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2022.07.08

時代の転換点に立ち、大きく歴史をゆるがすドクメンタ15。西洋型アートからの脱却と反ユダヤ主義問題をめぐる現状とは。

TEXT BY MARIKO MIKAMI,PHOTO BY MIZUKI KIN

5年に一度、夏の100日間、牧歌的なドイツ中西部の小都市カッセルが、国際芸術祭ドクメンタ目当ての人々で一際賑わう。15回目となる今年は、ジャカルタを拠点に活動するコレクティブのルアンルパ(ruangrupa)が、アジア初のアーティスティックディレクターとして選ばれ、これまでとは大きく異なる国際芸術祭のあり方を提案している。6月15日から3日間に渡ったプレビューの速報をお届けするとともに、ドイツで大論争を巻き起こしている反ユダヤ主義問題、そしてグローバルな芸術祭が内包する異文化を展示する課題を論じる。

Black Quantum Futurismによる地下道でのインスタレーション(会場:Frankfurter Straße)Photo: Mariko Mikami
グローバル・サウスのコレクティブによる脱中央のための祭典

小さな地殻変動が世界のあちこちで起きてきている。プレビュー期間中、心を動かされる瞬間に何度出会ったことだろう。断っておくが、知名度の高い作家の作品を、答え合わせをするように見にいくような展覧会ではない。むしろ未知の文脈に積極的に身を投じ、これまでの思考のクセを取り除き、謙虚に展示物から発せられる問いやアーティストたちの声に耳を傾ける心構えが必要だ。

ドクメンタとは、1955年から始まり、今日では世界で最も影響力のある芸術祭のひとつに数えられる。第二次世界大戦中、退廃芸術の刻印が押され、国外流出した抽象表現をドイツで再評価する名目で始められた。冷戦中は、西側の価値観を芸術を通して東側に感化する前線として機能した歴史も持つ。ハラルド・ゼーマン以降、オクイ・エンヴェゾー、キャロライン・クリストフ=バカルギエフなど、ドクメンタのこれまでのアーティスティック・ディレクターは、特に1990年代以降、世界中でグローカルな芸術祭が乱立するなか、同時代美術のキュレーションの理論と実践を塗り替え、今なお美術業界で影響力を放っている。ドクメンタは、時代の政治情勢を巧みに利用しながら、国際芸術祭のモデルとしての、また新しい価値観の創出の場としての歴史を築いてきたとも言える[*1]。

*1 _ ドクメンタの政治性については、2021年にドイツ歴史博物館が企画した「documenta. Politik und Kunst(ドクメンタ、政治と芸術)」展において、アーノルド・ボーデと共にドクメンタを創設したヴェルナー・ハフトマン等が、戦前はナチス党員の戦犯であったことが暴かれ物議を醸した(Deutsches Historisches Museum, documenta. Politik und Kunst, Prestel, 2021)。また反ユダヤ主義問題が勃発したために急にキャンセルされたクメンタ15のプレイベントに招かれていたヒト・シュタイエルは、ドクメンタが自身の負の遺産を顧みてこなかった姿勢を痛切に批判している(Hito Steyerl, “Kontext ist König, außer der deutsche”, ZEIT Online, 3.Juni, 2022, https://www.zeit.de/kultur/kunst/2022-06/documenta-15-postkoloniale-theorien-kunst-kontextualisierung)*最終アクセス日:2022年7月1日。

今回のルアンルパによるドクメンタが、これまでのドクメンタと大きく違うのは、参加者の大半がコレクティブであるということだ。中でも、東南アジア、中東、東欧、アフリカ、オセアニア、ラテンアメリカ、カリブ海地域という、これまで西洋美術の中では「周縁」とされ、資本主義の負の影響を背負わされているという広義の意味でのグローバル・サウスのコレクティブが非常に目立った。キャプションでも、個人として参加している作家を除けば、トップにコレクティブ名が記載され、個々の作家名は下の方に羅列されている。個人のアーティストを神格化するような従来の方法とは一線を画している。

