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2017.12.28

ゴーストはどこに宿るのか? 日本のコミュニケーションロボットとカルチャーの相関関係

TEXT BY ARINA TSUKADA

「なぜ、日本のロボットは独自に進化し続けているんだろう?」 
一通のメールがドイツの編集者から届いた。彼は、とあるヨーロッパ有数のテクノロジー企業が出版するマガジンを制作しており、今回の特集テーマを「日本のロボティクス・カルチャー」に定めたのだという。そこでの問いは、日本のサブカルチャーとロボットの蜜月たる関係の謎についてだった。Bound Baw編集長・塚田有那がドイツ雑誌「Displaying Futures」へ寄稿した記事の日本語版を転載する。

日本特有の「コミュニケーションロボット」

なぜ日本には、強固なハイテクノロジーと独自カルチャーが共存しているのか?

これがドイツの編集者から本稿に与えられた問いだった。媒体は、ヘルスケア、ライフサイエンスにおける世界有数のテクノロジー企業メルクが主宰する未来志向型カンファレンス「Displaying Futures」において、年1回発行される同名のマガジンだ。

たしかに我が国日本には、食、芸能、建築から宗教思想まで、元々は主に東アジア圏から伝搬した文化を独自のかたちへと発展させてきたユニークな歴史を持つ。そしてまた、戦後のアニメ、マンガといったサブカルチャーの驚異的な市場発展が世界に大きな影響を及ぼしてきたことは今更述べるまでもないだろう。

その一方で、主に自動車や家電などのメーカー企業を中心に、日本が勢力を伸ばしていた20世紀までの話だ。現在はAIやバイオテクノロジーといった分野でのグローバル競争が激化しているが、日本が大きなプレゼンスを持てているとは言いがたい。また市場においても、「モノの技術」と大量生産システムによってドライブしてきた日本企業にとって、インターネット時代のサービス中心型イノベーション戦争には苦戦を強いられており、いまや数多の大企業が躍起になってネクストステージを模索しているのが現状だ。

しかしそうした状況においても、日本のロボット研究は世界に類を見ないユニークな位置を築いている。なぜ、日本はロボット技術に強いのだろうか? いや、おそらく「強い技術」という視点だけ見れば、Boston Dynamicsが発表した二足歩行ロボットのように、今後も世界各国から登場することだろう。しかし日本が特異な点は、ロボット開発のテーマが「コミュニケーション」にあることなのだ。

 

例を挙げれば、その歴史は古く1999年、ソニーが開発したペットロボット「AIBO」が一躍ブームを巻き起こした。その後、2014年には日本の大手携帯キャリアのSoftbankは感情認識ヒューマノイドロボット「Pepper」に莫大な投資をかけ、国内店舗の案内役として設置しているし、大阪大学の石黒浩教授は自身の顔に酷似したアンドロイドで、通称「イシグロイド」を開発して以来、世界中の国際学会やイベントで本人のアバターロボットが引っ張りだこになっている。またロボットクリエイターの高橋智隆は「ロビ」の愛称で知られる愛らしい小型ロボットを作り続け、日本の大手企業のTVCMに彼が“役者”として出演するといった実積も持つ。 

本来、ロボットというものは、人間の仕事を肩代わりする、またはそれ以上の作業を行ってくれるという「機能」や「用途」を目的に開発されるものだ。対して、用途の定かでないヒューマノイドなどの開発を進める試みは日本以外では非常に少ないと聞く。ではなぜ、これほどまでに日本人はロボットとコミュニケーションしたがるのだろうか? 

ドラえもんから攻殻機動隊へ、1995年の変革

あくまでここからは筆者の仮説に過ぎないが、そこには大きく分けて2つの理由が存在すると思う。ひとつめは、冒頭で先述したように、戦後日本が築き上げたマンガ・アニメの影響だ。その代表例となる国民的マンガに手塚治虫の『鉄腕アトム』と藤子・F・不二雄の『ドラえもん』がある。

特に後者は、TVアニメ版の放送開始から40年近く経った今でも放映され続け、日本人でその名を知らぬ者はまずいない。22世紀の未来からやってきたネコ型ロボット「ドラえもん」は、主人公のび太の家に住みつき、日がな好物のどら焼きを食べてのんびり過ごしている。そして毎回のび太がいじめられたり、わがままを言ったりする度に、「しかたないなあ」と便利な未来アイテムを繰り出して助けてくれる不思議な友人だ。このロボットや先端テクノロジーがゆるやかに日常生活とつながるイメージは、戦後の日本人の未来観に大きな影響を与えてきた

だが、これらはあくまで大きな経済・技術発展を遂げた戦後社会における牧歌的な未来物語だったとも言える。特に終戦から丸50年後にあたる1995年は、数年前から起こったバブル経済崩壊も相まって、日本社会の世相ががらりと変わる非常にエポックな年だった。

この年、関西地方を襲った阪神大震災に始まり、そして新興宗教団体オウム真理教が地下鉄に猛毒のサリンをばらまくという集団テロを起こして社会を震撼させた。特に後者の事件は、高学歴で科学分野に長けた超エリート集団が世界の調和を願うあまりの狂信行為に走るという点において、一狂信者の凶行だけでは片付けられない複雑な社会問題を露呈した。それは「科学技術の発展によって社会は幸福になる」という物語の終焉を告げる事件でもあったのだ。

