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2022.02.09
子どもたちと考えるインターネット。YCAMワークショップ「ネットにくらす、わたしのひみつ」レポート
TEXT BY KOKI YOSHIMOTO
インターネットが日常生活に不可欠な社会インフラとなって久しいが、フェイクニュースの氾濫やターゲティングによる個人情報の商品化のような新たな問題も生じている。インターネットの理解がますます難しくなっているなか、山口情報芸術センター(通称YCAM)は、インターネットの再考をうながすオンラインワークショップ「ネットにくらす、わたしのひみつ」を開催した。本稿は、2021年12月18日開催のワークショップのレポートを中心に、ネットは自分(ユーザー)を写す鏡の役割があることを確認していく。
ワークショップ「ネットにくらす、わたしのひみつ」は、YCAMが2020年から展開している、情報とインターネットの未来をテーマとした研究開発プロジェクト「鎖国[Walled Garden]プロジェクト」の一環として開催された。2020年にはインターネットにおける個人情報の扱われ方について考えるワークショップ「わたしはネットでできている?」を開催した。本ワークショップは、そのプロジェクトの第2弾にあたる。
「わたしはネットでできている?」は、すでにインターネットの世界に個人情報を有している年齢(高校生以上)かつ、ある程度「インターネット上のプライバシー(及び人権)」といった内容に興味を持つ方を対象とした内容だった。しかし、技術の発展、学習指導要領の更新、そしてコロナ禍という環境・社会情勢も相まって、インターネット自体がいままで以上により広い年齢層にリーチしつつあり、今後ネット内に個人情報を有す層がどんどん広がる(特に年齢層がどんどん下がる)ことが予想できる。より広い層に対して考え始める機会 = キッカケを創造するべく、今回のワークショップ「ネットにくらす、わたしのひみつ」を制作したという。
ネット利用状況が異なる参加者たち
4名の参加者が集った「ネットにくらす、わたしのひみつ」の5回目は、はじめに「インターネットってなんだろう?」という問いかけから始まった。
参加者のひとりに答えてもらった後、ファシリテーターは「世界中のコンピューターがクモの巣のようにつながれて、いろいろな情報を得たり、発信することができたりするしくみ」という定義を示した。この定義のようにインターネットとは「モノ」ではなく「しくみ」であるため、具体的に見せられるものではなく、利用者の理解によって見え方が変わるものであると言える。
次いで参加者に、自分のインターネット利用状況を交えて自己紹介をしてもらった。参加した4名は性別や年齢もさまざま、なかには母親といっしょに参加した小学生もいた。参加者とインターネットの付き合いは、1日1時間程度で自制している人から1日中利用している人までいた。
インターネットのイメージを「かるた」で伝える
自己紹介の後は、インターネットの再考をうながすアクティビティ「インターネット・イメージかるた」に進んだ。このアクティビティはかるたと連想ゲームを組み合わせたようなものであり、以下のような手順でプレイを進めていく。
1. 各参加者がインターネットの「イメージ」について考える
2. Zoom画面に示される多数の画像のなかからその「イメージ」に近いものを選ぶ
3. ひとりずつ画像を選んだ理由を発表する
4. 発表された理由から、ほかの参加者が選んだ画像を推測する
5. 推測後、それぞれが選んだ正解画像を発表する
Zoom上で示された画像には、抽象的なものから猫、草原、人の顔や手といった具体的なものまで多様に用意された。
参加者のひとりは「情報が飛び交っているから」という理由を発表した。ほかの参加者がさまざまな推測を展開した後、答えは太い線が描かれた抽象的な10番の画像だった。この太い線から「太い回線」を連想した、と選んだ理由を付け加えた。
ほかの参加者は、自分のインターネットへのイメージは、その普及期に大ヒットした1999年公開の映画『マトリックス』に影響を受けていると話した。その回答は、より抽象度の高い11番の画像だった。
以上のような「イメージかるた」のやりとりから、インターネットには最大公約数的な定義はあるものの、参加者各自がインターネットに抱くイメージはこれまで影響を受けたものによって異なる、ということがわかってきた。こうした世代間でも異なるイメージのずれがインターネットを豊かにすると同時に、時には誤解を生む原因となっているといえるかもしれない。
このワークショップは過去すでに4回開催されているが、そこでもインターネットをめぐるさまざまなイメージが語られた。たとえば、22番と答えた回答者は、コロナ禍で物理的な外出が制限されたなか、ネットを通じて外の世界をバーチャルに体験できた、という理由から、屋外を連想させる草原が写ったイメージを選んだという。
ほかにも、インターネットの理解に影響を与えたものとして20世紀に活躍したフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが提唱した概念「リゾーム」を挙げた参加者がいた。この概念は本来「地下茎」を意味する単語なのだが、この単語をドゥルーズは中央集権的ネットワークの対抗概念として再解釈し、分散型ネットワークで形成されたインターネット社会を予見するビジョンを提示した。こうした概念に近いイメージとして選ばれたのは6番の画像だった。小学生から大人まで、人によって千差万別なインターネットのイメージが、「かるた」を通して語られるという興味深いプログラムだった
画像から染み出る投稿者の人となり