また「作品」の考え方も、ルアンルパによって再定義されている。「アート(作品)を生み出すには、さまざまな方法と実践がある。この実践は、グローバルな(複数の)アートワールドの既存のモデルには当てはまらないため、(未だ)目には見えない。(中略)異なる制作方法は、異なる作品を生み出し、その結果、別の読み方や理解のされ方を求めてくる。アート作品は、それぞれの文脈や実際の生活のなかで機能し、もはや単なる個人の表現を追求するものではなく、単体のオブジェとして展示されたり、個人のコレクターや国が資金提供する覇権的な美術館に売却される必要はない[*2]」。

*2 _ documenta fifteen handbook, p.17. 以後、筆者訳。

*foundationClass*collectiveによるインスタレーション(会場:Hafenstraße 76)
ベルリンのコレクティブFehras Publishing Practicesによる写真小説《Borrowed Faces》のインスタレーション風景。冷戦下の世界各地のアラブ語出版物における文化政治をフェミニストの物語として再解釈した。会場ではデジタル化されたアーカイブ資料を閲覧できる。

この文章で断言されているように、実際の会場で出会うものは、目に見える物質的な「作品」だけではない。現在進行形の活動や運動だったり、これまでの軌跡を示すアーカイブだったり、あるいはコレクティブがキュレーションをしたプログラムだったりと、多岐に渡る。そしてオープン後も、変化し続けることがむしろ推奨されている。視覚中心の作品・作家信仰からの脱却、暗黙の了解となってきた展覧会を支える枠組みの解体、そしてヨーロッパで特権的に蓄積されてきた芸術と知の脱中央化に向けた試行錯誤の過程が、会場のあちこちに浮かび上がる。

「ルンブン」の概念に基づくエコシステム

脱中央の思想は、会場構成や既存の場の再定義という形でも現れる。ドクメンタ史上、あまり活性化されてこなかったカッセル市の東や北のエリアが意識的に選ばれているのもそのためだ。ルアンルパがジャカルタで、生活の場を、アートと知の生産現場に変えてみせたように、インフォメーションセンターとして機能するルルハウス(ruruHaus)は、誰もが使えるリビングルームとして設計されている。メイン会場として長年君臨してきたフリデリチアヌムは、美術館ではなくオルタナティブな学びの空間フリードスクール(Fridskul)として新たなアイデンティティが吹き込まれている。

目指されているのは「異なる種がそれぞれの機能と役割を全うすることでバランスが保たれる自然界のような」それ自体で持続可能なエコシステム(Ekosistems)である[*3]。その心臓となるのが、共通の貯蔵庫のお米を分かち合うことを意味する「ルンブン(lumbung)」という概念だ。ドクメンタ15では、予算、設備、会場など物質的なインフラだけでなく、参加者たちの知識やノウハウも資源とみなされ、分有がすすめられる。

その分け方は、トップダウン式ではなく、マジェリス(Majelis)と呼ばれる集会で話し合われ、決められていく。話し合いや偶然の出会いを通して生まれたアイデアや知識は収穫物(Harvest)となり、それがまた有形無形の新たな資源となり、循環が生まれる。会期中、来場者たちはこのエコシステムの循環の中に身を置くことになる。こうしてドクメンタ15は、有機的に変化し続けるオーガニズムのように、会期中も変化していく。

*3 _ documenta fifteen handbook, p.12.

ルンブンの一例。芸術祭終了後も持続するシステムが目指されている。(会場:Hübner areal)

このエコシステムの考え方を遊びながら学べるのが、フリデリチアニムの中核に位置付けられたルアンルパ、セラム(Serrum)、グラフィス・フル・ハラ(Grafis Huru Hara)というジャカルタの3つのコレクティブからなるグッドスクール(Gudskul)による実験的な空間である。コレクティブが直面する課題をカードゲームでシミュレーションしたり、DIYをしたり、そこで出会った人と話してみたり、遊びの感覚で有機的なコミュニティビルディングのあり方を学ぶことができる。プレビュー期間中、仲間とぐだぐだとお喋りしたり飲食するノンクロン(nongkrong)が日々実践され、誰に対しても門徒が開かれていた。

Gudskulの展示風景。友達から学びナレッジシェアをすることが持続可能なエコシステムの根底にある。(会場:フリデリチアヌム)

