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2017.03.30

日本の価値観をテクノロジーと接続。ドミニク・チェンの日本的ウェルビーイング実践(後編)

TEXT BY RYOH HASEGAWA,INTERVIEW BY ARINA TSUKADA

人間社会と情報テクノロジーの新たな関係を論じた1冊『ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社)の監訳を務めたドミニク・チェン氏。現代のウェルビーイングについて尋ねた前編に続き、チェン氏がいま編み出そうとする、日本文化に根付いた価値観からテクノロジーを構築していく新たな方法論について尋ねた。

Post-truth時代に重要な、「痛み(pain)」への共感

科学技術が人間に及ぼしうる危険性や影響は、20世紀初頭からSF作品を中心に提唱されてきましたが、今日のPost-truth時代においては、そうした危機意識も個人のフィルター次第で変わってしまうのではないでしょうか。

ドミニク:現在のアメリカのトランプ政権やイギリスのEU離脱の状況を見ていて、まさにPost-truth情況が露呈している興味深く思えるのは、現在の社会は合理的な議論の可能性の限界に達してしまっている状況だということですね。専門家に委ねた熟議以外のところで、いかに社会合意を形成できるのかという難題が、いまやアメリカのみならず世界中で突きつけられているように思えます。

たとえば、いまのアメリカのリベラル層の一部は、トランプ支持者を代表とする保守層に対して皮肉にも反リベラルな態度を取るようになってしまっている。たとえばLGBTの権利を認めない人が目の前にいた場合、リベラル派が「お前なんかと同じ空間にいるだけで虫酸が走る、出て行け!」といった罵詈雑言を平気で言ってしまう。こうした態度は果たして本当にリベラルと呼べるのか。

こうした状況の中、Facebook上のフィルターバブルやTwitter上のヘイトスピーチなどに対して、合理性による判断を上回るものは何かと考えたとき、それは共感や身体的な情報の伝播ではないでしょうか。つまり、社会的な合意のためのエビデンスとして、身体や心の状態に関する情報提示の仕方が考えられるのではないかと。

身体的な情報とは、具体的に何でしょうか。

ドミニク:ちょうど最近、ある省庁での有識者会議で「社会の新しい合意形成の方法を考える」というお題を与えられており、テクノロジーを使った方法を検討しています。そこで思考実験的に僕が提出したのが「Gross National Pain(GNP)」という指標です。つまり、人々の「痛み(pain)」への共感を国家規模で共有してみるという発想

たとえば僕も今使っているSpireという呼吸のログを計測できるデバイスでは、いま落ち着いているのか、緊張しているのか、集中しているのかといった心理状態を、呼吸のリズムやペースから近似することができます。Spireの開発チームはこれを使って、アメリカ全土に散らばるユーザーベースに対して、地域ごとや国全体の緊張度や集中度の調査結果を公表しているんです。アメリカの大統領選挙時の測定結果では、トランプの当選速報が流れた夜中の11時にアメリカ全土の緊張度が急上昇していることが分かりました。

デバイスが計測した呼吸量で、人々の世論が見えてくると。

ドミニク:こうしたウェラブルテクノロジーなどをうまく使えば、社会的弱者たちの声なき声をデータ化し、合意のためのエビデンスをつくっていくことができるとも思うんです。この呼吸ログを地図上でリアルタイムに把握できるようになれば、ある特定の地域や特定の層の人たちの呼吸が非常に浅くなっていることがわかるかもしれない。それは、行政や自治体が定性的な調査を始めるトリガーにできるでしょう。

たとえば一例として、シングルマザーたちが世の中で最も苦しんでいる、というたことがこうした新しい科学的なリアルタイム統計データによって判明し、うまく社会で共有できれば、そこに対して公的資金を使おうという合意形成が容易になるのではないかと思うのです。

ペインを軸としたデータが定量化できれば、政治的なイデオロギーによらない意思決定の可能性が拓けるということですね。

ドミニク:極端な話をすれば、目の前に血を流している人がいれば、右翼なのか左翼なのかに関わらずに人は本能的に助けようとするでしょう。それを仏教的な概念に結びつけるとすれば、人間は皆、苦しむ存在であるということをスタートラインとする。そこをボトムラインの共通理解として、その上に共通言語、プロトコルをいかに作っていくかをテクノロジカルに支援することができるのではないかと思っています。