同じ頃、世界に革命を与える技術、インターネットが遂に民間で普及していった。そこからあらゆるシステムやコミュニケーションの変革が起きていくわけだが、日本でそのラジカルなメタモルフォーゼにいち早く応答した人間は、やはりマンガ・アニメ界の中から生まれている。

代表例は士郎正宗のマンガ『攻殻機動隊 Ghost in the Shell』と、庵野秀明のアニメシリーズ『エヴァンゲリオン』だ。後の映画版が世界的な話題を集めた『攻殻機動隊』は、体のほとんどがサイボーグ化され、脳がネットに接続される「電脳」をもった主人公たちの物語だ。ここではいくつもの革新的なテクノロジーを予見していたことから、今なお多くの研究者・技術者の間で未来イメージの象徴として話題にのぼる。若い科学者やエンジニアにおいては、「攻殻の世界観に憧れて研究をはじめた」と語る者も少なくないほどだ。

しかし、「攻殻」の世界が日本におけるコミュニケーションロボットの発展とどう結びつくのかイメージしにくい方も多いだろう。そのヒントは、実は作品タイトルの中にある。ここからタイトル『Ghost in the shell』に込められた「Ghost」の意味を考えてみたい。

ゴーストはどこに宿るのか、ファンタジーとアニミズムの国から

まず「Ghost」に思いを馳せるにあたって、よく言われる話だが日本の「アニミズム」文化に焦点を当てたいと思う。アニミズムとは、あらゆるモノにスピリットが宿るという考え方であり、アジアやポリネシアなどにも数多く存在する文化だ。それは多神教文化にも色濃い繋がりがあり、日本には「八百万の神」が存在すると言われている。岩石にも、台所にも、トイレにだってカミサマが宿るというのが日本流だ。

つまり、人間がつくった人工物であっても、いつかはスピリット(またはゴースト)が宿るという考えを私たち日本人は持っている。もしこのことが想像しにくければ、あなたの国で、いらなくなった人形やぬいぐるみがどう処分されるかを思い出してみてほしい。日本には「人形供養」という習慣があり、人形に宿った魂を“それまで生きていた”ことにしてお寺などで供養するのだ。先述したペットロボットAIBOや、最近では掃除ロボット「ルンバ」の供養なども実際に例がある。

 

さて話を戻すと、こうしたアニミズムの国で生まれた作品『Ghost in the Shell』における「Ghost」は非常に示唆的である。本作品でずっと主人公たちが探し求めるのは、「どれだけ体が人工化され、脳を他人と共有できても、最後に自分のスピリット(ゴースト)は残るのか」という問いだからだ。

では、視点を変えて話をロボットに置き換えてみよう。モノの中にスピリットを感じる「生命性」が基軸にあり、どんなモノでも「生命化」させてしまう日本人にとって、ロボットを新たな生命と受け取ることはとても容易いことなのだ。そして彼らを新たな生命とみなせれば、機能や用途を付与する以上に、コミュニケーションを潤沢にしようとすることも道理が通るだろう。

この仮説の裏付けとして、ある日本人のアンドロイド開発研究者に聞いたエピソードをひとつ紹介したい。ある日、ヨーロッパで開催された国際学会の最中に、彼らが日本から持ち込んだロボットが突然動かなくなってしまった。ヨーロッパの共同研究者たちと共に必死で修理に励んだが、一向に動く気配がない。現地の研究者たちは「残念、壊れちゃったね」とその場を後にしようとしたが、日本人研究者たちは「(彼女が)死んでしまった!」と心から落胆したという。この「壊れた」と「死んだ」という表現の違いからも、ロボットに生命性を見出す日本人特有のアニミズム観が見て取れる。きっと、彼らがつくりたいのは便利で賢いロボットではなく、人間とのコミュニケーションを可能にする新たな「生命」なのではないだろうか。

近い将来、人工知能が人間の能力を超えると噂されて久しい現在。彼らを私たち人間と対等か否かだけで考えていては、何かを見誤るのかもしれない。今後私たちの目の前に現れる人工知能やロボットは、何らかの不可思議な「生命」の一種となり、豊かな表情や声で私たちに語りかけてくることだろう。そのとき、彼らと私たちが織りなすべき新たなコミュニケーションのヒントは、日本のカルチャーの至るところで見つかるはずだ。 

 

CREDIT

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TEXT BY ARINA TSUKADA
「Bound Baw」編集長。編集者、キュレーター。「領域を横断する」をテーマに幅広く活動する。サウンドアーティストevalaのサウンドプロジェクト「See by your ears」マネージャー。2010年、サイエンスと異分野をつなぐ「SYNAPSE」を若手研究者と共に始動。12年より、東京エレクトロン「solaé art gallery project」のアートキュレーター。編著に『マリー・アントワネットの嘘』(講談社)『メディア芸術アーカイブス』『インタラクション・デザイン』(BNN新社)、ほか「WIRED」など執筆歴多数。 http://arinatsukada.tumblr.com/

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