遊びを交えながら体感させる手法は、「それぞれの文脈の中で、実際の生活の中で機能」するアートを、違う文脈で生活する他者に伝えるための戦略として、ドクメンタ中で多く取られていた。表現の自由や社会平等を掲げ活動を続けるハバナのコレクティブINSTAR(The Instituto de Artivismo Hannah Arendt)は、一党独裁が続くキューバ社会において、検閲され負の刻印を押された表現を、広大な空間に壁新聞のように展示したり、監視カメラから逃れるための目指し帽を人形劇のように展示している。なお、このコレクティブは、タニア・ブルゲラがハンナ・アレントの『全体主義の起源』の輪読を始めた運動が名前の由来となっている。

INSTAR(The Instituto de Artivismo Hannah Arendt)による展示風景(会場:ドクメンタハレ)

タイでは乳製品の町として有名なノンポーを拠点にするコレクティブBAAN NOORは、ドクメンタハレに誰でも使えるスケボーのハーフパイプ《Skate to Milk》を設置した。世界金融危機により稲作から酪農に舵が切られた街の新しいランドスケープと住人の関係性をプレイグラウンドから考える試みだ。シネマ・キャラバン+栗林隆の《元気炉》は、原発の形を模した移動式のスチームサウナであり、他者と身体を共にする熱量が、新たな循環エネルギーとして提示される。サウナを覆う蚊帳は、共同体における排他性すら、エネルギー資源になることを暗示しているようだ。 

誰でも利用できるBAAN NOORのハーフパイプ(会場:ドクメンタハレ)
シネマ・キャラバン+栗林隆による展示風景。会期中に元気炉は移動を続ける(会場:オランジュリー公演など)Photo: Mariko Mikami

「食」が今回のドクメンタで重視されていることも指摘しておきたい。ダッカのブリット・アーツ・トラスト(Britto Arts Trust)は、世界の細部にまで大量に流通する食料品を、刺繍や陶器で作り変え、食料品店として展示し、嗜好のグローバル化と、それが引き起こす食料・環境問題に警鐘を鳴らす。また100日間に渡り100の異なる地域の食べ物をドクメンタハレの横のスペースで提供するという。中国広州のコレクティブBOLOHOは、元工場の食堂を広東風のカフェに改造し、アメリカのシットコムのパロディのような現代中国版ファミリー・コメディをテレビ画面で流しながら、中華料理を振る舞う。オットネウム自然史博物館に現れた、農業との関係からアートを再考するインランド(INLAND)が作った洞窟も面白い。洞窟は、動物壁画誕生の場であり、チーズなど食料の保管庫にもなり、人類と他生物が共存してきた経済空間とも言える。ドクメンタの洞窟では、ヒト・シュタイエル《アニマル・スピリッツ》が上映されており、INLANDのメンバーの羊飼いと、ケインズ経済学を盾にするエコファシストや私欲に走るNFT信者とのバトルが繰り広げられる。その横で、洞窟壁画がAIにより生成され、新通貨「チーズコイン」が粛々と培養されている。食は、アートの実践の前線である。

ブリット・アーツ・トラストによるマーケット型展示風景(会場:ドクメンタハレ)Photo: Mariko Mikami
BOLOHOが改造した元工場のカフェテリア(会場:Hübner areal)
インランドが培養するチーズコイン(会場:オットネウム自然史博物館)Photo: Mariko Mikami
公式の歴史と個人の物語

「公式な歴史」には決して登場しないようなプログラムも目を引いた。ロジャヴァで映画祭や教育を行うコミナ・フィルム・ア・ロジャヴァ(Komina Film a Rojava)がキュレーションした映画プログラムでは、親から子へと口頭で伝承されるクルドの民謡が、歴史に書かれないことによって、抑圧者の弾圧から逃れるある種の抵抗の手段として描かれる映像作品《Darên Bi Tenê(孤独な木々)》(2018)を見ることができる。オフ・ビエンナーレ・ブダペスト(OFF-Biennale Budapest)はロマのアーティストを紹介する展覧会「One Day We Shall Celebrate: RomaMoMA」を市内の複数箇所で展開している。その参加作家の一人、ボスニア・ヘルツェゴビナのロマコミュニティで育ったセルマ・セルマンは、車のボンネットに描かれたイメージや詩、そして家族と共に廃棄された自動車の中から貴金属であるプラチナを取出すパフォーマンスの映像を見せる。廃棄物をプラチナに変える過程は、被差別者の低賃金労働をアートに転換させる現代の錬金術のようでもある。

