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2016.11.01

宇宙生物学からALife(人工生命)まで、「生命の起源」を探る実践

TEXT BY SEKAI KOZUMA

「生命」とは何だろうか? あまりにも根源的で、普段は考えもしないようなこんな問いの意味が、21世紀の今日、新たに更新されようとしている。その根拠のひとつは、宇宙空間における生命体の存在が示唆されていること。そしてもうひとつは、合成生物学やAIなどあらゆるアプローチからの研究の先に、「人工生命」の可能性が議論されていることだ。

ここでは、人類の生命観を変える試みに挑む2人の実践を、宇宙生物学者の藤島皓介と、複雑系科学や人工生命の研究者・池上高志の実践を紹介する。

「地球外生命体」が発見される日

今年6月、先述した宇宙生物学者・藤島皓介と複雑系を専門とする物理学者であり、ALife(人工生命)を研究する池上高志によるトークイベントが開催された。テーマはずばり、『生命の起源』。それは、生命の存在論的条件を拡張することで、生命/非生命の境界を溶解することすら志向する挑戦的な内容であった。

生命とは何か? なぜ、いまそんなことを一から問う必要があるのだろうか?

これは、長い大陸哲学の中でも最も重要な問いのひとつである。

生命の存在論的条件を問うとは、存在者(ここでは生命)の存在する条件を問うことでもある。いま、ここで暗黙の内にわたしたちが思い描く「生命」について、もう少し解像度を高く炙りだすことで、生物進化の歴史の中で、他に「あり得たかもしれない生命」へと拡張することが出来るようになるのである。

しかし、このような問いから文章を開始したことで、眉をしかめてしまった読者がいるかもしれない。「他にあり得た生命」なんてこの世界に存在するのか?

そのヒントのひとつは、宇宙にある。

いま、NASAが掲げる一大ミッションにひとつに、「地球外生命探査計画」がある。生命が存在する可能性がするかもしれないといわれる木星エウロパ、また土星の衛星エンセラダスに向けて、生命の在りかを探し出す試みが、始まっているのだ。

これはかつてのSFの話ではない。いま、NASAをはじめとする最先端宇宙研究のもとで、木星や土星の衛星付近に「生命の誕生する条件」を充分に満たした環境が発見されている。

その鍵を握るのは、土星の衛星「エンセラダス」だ。氷に覆われたエンセラダスの地表には、内部の熱水によって発生したプリューム(間欠泉)が宇宙空間へと噴き出しているが、近年の探査機カッシーニの調査によれば、そのプリュームは塩分を含み、地球にあるアルカリ性の海水と近い要素を持っているのだという。

藤島らが進める計画は、この海水サンプルを回収して分析し、生命を形作る部品である高分子の有機物の存在を明らかにすることだという。さらにこの計画は、現在2020年代にNASAが採択するニュー・フロンティア計画の7つの候補の一つとして上がっており、いよいよ現実味を帯び始めてきている。

そんな折り、クリエイティブ・スタジオWOWとのコラボレーションが実現。この一大プロジェクト計画の実現に向けた、研究用のプレゼンテーション・ムービーが誕生した。

本作は、研究者が総動員で計画実現へと挑むエンセラダス・プロジェクトの存在を社会にアピールするだけでなく、人類が初めて新しい「生命」の存在を知るという、宇宙と生命の歴史をめぐる壮大な物語の幕開けを示した序章的作品になっている。

ここから、今世紀、人類の、いや地球生命の歴史を変える1ページが生まれるかもしれない。

「生命とは何か」を、21世紀に問う理由

しかし、「生命とは何か」という問いに対して明白な定義がなされていない状態で宇宙空間へと生命探査に打って出た場合、地球型生命は発見できたとしても、その定義から漏れるような「生命」を見逃してしまう可能性が高い。

それを指摘するのが、宇宙生物学者の藤島皓介だ。

なぜなら、自然科学とは一般的に、反証可能性や反復可能性が担保された元で確実な知を積み重ねていく洗練された営みであると考えられる。一方で、「生命とはそもそも何なのか」といった種類の問いは、サイエンスの領域を離れた冗長的なものでだととらえられてきたからである。

しかし、この生物学者の藤島と物理学者の池上という異分野の2人のトークを経ることで、この問いが衒学(げんがく)的なお飾りではなく、現実の実験や研究の中で重要な位置を占めていることが理解できる。

もちろん「人類が生命と定義しているものが生命であり、その定義から漏れるものは生命ではないのだから、そのような問いは無意味ではないか?」という反論もあるだろう。しかし、未だ人類が地球型生命という一つのモデルケースしか持たない条件の元で「生命」を定義しており、この「生命」の定義は非常に恣意的かつ歴史制約的なものである。