痛み」にも色々なるバリエーションがあるように、「健康でウェルビーイング」な人間像が確立されすぎると、そこからこぼれ落ちた人たちが逆説的に苦しんでしまう可能性もあるのではないでしょうか。

ドミニク:たしかに「痛みは悪いものである」といった一般通念が一種の同調圧力になってしまいますからね。しかし、この本のなかではポジ/ネガ両方の感情の適切なバランスが議論の対象になっています。たとえば本書でも触れられているバーバラ・フレデリクソンの研究で示されているように、ポジティブ感情の割合が過ぎると、ポジティブ感情のある種中毒になってしまう。また、そのバランスの割合は人によって異なるし、その人のライフステージによっても変わっていく。

この本の一番大事なメッセージは、あらゆる人間を規定するユニバーサルな法則を見つけることではなく、人間の持っている複雑性に真摯な眼差しを向けることだと思っています。個々人が自分のよりよい状態を求めていくことが個人主義的な発想だとすれば、もっと間主観性に根ざした共通の「よい状態」を求めていくのが日本的かつアジア的な発想だと思うんです。

日本文化にある価値観を、現代テクノロジーと接続する

「日本的ウェルビーイング」の設計を目指されていますが、日本にこだわる理由は何でしょうか。

ドミニク:この本が示すように、これまでの心理学的な研究の方向性としては、個人主義的な思想のなかで、個々人のウェルビーイングの最大化を目指すことがメインとされてきました。しかし、日本の場合は個人の意識よりも、その人の属する社会環境によってより大きくウェルビーイングが左右される気がしています。僕はそうした環境や場のことを「風景」と呼んでいます。物理的な場はもちろん、人間の意識と無意識の緊張関係も一つの風景であり、ありとあらゆる社会システムは場に帰結するのだと考えています。

風景=個人の所属する環境として捉えたとき、「空気を読む」といった日本の集団主義的思考は、ときにネガティブに映ることもあります。よりポジティブなイメージを生むには、新しい視点が必要かもしれません。

江戸時代中期に活躍した蘭学者であり、医者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として異才を発揮した平賀源内。老中・田沼意次にも知られ、杉田玄白や中川淳庵らとも交流する。「土用の丑の日」を考案した元祖コピーライターとしても有名。また、現代のTSUTAYAは数々の浮世絵を出版した蔦屋重三郎の名にちなんでいる。

ドミニク:法政大学総長で江戸文化の研究者である田中優子さんは、日本に特徴的な重要なコンセプトの一つとして、「連(れん)」を挙げています。「連」とは、同じ志向性を共有する人々の知的な文化コミュニティのこと。たとえば、蔦屋重三郎や平賀源内らの周辺には知的文化人の集うサロンがありましたが、そこでは社会的ヒエラルキーは持ち込まれず、特に何らかの目的も設定されないまま、とにかく活動を共にし続けます。そういう場所から出てきたのが平賀源内の数々の発明や創作であり、蔦屋重三郎の出版した本だったりした。

さらに言うと、芭蕉などの俳諧師たちが興じた「連句」も連的なサロンの代表格です。何が出来上がるかはプロセスを走らせないと分からない、オープンエンドな創作の形式が作られてきたわけですね。つまり生み出される対象を事前に想定するのではなく、そのプロセス自体に没頭することが目的となっているんです。

こうした日本的なコミュニティの設計方法からも、今後の情報テクノロジーを編み出す可能性があるのではないかと思います。僕は現在、能楽師の安田登さんの元で謳の稽古をしているのですが、能を通して日本文化を理解する過程にはいつも面白い学びがあります。たとえば、世阿弥は自分の能をテンプレート化し、後世に無能な人が出てきても文化を断絶させないための能のアーキテクチャを設計することに注力していました。そのひとつが有名な「序破急」という構造です。後世の人間はこのテンプレに沿ってシナリオを打ち込めばいいのだ、と。