セルマ・セルマンのインスタレーション風景(会場:フリデリチアヌム)Photo: Mariko Mikami
コミナ・フィルム・ア・ロジャヴァの展示風景(会場:フリデリチアヌム)

ヨーロッパ社会にとって身近で切実な社会課題である移民問題を、当事者の立場から扱った試みも少なくなかった。ベルリンのヴァイセンゼー美術大学で設立された*ファウンデーションクラス*コレクティブ(*foundationClass*collective)は、ドイツの美術教育制度や移民アーティストに対するナラティブへの違和感を、複数会場で出会うカラフルな布バナーや、移民の運転手によるMiniCarタクシーの車内を通して、個人の物語として静かに拡声する。

*ファウンデーションクラス*コレクティブによるインスタレーション風景(会場:フリデリチアヌム)

オーストラリアのサフダル・アーメド(Safdar Ahmed)は、多文化主義国家をうたうオーストラリアでのイラン系難民に対する不当な扱いを、デスメタルバンドに扮して吠えまくる。コペンハーゲンのトランポリンハウス(Tranporine House)は、デンマークへの亡命希望者の声を、グラフィティだらけの地下道の中に潜ませる。壁の異なる高さのところにスピーカーが仕込まれているが、耳を近づけなければうまく聞こえない。都市のノイズでかき消されそうになりながら、声の小さな他者にしばし想いを馳せる。

トランポリンハウスによる地下道のサウンドインスタレーション(会場:Platz der Deutschen Einheit)
サフダル・アーメドによるインスタレーション映像(会場:カッセル市立美術館)Photo: Mariko Mikami

文化芸術への公的な支援体制やインフラがほぼない地域のコレクティブも多く、今なお続く政情不安が漏れ出る作品も少なくない。アラビア語でエコー(反響、こだま)を意味するサダ(SADA[REGROUP])というバグダードで2010年から2015年に活動していたコレクティブは、かつてのメンバーによる短編映像作品を上映している。女性メンバーであるサラ・ムナフ(Sarah Munaf)の映像は、女性という理由で殺害された美大の友人の訃報、自爆テロの安否確認、イスラム国のイラク侵略など、バグダード市内をドライブ中に、家族や友人から受信したメッセージに対して、音声で返答する様子が淡々と描かれるのだが、最後にはウクライナ戦争との関連をも示唆される印象深い作品であった。

サダによる短編映像作品の上映風景(会場:フリデリチアヌム)Photo: Mariko Mikami

パレスチナ地域の歴史的な映像作品の修復、調査、製作を手がけるコレクティブ、サブバーシブ・フィルム(Subversive Film)の《Tokyo Reels》 (2022) というプログラムも強烈な印象を残した。工場跡地のヒュブナーアレアルとグロリア映画館の2箇所で、レバノン内戦の戦渦が生々しく記録された20本の映像を上映しており、合計上映時間は9時間を超える[*4]。このフィルムリールは、戦禍により破損あるいは行方不明と思われていたが、60年代から80年代にかけて日本に持ち運ばれており、その後、足立正生氏からコレクティブに託されたものだという。デジタル化されてもなお残る16ミリフィルムの無数の傷から、激動の最中、水面下で行われた国を超えた映画人の連帯が想像される。

サブバーシブ・フィルによる展示風景。Hübner Arealではインスタレーション形式で見られ、グロリア映画館では毎週水曜日にスクリーニングが実施される。(会場:Hübner areal)Photo: Mariko Mikami
異文化(不)理解とフライドチキン

そもそも私たちのものではないヨーロッパの、組織的なアジェンダに搾取されることを拒否します[*5]」とルアンルパが述べたように、今回のドクメンタの展示では、これまで(全てではないにせよ)白人男性を主体に築かれてきた西洋中心的な美術業界の牙城が、緩やかに、有機的に、流動的に、周縁から崩されていたように思う。そして、同時代の未知のリアリティ(現実)との新鮮な出会いを惜しみなく提供し、氷山の一角とはいえ、特定の地域に対する解像度高めてくれた。しかし、いま、ドイツにおける反ユダヤ主義問題という別のリアリティに直面している。

*5 _ documenta fifteen handbook, p.12.

