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2020.12.04

物理学者・橋本幸士が読み解く、野村康生《Pion-パイオン》が目指した高次元と重力からの解放

TEXT BY KOJI HASHIMOTO

物理学者や数学者との対話を通して、新たな身体感覚や空間概念のアップデートを目指すNY在住のアーティスト・野村康生。現在、NY・ソーホーのNOWHEREギャラリーで発表された新作インスタレーション《Pion-パイオン》を体験した物理学者・橋本幸士によるレビュー。

Dimensionismの体験が、物理学者に与える興奮

野村康生さんの作品『パイオン』に入っていく時、僕は興奮を禁じ得なかった。なぜならその作品は巨大な正5方体、つまり4次元空間の物体の3次元投影だからだ。ここに体ごと入れば、本来は3次元である空間が4次元だった場合にどう人体が反応するかが、明らかになるかもしれない。

展覧会場: NOWHEREギャラリー|開催期間:2020年11月3日(火)12月27日(日)  ※ニューヨーク時間
https://www.nowhere-nyc.com/

『パイオン』の正体である正5胞体は、正多面体の4次元版の一つだ。これを理解するために、まず、2次元平面上に正3角形を考えたとしよう。この正3角形を4枚使って組み合わせると、3次元空間内に正4面体を作ることができる。これは、三角錐のような形をしている。この操作と「同じ」ことを3次元から4次元で行うと、正4面体を5つ使って「組み合わせて」4次元空間内に正5胞体を作ることができるのだ。

残念ながら、正5胞体はそのままでは4次元空間の中にあるものなので、感じるのは難しい。野村さんの作品『パイオン』は、正5胞体を3次元空間に投影したものだ。これは、3次元空間の正4面体を投影して2次元面上の影を見ることと「同じ」であると思えば、少し納得できるかもしれない。つまり『パイオン』は4次元の影なのだ。その中に自らが入っていくという体験は、どんなものだろう。野村さんの作品はその貴重な機会を与えてくれる。

物理学における「高次元」とはなにか?

これは僕にとって特に貴重な機会だった。なぜなら、理論物理学者である僕の専門のひとつが高次元物理学であるからだ。空間が「x、y、z」の3次元ではなく、見えない4次元目「w」の方向があるとした場合、どのような物理現象が起こるのか、を取り扱うのが高次元物理学だ。高次元空間の存在を考える動機は多くあるが、そのうちのひとつが「超ひも理論」と呼ばれる、ミクロの量子力学とマクロの重力理論を統合する統一理論である。超ひも理論によると、空間の次元は9または10であると考えられている。

数式の上では、僕は高次元空間を毎日自由に動き回っている。しかしながら、自分が3次元空間を「見る」ように高次元空間を感じることは、大変難しい。物理学は、実際に起こる現象を数式に「翻訳」し、その数式を操ることで、新しい現象を予言したりする。翻訳された数式の世界の中では、五感の足かせから解放され、空間次元も自由自在に変更することができる。その意味で、数式の上では僕はいつも高次元を闊歩しているのだが、それは、実際に4次元空間を眺めるのとは違うだろう。

4次元空間を投影する

二十年以上前、大学生だった頃の僕は、宮崎興二先生という4次元空間を建築などの立場から研究しておられる先生の研究室に入り浸っていた。4次元空間の多胞体を3次元に投影した立体模型を、透明な塩化ビニール板を切りはりして作成したりしていた。両手に乗るほどの大きさの多胞体を苦労して作り、そして出来上がったものを眺めまわしてみたが、残念ながら、4次元を想像することは非常に難しかった。それがなぜかわからないまま飾ってあった僕の立体模型は、阪神淡路大震災で棚から落下して粉々になってしまった。

そんな、多胞体には苦い経験のある特殊な僕であるが、野村さんの『パイオン』に足を踏み入れる(注1)と、素晴らしいことが起こった。正5胞体を構成する「辺」が美しく光る『パイオン』では、一つの頂点に集まる辺が、異なった色をしている。これはあたかも、3次元空間のx軸、y軸、z軸が異なる色で塗り分けられている感じである。ところが、パイオンの中に入り、他の辺を中から眺めてみると、その辺は元のx、y、z軸の色と異なる色をしているのだ。違う軸が出現した!まさに新しい4次元目のw軸が現れる仕掛けになっているのだ。

この仕掛けは、面をハーフミラーで構成し、注意深く配色を施した床や壁、そして注意深く調整された正5胞体の角度によるものである。ここで描いたような感覚以外にも面白いトリックが『パイオン』には潜んでいるが、それをここで赤裸々に描くのは読者の将来の体験を損なうから、このくらいにしておこう。非常に注意深い設計の作品だからこそ味わえる、3次元空間を逸脱できるかもしれない感覚。