続いてのプログラムは「SNSかくれんぼ」。このアクティビティは、Instagramをはじめとする現実のSNSを簡略化して追体験するというものである。まず各参加者は自身が撮影した写真をYCAMスタッフが指定したメールアドレスに送信する。写真を受け取ったYCAMスタッフは、それらをZoom画面に表示する。それらの写真に対し、参加者たちが投稿者の人となりを想像して、その内容をチャットする。そして、チャットをSNSのタグのようにまとめたうえで、参加者たちが写真から想像したことをシェアしてディスカッションするのだ。
参加者のひとりは、弁当の写真、木に登った猫の写真を投稿。すると、以下の画像のように「ちょっと抜けてる」「新幹線に乗る」などのタグが集まった。「新幹線に乗る」というのは、写真に写った座席と、写り込んでいる弁当と飲み物から新幹線に乗車中ということが伝わったのだ。
ほかの参加者は、桜並木の写真と展覧会場の一室を撮った写真を投稿。以下のように「あんまり自撮りはしない」「使徒派」などのタグが集まった。「あんまり自撮りはしない」とは、2枚の写真の構図がどちらも遠景であり、撮影した場所や状況に対する関心はうかがえても、撮影した自分に対する関心は薄いと推測されたためだ。投稿者からすると、まさに図星だったという。ちなみに「使徒派」とは、展覧会場の写真が東京・国立新美術館の「庵野秀明展」とわかったので、その情報から連想されたものだった。
以上のアクティビティからわかるのは、SNSに投稿する写真には投稿者の暮らしぶりや嗜好が反映されており、写真が示唆する情報のなかには投稿者すら気づいていないものもある、ということである。この事実は、SNSへの画像投稿によって投稿者に対するイメージが形成され、そのイメージは時としてひとり歩きしていくことをも意味しているだろう。
その例として、たった2枚の投稿写真からでも、投稿者本人とは異なるイメージが形成されるという一幕があった。参加者のひとりは花の写真と提灯の写真を投稿したのだが、写真の美しさと完成された構図から、「20代女性」というタグが付けられた。しかし、実際にこれらの写真を投稿したのは女子小学生。写真を見ただけではとても小学生とは思えない、と参加者間でも話題になった
ある参加者からは、「本棚に並んでいる本から所有者の性格がわかる」という事例を引き合いに出して、SNSも似たようなものかもしれない、という指摘があった。インターネットとはその理解と利用に個人(ユーザー)の個性が色濃く反映される言わば「自分を写す鏡」となっていると言えるのではなかろうか。
現実のネットはもっと複雑
ワークショップ最後は、これまでのアクティビティの意義を振り返るまとめの時間に。そこで強調されたのは、現実のインターネットはワークショップで体験したものよりはるかに複雑かつ不透明なことである。
SNSかくれんぼで投稿された画像は、ワークショップの参加者のみが閲覧可能な、いわば「閉じたネットワーク」でのみ存在していた。対してInstagramをはじめとする現実のSNSは、不特定多数の閲覧者に対して情報が拡散していく「開かれたネットワーク」である。この開放系ネットワークにおいては、反射的に「いいね」ボタンを押したことも情報の発信としてカウントされるのだ
さらに現実のインターネットでは、人間という単位だけではなく企業が情報を発信または収集している。企業がインターネットユーザーの個人情報を収集するのは、それらのデータからユーザーの消費傾向を推計しビジネスに活用するからだ。こうした企業活動はターゲティングと呼ばれ、この活動を積極利用している企業の代表格のひとつがGoogleである。同社は、ターゲティングの一種で検索連動広告を世界規模で展開したことにより現代情報社会を制したともいえる。
ターゲティングを活用すれば、ネット利用者の関心そのものを操作することも可能になる。例えばケーキが好きなYouTubeユーザーが、おすすめ動画として表示された有名ケーキ店の動画を閲覧して、そのケーキ店に行ったという出来事はおそらく日常的に起きているだろう。このユーザーは、YouTubeのおすすめアルゴリズムの影響を一切受けずに自分で決めて行ったと断言できるだろうか。このたとえ話は他愛ないものだが、政治運動にまで発展することは多々ある。実際、2016年のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ陣営の選挙コンサルティングを行ったケンブリッジ・アナリティカは、選挙活動にターゲティング的な手法を用いて選挙結果を歪めたのではないか、という嫌疑がかけられ話題となった。
危うさと大きなちからを併せ持つインターネット
「ネットにくらす、わたしのひみつ」で実施されたふたつのアクティビティの体験から、「自分(ユーザー)を写す鏡」となるネットの特徴が見えてきた。しかしながら、その鏡はいつも正しく写すわけではなく、時には誤解や歪曲が生じ、そうした歪みが知らぬ間に拡散してしまうこともある。さらには鏡に正しく映っていると思っている像が、実は企業が作り上げた虚像でもあり得る。鏡としてのインターネットは、常に危うさをはらんでいるのだ。
しかしながら、インターネットは鏡以上の存在でもある。というのも、インターネットには会ったことのなかったさまざまな個性のユーザをバーチャルに「つなぐちから」があるからだ。このちからは、現在メタバースというかたちでさらに進化しようとしている。
ともあれ、これらインターネットをうまく利用するには、インターネットは道具のひとつに過ぎないと認識したうえで、そのなかで伝わる情報の意味や意図を正しく読み取るネットリテラシーが必要だろう。小学生も参加した今回のワークショップは、小さい頃からネットリテラシーの重要性に気づくきっかけを育むものになっていくだろう。
2022年には「鎖国[Walled Garden]プロジェクト」の集大成として、「コンピューターに理解できない人間のコミュニケーション方法」といったテーマでアーティストとともに展覧会を開催予定。