2022年1月、カッセルの反ユダヤ主義反対連盟(Bündnis Gegen Antisemitismus Kassel)のブログ記事が引き金となり[*6]、ドクメンタ15に反ユダヤ主義の疑惑がかけられ、予定されていたプレイベントが中止に追い込まれる事態となった。5月末には、パレスチナ系コレクティブの展示会場の壁に脅迫とも取れる落書きが残されるヴァンダリズムが起きた[*7]。こうした背景から、プレビューの間、特にドイツ系のジャーナリストはドクメンタにおける反ユダヤ主義の烙印探しに奔走した。

*6 _ “Documenta fifteen: Antizionismus und Antisemitismus im lumbung”, bga-blog, January 7, 2022,
https://bgakasselblog.wordpress.com/2022/01/07/documenta-fifteen-antizionismus-und-antisemitismus-im-lumbung/

*7 _ Taylor Dafoe, “Vandals Attack a Kassel Arts Venue Where a Palestinian Group Is Set to Show During Documenta”, artnet news, May 31, 2022, https://news.artnet.com/art-world/documenta-vanadalized-2124017

しかし、疑惑の的となっていたクエスチョン・オブ・ファンディング(The Question of Funding)という文化芸術と資金や物資調達のメカニズムに対峙するパレスチナのコレクティブが、ガザ地区で最古のアートコレクティブであるエルティーカ(Eltiqa)と共に実施した展示でも、明確に反ユダヤ的なものは確認できなかったというのが当初の印象である[*8]。むしろ会場で私たちを出迎えたのは「パレスチナのアートは、意図していようがいまいが、(特にパレスチナの外で展示されるとき)政治的なものとして認識される」というガザのアーティストの言葉であった。またプレビュー期間中、あらゆる疑惑を吹き飛ばすような和やかで高揚感のある空気が、どの会場にも充満していた。

*8 _  Elke Buhr, “Antisemitismus af der Documenta: Hier ist die Grenze überschritten”, MONOPOL, 20.06.2022, https://www.monopol-magazin.de/taring-padi-documenta?slide=0

The Question of FundingとEltiqaの展示風景(会場:WH22)Photo: Mariko Mikami

​ところが、破損箇所を修復していて設置が遅れたというインドネシアのコレクティブ、タリン・パディの巨大なバナー《人民の正義(People’s Justice)》(2002)が、プレビュー後にフリードリヒ広場というもっとも人目につくところに設置され、事態は急展開を迎える。縦横8x12メートルの巨大なバナーの右側には体制に反対し戦う農民たちが、左側には戦闘服姿の世界各地の諜報部員や支配者が武装しながら行進している様子が描かれ、中央には牢屋に閉じ込められた動物の顔をした資本家や政治家を糾弾する怒れる民衆と「人民の正義」というタイトルが確認できる。問題となったのは、左側に描かれたユダヤ人の描写だ。ダビデの星のネッカチーフを着け、豚鼻のヘルメットの額の部分にモサドの文字が見える。その少し右側には、もみあげと黒い帽子を被った赤い目と黄色い牙の鉤鼻の人物が描かれており、帽子にはSSの文字が見える。SSとはナチスの親衛隊のことであり、つまりユダヤ人とナチスのハイブリットキャラクターなのだ。

プレビュー初日、《人民の正義(People’s Justice)》が展示される前の様子 Photo:Mariko Mikami
*問題となったタリン・パディ《人民の正義(People’s Justice)》の詳細は、ZEIT ONLINEで閲覧可能(https://www.zeit.de/kultur/kunst/2022-06/documenta-fifteen-antisemitismus-debatte-kunst

