てが解決するわけでもない。

アートの「魂」は転生するか?

伝統的な絵画や彫刻などのアート作品とメディアアート作品の大きな違いは、メディアアートが「ハードウェア」と「ソフトウェア」の2つの異なる素材の組み合わせで構成されていることだろう。そして主にハードウェアの寿命により、その命の長さが決まってしまう。しかし逆に、新しいハードウェアを用意し、そこにソフトウェアをインストールすれば、全く同じものが複製される。展覧会などがあるたびに、新しいコンピュータをレンタルして、そこにプログラムをセットアップしているアーティストも多い。そういう意味では(多くの)メディアアート作品にとって、ハードウェアとは攻殻機動隊でいう「義体」のようなものであり、常に交換可能なものであるとも言える。さらにコンピュータが新しいOSなどにアップデートされるのに合わせて、ソフトウェアも書き直されたりする。

攻殻機動隊で、体の全てのパーツが義体で置き換えられた時に、その人間のアイデンティティである「ゴースト」がどこにあるかが問われるように、メディアアートのゴーストまたは「魂」がどこにあるのかというのは、一つの問いとして現れてくる。「メディアアートの輪廻転生」展では、企画の出発点はメディアアートの保存・修復であったが、企画会議の中でこの問題意識が立ち上がり、最終的な企画 ーー 「メディアアートの墓」を作り、そこに「死を迎えたメディアアート作品」を展示する ーー が決まった。動かないメディアアートを見つめることで、何を感じ、そこからアートの魂がどこにあるかを考えてみようということである。

死を迎えたメディアアートの墓へ

「メディアアートの墓」を作り、そこに「死を迎えたメディアアート作品」を展示する。言葉で言えば簡単だが、実現は容易ではなかった。立場を逆にして率直に考えれば、アーティストは「過去の死んだ作品」を自ら人に見せたいと思わず、新しい作品に挑戦したいと考える傾向にあると気づく。例えば、出展を依頼した藤幡正樹とは10通以上のメールのやり取りによる議論が立ち上がった。しかしその議論は、メディアアートとは何か、作品とは何か、死とは、美術館とは、墓の役割とは、と広範囲にこの問題の周囲を照らすものとなった。そして様々な議論を通じて、この問題を我々企画チーム内に留めるのではなく、外側に開いていくべきだという結論に至り、YCAMが過去15年の間に関わって来たメディアアーティストへと一斉にアンケートを投げ、その反応から展示を構成してみようということになった。

「メディアアートの輪廻転生」特設サイト

アンケートの内容については割愛するが、40名ほどのレスポンスは非常に興味深く、それぞれのアーティストのスタンスから性格まで滲み出るものとなった。掲載許可の取れたものは特設サイトに全文公開されているので、ぜひ読んでみて欲しい。全体として読み解けることは、メディアアーティストはそもそも作品そのものが維持できるとは考えておらず、人々の記憶や影響として未来に残れば良い、と考える傾向があるということだ。また音楽系のアーティストはもっと刹那に、作品自体が残るというイメージを持っていないように思えた。ライブ空間に放たれた音は、その場で人に(最も強く)伝わり、次の瞬間に死を迎えるというイメージだろうか。その瞬間を信じているのかもしれない。自身のバックグラウンドをライブ性の高いパフォーマンスであると言う高嶺格は、アンケートの回答自体も考え悩みながらその瞬間にひねり出したかのようなライブ性が高いものとなっていた。

また、予想はついたものの、キャリアの長いアーティストの方がより自作の寿命や死について既に考えたことがあると言う傾向も見えた。そして肝心の「メディアアートの墓に入れたい作品はあるか」と言う問いに対しては、自らそれを選ぶアーティストは少なかった。これらアンケート結果を吟味し、最終的に出展するアーティストが絞り込まれていった。 

メディアアートは死ねるのか?

「メディアアートの死」とは何かを定義するならば、そもそも「アート」とは何か、「死」とは何か、また「アートの死とは何か」も定義しなくてはいけないが、アンケートの結果からそう簡単にいかないと気づかされた。メディアアートは特に、作品の中心がどこにあるのかという条件自体が、アーティストごとに違うからだ。

絵画や彫刻が死ぬということであれば、作品の物体そのものが破壊されるということを意味するだろう(もちろん、時代状況の変化によって作品の価値が失われることで死を迎える可能性もあるが、逆に言えば再び時代が変わって新しい価値が生まれて復活することもありえる)。それに対して、時代が進み、技術環境がアップデートされ続けることによって、ほぼ確実に「死」を迎えてしまうメディアアートを、逆に肯定的に捉えると「死ぬことのできるアート」だとも言えるかもしれない。それがメディアアートの宿命だとしたら、メディアアートのメディアであるその特徴的部分に言及していく作品は、「メディアアート的なメディアアート」として可能かもしれない。

個人的には今の所、作品の死は、作品自体もしくはそのかけら(記録や記述でも)が残っていたとして、そこから「物語」が紡ぎ出せなくなった時、なのではないかと考えるが、もちろんそれはまだ結論ではないし、この展覧会が見つけ出した何かしらの回答でもない。個人的にはむしろ、これらの問いはより複雑化していったとすら感じている。しかし今回、この「メディアアートの輪廻転生」によって開かれた、メディアアートにおける普遍的な問いを、メディアアート以外の人も含め、いろいろな人たちと考えていくきっかけになると信じている。その循環こそがタイトルにもある「輪廻転生」の意味するところなのかもしれない。

《エキソニモ》Photo by Niko
メディアアートの輪廻転生
「メディアアートの輪廻転生」メインビジュアル(デザイン:加藤賢策/LABORATORIES) 画像提供:山口情報芸術センター[YCAM]

開催日時:2018年7月21日(土)〜10月28日(日) 10:00〜18:00

休館日:火曜日

会場:YCAM [山口情報芸術センター]
〒753-0075 山口県山口市中園町7-7
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CREDIT

Sembo2016 160
TEXT BY KENSUKE SEMBO
1996年より赤岩やえとアートユニット「exonemo(エキソニモ)」をスタート。インターネット発の実験的な作品群を多数発表し、ネット上や国内外の展覧会・フェスで活動。テクノロジーによって激変する「現実」に根ざした、独自/革新/アクロバティックな表現において定評がある。またネット系広告キャンペーンの企画やディレクション、イベントのプロデュースや展覧会の企画、執筆業など、メディアを取り巻く様々な領域で活動している。2015年よりニューヨークに在住。アルスエレクトロニカ/カンヌ広告賞/文化庁メディア芸術祭などで大賞を受賞。 http://exonemo.com/

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