さらに世阿弥は、能が廃りそうになったときには「風流(ふりゅう)」の技法を使えと提唱しています。風流とは一言でいうと派手なエンタメ的演出のこと。たとえば『土蜘蛛』という能では、実際に土蜘蛛の糸を象った造形物を派手に見せることで、お客さんは目で楽しむことができる。これらの教えが意味することは、表層的に面白くすることはいくらでもできるということなんです。

世阿弥は能という文化を数百年スパンで考えていたと思います。自分がその時代にどんな作品を残せるかよりも、自分の編み出した文化のプラットフォーム自体を残そうと考えた。そのとき、人々を表層的な装飾で感動させるのではなく、深層の部分で何かを感じてもらえるように、つまり人々の自律的な意味生成を促すように設計したのです。だからこそ能面で表情を隠したり、派手さを捨てたミニマムな動きを通して、観衆の感覚に訴えかけようとしているんですね。  

「個」から解放され、「風景」に融けていく自己

そうした日本的な発想は、現代社会にこそ生きてくると考えられているんですね。

ドミニク:はい、こうした話には、人間の意識のなかで情報がどのように働いているのかということを考える上での示唆が多いと考えています。現代には、情報は精密であるほどいいというような通念があると思いますが、少ない情報から自分のイメージを自律的に生成する方が長期的には学習という観点からは良いかもしれない。このように現代の常識にゆさぶりをかけつつも情報技術の設計とつなげられるような観点が、日本に特徴的な文化を掘っていくとたくさん見つかります。

たとえば「死」という現代的な概念は、古事記の頃にはなかったそうなんです。古代の大和語において、「しぬ」は「皺々(しわしわ)」になるという意味と通じていて、西洋的な「death」ではない。そして能の世界では、歳を取れば取るほどいいという共通認識があります。それは歳上の方が偉いということではなく、年老いた人の方がスキルの開花するポテンシャルが高いと見なせるからです。

世阿弥『風姿花伝』(角川ソフィア文庫)

能の世界では、身体は動かなければ動かないほどいいし、声も出ないほどいい。一見すると我々の現代的な常識ではないところがポジティブな価値として受け止められている。世阿弥の『風姿花伝』では心身が熟していくことを「花を咲かせる」と表現しますが、これはポジティブ心理学でいう「フローリシング(flourishing)」と比較しながら考えられると思います。この思考が日本において、すでに600年以上前に書かれていたことが面白いですね。こうした伝統が日本文化の中にある分、そこから新しい価値観を拾い上げ、現代のサイエンスに翻訳したり接続することができると思います。 

もう一つ面白い話として、能の世界では主体の領域が曖昧になることがあります。その顕著な例として、二人の登場人物が会話をしているとき、途中から主語のない「共話」になっていくんです。共話というのは言語学者の水谷信子が提唱した概念ですが、二人以上の話者が主語を共有しながら進む会話のことです。Aが「今日の天気はねぇ」といって、Bが「本当、快晴だねぇ」と返すような場合です。たとえば『定家』という能では、悲恋を遂げた幽霊と、旅の僧が出会い、幽霊の嘆きを僧が聞くという構造になっていますが、クライマックスでは僧がお経を唱えて幽霊を成仏させるパートがあります。ここでも、会話の最後は共話的に二人が風景を描写し、最後は地謡のナレーションにフェードアウトするような表現になっています。

つまり二人の発話の応酬が盛り上がった先には、主体性が共鳴し合い、ひとつの「風景」に融けていく。このような感覚が日本的なドラマツルギーのカタルシスを生むということはとても面白い。これは別の言葉でいえば、「個性(individuality)からの解放」とも呼べる。対して仏教の思想には「梵我一如」というコンセプトがあります。自我と宇宙が一体となる感覚のことですね。これも、自分が風景の一部に融けるという解放感を指すことではないでしょうか。

藤原定家と式子内親王の悲恋を描いた物語『定家』に由来する花、「定家葛(テイカカズラ)」。
死後も式子への想いを断ち切れなかった定家が植物の霊になったと言われている。
参考:安田登の「能を旅する」ー第1回「ワキから始まる能の物語」