タリン・パディは、1990年代末、開発独裁を強いたスハルト政権への抗議として、バナーやペインティング、段ボールのディスプレイを用いたアジテーションの表現を活動の中心に据えてきたジョグジャカルタを拠点に活動するコレクティブだ。フリードリヒ広場とハレンバード・オスト(Hallenbad Ost)に無数に展示されていたダンボール人形から、ウクライナへの連帯を示すものや、環境問題、LGBTQ、サブカルチャーなど、世界の同時代性に目が向いていることがわかる。問題となった作品は、インドネシア史から抹消されかけた1965年の虐殺とその後の冷戦下における独裁から着想を得て、国家暴力をテーマに2002年に制作されたもので、これまでもインドネシアやオーストラリアなどで発表されてきた。本人たちは、反ユダヤ主義も人種差別の意図がないことを主張をし[*9]、ルアンルパも同じ立場をとってきた[*10]。しかし、このイメージは、消えることない過ちへの謝罪を繰り返してきたドイツの対イスラエル政策を一瞬にして踏みにじる威力があった。

*9 _ タリン・パディによる声明文はドクメンタの公式ウェブサイトで閲覧可能。https://documenta-fifteen.de/en/news/statement-by-taring-padi-on-dismantling-peoples-justice/

*10 _ ルアンルパによる声明文はドクメンタの公式ウェブサイトで閲覧可能。https://documenta-fifteen.de/en/news/ruangrupa-on-dismantling-peoples-justice-by-taring-padi/

6月18日の公式オープニングにおけるシュタインマイヤー大統領の約14分に渡るスピーチの大半は、イスラエルとユダヤ人の話に費やされた。「イスラエルについて語りながら、600万人のユダヤ人が殺害されたことについて沈黙を守ることはできないだろう。ショアの傷は開いたままだ[*11]」と述べ、不満を露わにし、ユダヤ系イスラエルのアーティストが選ばれていないことにも苦言を呈した。緑の党でリベラルで知られるクラウディア・ロートメディア文化大臣は「一線を超えた」不適切な表現として、作品撤去を求めた[*12]。

事態を収束すべく、6月21日にはドクメンタ側がバナーを黒い幕で覆い解説を加える措置が取られた。しかしその間も、ドイツ系メディアの多くは、作品の中身やインドネシアでの文脈を検証することなく、反ユダヤ主義と決めつけ、これを容認したドクメンタへの大バッシングを続け、ルアンルパやドクメンタ事務局長、ロート文化大臣の退任を求める声も上がった。6月23日には作品が完全撤去され、その後、立て続けにドクメンタの公式ウェブサイトで謝罪文が公開された。6月29日にはドクメンタ事務局とアンネ・フランク教育センターが、文化庁担当官、ドイツユダヤ中央評議会メンバー、前ドクメンタアーティスティックディレクター、ポストコロニアル理論の専門家などを招いたパネルを緊急企画し、立場を異にする人々の意見が飛び交ったが、本論考を執筆時点で、着地点は見えていない。

*11 _ ドイツ連邦大統領府のホームページにシュタインマイヤーのスピーチ全文が掲載されている。 “Niemand, der in Deutschland als Debattenteilnehmer ernst genommen werden will, kann zu Israel sprechen, aber zu sechs Millionen ermordeten Juden schweigen. Die Wunde der Shoah bleibt offen.” https://www.bundespraesident.de/SharedDocs/Reden/DE/Frank-Walter-Steinmeier/Reden/2022/06/220618-documenta.html

*12 _ Catrin Lorch, “Eine klare Grenzüberschreitung”, Süddeutsche Zeitung, 19. Juni 2022, https://www.sueddeutsche.de/kultur/documenta-fifteen-claudia-roth-antisemitismus-steinmeier-rede-the-question-of-funding-1.5605248

プレビュー期間中、タリン・パディのメンバーと話をする機会があったが、「ドクメンタのことを全く知らずに、ただ自由を求めて版画を彫って音楽をやってきたメンバーもいるよ」という話を聞いた。同時代の世界各地に存在しているけれど、ヨーロッパのアートワールドからは見えにくい複数のリアリティが存在することにハッとさせられたのを覚えている。