これは板チョコしか知らない人が「お菓子とは何か?」を定義するようなものである。お菓子の定義が「甘くて、茶色の板」であれば、殆どの人が間違っていると思うように、地球型生命を元に生命を定義することは不可能である。

上記の説明を経ると、この問いが新たな「生命」を発見し、「生命」の枠組みを拡張するための実践的な問いであることが理解できるだろう。

「地球型生命」の起源

このトークは、まず始めに両者によるプレゼンテーションがあり、その後ディスカッションがなされるという構成であった。

藤島のプレゼンテーションによると、アストロバイオロジー(宇宙生物学)は1990年代にNASAによって造られた学問であり、その時に問いとして3つの柱が立てられた。その3つの問いは、以下の通りだ。

1. 我々はどこから来たのか? 

2. 我々は宇宙で唯一の生命か?

3. 我々はどこへ向かうのか?

この3つを束ねるひとつの柱が、本トークのテーマである「生命の起源の問題」である。

「地球型生命のことをもう一度よく理解する必要があるんです。なぜなら、『地球型生命』の本質がわかれば、そのルールを拡張することで、生命そのものの枠を人工的に広げることができるからです」と藤島は言う。

つまり彼が地球型生命の起源を理解しようとする目的は、アルキメデスの不動の点を知りたいという欲求からではなく、人類が現在知っている「狭い生命観」を拡張し、そこから歩みを進めるためなのだ。

藤島は「地球型生命の遺伝子は、無限の塩基配列の可能性からしてみれば、ほとんど多様性はない」と語る。

なぜなら、遺伝情報はDNA→(転写)→RNA→(翻訳)→タンパク質の順に伝達される。これは、分子生物学上の基本原則「セントラルドグマ」と呼ばれるものであり、そのプロセスに利用される有機分子は驚くことに38億年前からほぼ普遍的である。

それゆえに彼は、一般的に言われる「生命」の定義(ダーウィン的進化が可能な自己複製系 )にも疑問符を付け、より普遍的なひとつ手前の段階(非平衡状態にある構造をもった開放系)を生命の定義として採用する。

* 非平衡状態… エネルギーの高低差や物質の濃度差などによって流れのある状態
* 開放系… 境界を越えた外部とエネルギーと物質の交換があるシステムのこと

なぜなら、私たちは38億年前に、偶然、このセントラルドグマのもとで、自己複製と進化を続けてきた。しかし、ダーウィンマシーン以外の自己複製系をもった生物の可能性は否定できない。

そして、非平衡状態にある構造をもった開放系を、「生命」の定義ととらえると、どうなるだろうか。様々な分子が飛び交う分子のプールの中である種の勾配が生じ、この従来のセントラルドグマとは異なる方法による、分子の選択淘汰と進化が行われる可能性があるのだ。

逆に言えば、現在の生命の定義は「非平衡状態にある構造をもった開放系」の中の一つの「ダーウィン的進化が可能な自己複製系」として定義されており、それ以外の自己複製系の誕生の条件を生命として見ることができず、見逃してしまう可能性がある。

藤島はセントラルドグマへの理解を深めると同時に、合成生物学などのエンジニアリング的な手法を用いて、他にありえたかもしれない新たなタイプの「生命」をつくりだすことを試みている

そして、第二のテーマである「我々は宇宙で唯一の生命か?」という問いから生じる地球外生命探査も、我々の思い描く「狭い生命観」を脱して、複数の生命モデルへと「生命」の定義を拡張することが志向されているのである。

アルゴリズミックに構成可能な世界

一方、「ALife」を推進する池上は1970年にジョン・コンウェイが考案した「ライフゲーム」を紹介する。池上の考える「生命」とは、生物学的な定義を越えたところにあるようだ。

「ライフゲーム」とは、生命の誕生、進化、淘汰などのプロセスを追従するシミュレーションゲームである。

まず、ライフゲームはコンピューター空間上で単純な規則を組み合わせていくことで、自律的に動くグライダーを発生させる。そこでは、グライダー自体を生み出す親のグライダーガンも単純な規則から生まれ、自律的に“子”が生まれていく。さらに驚くべきことに、このライフゲームの世界自体を生み出すライフゲームもを生じさせることができるようになる。