風景の一部と化する物語を通してカタルシスを得るという文化構造があるとしたら、それは人間を分割不能(indidivual)な単位に固定する欧米的な個人主義的な人間観では把握しづらいと思うし、この点に日本的ウェルビーイングと呼んでいるものの断片があるかもしれません。そこから僕は、自分が融けたいと思う風景自体をデザインできるのではないかと考えています。それは建築家であれば空間を設計することかもしれないし、エンジニアであれば新しいSNS環境を作ることかもしれません。

自律性を見据えたオープンマインドネス

そうした日本文化の思想と、情報テクノロジーの設計はどう関わるのでしょうか。

ドミニク:人間個体の身体的な認知能力には限界があります。いま僕は来週のスケジュールもGoogle Calenderがないとわかりません。それは逆にいえば、カレンダーを使うことで認知限界を超えたスケジュールをこなせるとも言えますが、反対にそのような殺人的なスケジュールを自分が望んでいるのかというと良く分からないのも事実です(笑)。

「できるからしてしまう」というのは人間と技術の惰性的な関係の特徴だと思いますが、こうした情報技術が人間の身体をサポートするとき、自律的な選択肢をユーザーが持てるようにするということがITの倫理性におけるひとつの方向性なのではないかと思います。

このように技術と人間をシステム論的に捉える思考は、この本では特によく書かれています。そして、「エウダイモニア(eudaimonia)的ウェルビーイング」という概念が、日本的な文化的特徴をグローバルなウェルビーイングの議論と接続させるキーとなるはずです。これは「持続的幸福」とも訳されますが、一時的な快楽を最大化するアプローチに対して、人間の自律性を重要な構成要素として捉える考え方です。

『ウェルビーイングの設計論』は各分野から研究者が寄稿しているという意味でも非常に学際的な本ですが、最後にドミニクさんが志向する「日本的ウェルビーイング」の最も大きな課題を教えてください。

ドミニク:心の領域を触れる技術について考える上で大事なのは、それを行えば間違いないという教義をつくろうとしてはいけない、ということです。そうではなく、各々が自分の哲学を構築していく助けを作ることこそが重要だと思います。

極右の人と極左の話が議論をしても、既に互いの目的がプリセットされているため、永遠にかみ合いません。意見が異なる人と対峙したとき、そこに共通のメタ認識があれば、もう少し違った尺度で互いの価値観を認めることができるかもしれないし、自身の意見を変えることができるかもしれない。そのように「変われる」と思うことがもっとも大事なのかもしれません。人は変わるし、意見は変えられる。それは恥ずかしいことでもないし、悪いことでもない。それよりも互いを最初から否定してしまったり、自分を固定化してしまう過度な閉塞性こそが問題です。

その意味で、個々人が自分の価値観を自律的に生成し、チェックして変えていける環境をつくることが、自律性を保ちながらもお互いが共通の風景に解け合えるような社会につながるのではないでしょうか。今後も「日本的ウェルビーイング」の追求を通して、そのような状況に寄与できる情報技術の形を探っていきたいと思います。

書籍情報

ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社)

ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ (著)
渡邊淳司、ドミニク・チェン(監訳)
木村千里、北川智利 、 河邉隆寛、 横坂拓巳、藤野正寛、 村田藍子 (翻訳)

 

CREDIT

Ryohasegawa
TEXT BY RYOH HASEGAWA
『SENSORS』シニアエディター。編集者、ライター。リクルートホールディングスを経て、独立。修士(東京大学 学際情報学 )。複数媒体でライティング、構成、企画、メディアプロデュースを行う。Twitter: @_ryh
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INTERVIEW BY ARINA TSUKADA
「Bound Baw」編集長。編集者、キュレーター。「領域を横断する」をテーマに幅広く活動する。サウンドアーティストevalaのサウンドプロジェクト「See by your ears」マネージャー。2010年、サイエンスと異分野をつなぐ「SYNAPSE」を若手研究者と共に始動。12年より、東京エレクトロン「solaé art gallery project」のアートキュレーター。編著に『マリー・アントワネットの嘘』(講談社)『メディア芸術アーカイブス』『インタラクション・デザイン』(BNN新社)、ほか「WIRED」など執筆歴多数。 http://arinatsukada.tumblr.com/

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