もちろん単なる「異文化」は言い訳にならない。異なる文化圏で展示されるときに、イメージが異なる解釈をされるということは、半世紀以上の歴史を持ち、政治の舞台でもあるこの国際展に参加するという時点で、意識されるべきだったろう。そして現代のドイツ社会でユダヤ人の表象が持つ意味は、十分に想像されるべきだっただろう。しかし、冷戦以降、顕著になったグローカルな国際芸術祭において、異文化の表象は、誰によってなされてきたのか。欧米圏で消費されているポストコロニアル理論を批判的に敷延しながら、見えない他者への想像力を広げることが、今回のドクメンタの肝である以上、この一連の騒動によって、ルアンルパがドクメンタ15で試みようとしたエコシステムの萌芽が摘み取られないことを、そしてトップダウンのオーガニゼーションでなく、ボトムアップの「オーガニズム」という組織編成の試みが潰されないことを、祈るばかりである。逆なですべきは感情でなく、歴史であるべきだ。

ハムジャ・アサン(Hamja Ahsan)の作品は、この騒動を別の角度から考えるヒントになるかもしれない。アサンは、ハラル系フライドチキン屋の看板をカッセル市内や会場内にそっと設置し、アメリカが対テロ戦争を宣言して以来、ムスリム差別が蔓延する一方で、欧米含む世界の都市部にハラル系のフライドチキン屋が増加している矛盾を静かに風刺する。美味しそうなフライドチキンの看板に光が灯れば、そこにはお腹をすかせた人が集まり、人種差別を超克して、同じテーブルにつくことができるのではないか。そう想像することはあまりに楽観的だろうか。

  • ハムジャ・アサンによるフライドチキンの看板(会場:WH22など多数)Photo: Mariko Mikami
  • プレビュー期間中のノンクロンで自然と踊りだす人も(会場:フリデリチアヌム)Photo: Mariko Mikami

これからも色々な議論が起き、アートワールドだけでなく、政治を大きく巻き込むことになるだろう。しかしこれだけは明記しておこう。実際に足を運んで、再会した旧友や新しく出会った人と、ご飯を分け合い、歌い、踊り、まさにノンクロンしたことで「make friends, not art(アートでなく友達を作ろう)」という一人歩きしていた言葉を、自分の体内に取り込むことができた。

カッセルの街中に、アジア系の人が溢れ、お米の炊ける匂いが漂うなんて、誰が想像できただろうか。プレビューの間ということもあり、より祝祭的な空気感が漂っていたのは確かだが、西洋美術の本拠地ヨーロッパで、マイノリティである人たちが集まったエネルギーは感動的なものがあった。これがアートなのか、首を傾げる人もいるだろう。しかしそこで問われるのは、自分が認識していたアートは、何によってアートとされてきたのか。そこから排除されてきたものは何か、なぜ見えなくなっていたのか。「異文化」とは誰のことで、それを展示するとはどういうことか。時代の大転換点を迎えている2022年に相応しい問いかけに違いない。これから100日間で、ドクメンタが、また人々の認識が、どう変わっていくのか、何が収穫できるのだろうか。

 

CREDIT

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TEXT BY MARIKO MIKAMI
東京大学総合文化研究科超域文化科学科にて比較文学・比較文化を学んだのち、学術研究支援の職務経験を経て、現在は、現代視覚文化を中心とした分野横断型プロジェクトのプロデュース、マネジメント、キュレーションを、東京とデュッセルドルフを拠点に手がける。2017年より東京のアートスペースASAKUSAにてプロジェクトマネジメントに従事。近年情熱を注いだプロジェクトに「ボリス・グロイス日本招聘プロジェクト」(国立近代美術館他、2017)、「アントン・ヴィドクル「宇宙市民」制作プロジェクト」(東京・ニューヨーク・キーウ、2018)、「ミン・ウォン:偽娘恥辱︎㊙部屋」展(ASAKUSA、東京、2019)、「泉太郎:ex」展(ティンゲリー美術館、バーゼル、2020)、「Resonances of DiStances」(BOA/Kunstverein Leverkusen、デュッセルドルフ/レバークーゼン、2021)、「オモシロガラ」展(DKM美術館、デュイスブルク、2021)など。
Mizuki
PHOTO BY MIZUKI KIN
アーティスト、写真家。東京藝術大学大学院修士課程修了後、ベルリンを拠点に活動を開始。 第3回写真1_wallグランプリ、2015年度ポーラ美術振興財団派遣海外研修員。黒くて大きな犬を飼いたいです。 http://www.kin-xx.com/

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