次元主義と、芸術と科学の邂逅

次元を超えていくという「Dimensionism(次元主義)」を掲げる野村康生さんに、面白いストーリーを聞いた。野村さんが独自にたどり着いた「Dimensionism」は、じつは1936年に詩人チャールズ・シラトー(Charles Sirato)が興した運動(注2)の再発見だったそうである。このDimensionismは、アインシュタインが相対性理論を創始した1905年に起源がある。つまり、空間が時間と統合して3+1=4次元「時空」となることにその出発点がある。物理学における発見が芸術運動を興したのだ。

アーティスト・野村康生

アインシュタインの4次元時空では、空間は3次元のままであるから、本当の高次元空間ではない。興味深いことに、その後の物理学史においては、アインシュタインが空間4次元の物理を研究し、重力と電磁気力を統一するカルツァ・クライン理論が展開される。そこでは本当の4次元空間が取り扱われる。それからさらに1世紀の時が流れ、現在では、超ひも理論の研究が、高次元物理学の有用性を保証してくれている。例えば、物質の根源となる「クォーク」と呼ばれる素粒子は、3次元空間にいながら、あたかも4次元空間にいるような振る舞いをすることがあるのだ。こういった現象は現在、高次元物理学で詳細に研究が行われている。アインシュタインから始まる物理学の流れは、高次元物理学に行きついているのだ。

偶然か必然か。クォークが二つ集まるとパイオン(パイ中間子)という状態を作る。このパイオンの謎の性質は、近年、高次元物理学も用いられて解明されつつある。僕は10年前に、高次元物理学を用いてパイオンの性質を説明する理論を書いた。高次元とパイオンは、僕の中では同一のものである。そして、野村康生さんも、そうなのである。

パイオンとは、日本で初めてのノーベル賞受賞者である湯川秀樹が、そのノーベル賞受賞論文の中で初めて導入した粒子の名前である(注3)。パイオンが飛び交うことで、原子核が安定になっている。陽子や中性子から構成される原子核は、そのままではバラバラになってしまうのだが、パイオンをキャッチボールすることでお互いをつなぎとめ、安定な原子核を構成するのだ。つなぎとめる力は核力と呼ばれ、原子核物理学の中心的概念になっている。

アインシュタインから100年以上が経過し、高次元とパイオンが物理学では合流した。その研究に一石を投じた物理学者である僕が、野村さんと知己の仲であるのは、偶然なのだろうか。高次元を追求した作品の中に、高次元を挟み込むインターフェースの重要性を読み取って、原子核のインターフェース粒子であるパイオンの名前を作品につけた野村さん。美術と物理学の邂逅に、これ以上うってつけの名前があろうか。

野村康生さんのDimensionismは、重力からの解放を意味する。地球上という2次元平面に重力により閉じ込められていた人類は、宇宙に進出することによって、重力から解放され、「純粋3次元空間」を感じるようになる。興味深いことに、最新の物理学の発展である、超ひも理論に基づく「ホログラフィー原理」においては、高次元空間の重力の世界は低次元の重力のない世界と等価であると考えられており、重力からの解放が実現されている。物理学サイドから見ると、物理学はまだ芸術の先を進んでいるとも言えよう。何世紀ものタイムスケールで見れば、物理学と芸術との交錯は、必ずこれからも野村康生さんのような才能によって実現されていく、と『パイオン』を見ていると強く感じる。

注1    Covid-19禍の中、野村さんのニューヨークの個展を直接訪ねることは不可能だった。しかしオンラインの道具が世界共通となる時代、僕は野村さんの導きで、ネットを通じて、パイオンの中に入ることが出来たのだった。

注2    シラトーのDimensionism運動には、詩を2次元にするといったものも考案されていたらしい。私がそれと知らずに2016年に考案していた「時間高次元小説」はまさにそのDimensionismの思想に合致している。野村さんからそれを教わった時、ゾッとした。まさに現代物理学はDimensionismの世界に入っていると言えるのかもしれない。

注3    湯川秀樹の考案した理論は「中間子論」と呼ばれる。これは、原子核の中で陽子や中性子がくっついていることを説明するために湯川が新たに導入した「中間子」という粒子に基づくものだ。湯川がその存在を予言したのち、実際にその粒子が発見され、湯川はノーベル賞を受賞することとなった。現在はその粒子はパイオン(pion)、パイ中間子と呼ばれている。湯川の中間子論は、素粒子論のはじまりであると考えられている。

 

CREDIT

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TEXT BY KOJI HASHIMOTO
素粒子物理学者。大阪大学・大学院理学研究科教授。理論物理の研究を行う傍ら、著書「超ひも理論をパパに習ってみた」や「超弦理論知覚化プロジェクト」、TED×OsakaUでの講演など、さまざまなアウトリーチ活動も手がけている。1973年生まれ。大阪育ち。2000年理学博士(京都大学)の後、京都大学、カリフォルニア大学サンタバーバラ校、東京大学、理化学研究所(橋本数理物理学研究室を主宰)を経て、2012年より現職。 http://kabuto.phys.sci.osaka-u.ac.jp/~koji/

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