つまり、単純な規則の組み合わせだけで、「動き・複製・自己言及」という生命の基本原則に似た機能を生み出すことができるのである。

Glider Gunの例。たくさんの小さいグライダーを衝突させて大型のグライダーを順次生成する。

自分で自分をシミュレートするライフゲームのパターン、メタなライフゲームのセルをOTCA Metapixelという。

ここで重要なことは、たとえコンピュータープログラム上で構築されたものであっても、「実際につくってみないと、どんな機能や現象が生じるかわからない」ということだ。ライフゲームなどはその最たる例である。ゲーム内の単純な規則を理解し、その組み合わせ方を知っていても、こんなグライダーが登場するかどうかはわからない。

ライフゲームの探求者たちはその既知の組み合わせをひたすら実験することで、グライダーやグライダーガン、あるいはライフゲーム自体をライフゲーム内につくり上げることができたのである。

つまり、数学的に完璧に定義できていても、やってみないと分からないことが世の中には沢山あるのである。ここが、「アルゴリズミックに構成可能な世界」の新たな可能性を秘めたポイントである。

しかし、もちろんここには弱点もある。それはロバスト性(環境変化など外界の影響によって変化するのを阻止する内的な仕組み)、つまり強固な安定性がないということだ。例えば、グライダーガンは1ピクセル削除されるだけで、それまで自律的に保っていた機能を維持できなくなってしまう。

生物学の偉大さはここにあると、池上は言う。生物学で扱う「生命」にはロバスト性があり、遺伝子を一つ入れ替えても、平然と動くのである。

「生命」への想像力を拡張する

ここまでで、両者の「生命」へのアプローチの差異が浮き彫りとなった。藤島は歴史をたどり、実世界の細胞やDNAを深掘りするというボトムアップなアプローチ。他方、池上は、「生命」の想像力を拡大し、トップダウンで論理的に可能なモデルを構築しようと試みる。

ここで池上は、「飛行機をどうやってつくり出すのか?」という問いを投げかけた。

「鳥を見て、つまりリバースエンジニアリングを通じて飛行機を作るか? それとも論理的かつ物理的に可能な条件の元で飛行機を作るのか?」という重要な問いを投げかける。

これに対して、藤島は「僕がやっていることは、分解したあと要素だけでなく組み合わせ、つまり自己組織化の仕方に注目するということ」だと返答する。

つまり彼は無限にあるヴァリエーションから優先順位を定め、関係性と組み合わせを試していくのである。そして、ここで藤島は「人間のタイムスパンだと限界があるのでAIを導入し始めている」と応答する。

しかし、池上が重要視しているのは、人間の想像力である。人間がひとつずつ実験を重ねて、場合の数を増やすよりも、もっと大きな思考のロジカルジャンプはないのか。言い換えれば、コンピューターの力を借りて順列組み合わせを全て施行することによって、生命の問題は解決しないと考えているのである。要素に分解し、その要素間の関係性や組み合わせを考えることだけでは到達できない論理的な飛躍が必要に違いないと。

そこで池上は、AIの枚挙の強さと人間のパターン認識の脆弱さを比較し、ルービックキューブの「神のアルゴリズム」を例として挙げた

神のアルゴリズムとは、いかなる状態からでも、最多で〇〇手で各面が揃った状態に戻せる数のことを言う。この研究は長らく数学者たちにとって大きな問題だった。彼らがようやく証明できた最善の数は22手。しかし、最終的にグーグルがスーパーコンピューターを用いて全ての組み合わせを枚挙(4325京2003兆2744億8985万6000通り)したところ、神の数字は20手であることが証明されたのだ。

つまり、数の列挙はAIに任せればいい。人間ができることは別にあるというのが池上の主張だ。

「『2001年宇宙の旅』のモノリスは、新たな生命だったのだろうか?」

池上は観客に問いかける。「僕はロマンチックすぎるのかもしれないですが」と前置きしながらも、科学の歴史を支えてきたのは、人間の想像性にほかならないと語る。

『2001年宇宙の旅』(監督スタンリー・キューブリック/1968年)
ラストシーンで再び登場するモノリス

その例のひとつに、「ボーアの相補性」がある。それは、光の粒子性と電子の波動性のように、互いに排他的な性質を統合する量子の性質のことである。

わたしたちは「光」を粒子であるか波であるか、つまりAか非Aかという二項対立で思考せざるを得ない。しかし彼は、科学の発展にとって重要なのは、「量子」といった第三項を生み出す想像力だと考えているのである。

生命/非生命の境界線

現在、生物学の世界では、AIを導入することで開ける世界は確実に存在する。藤島曰く、現在人間が試験管内で一度に機能を試すことができる分子の数はせいぜい10の13乗程度である。しかし、試験管内での実験には限界がある。この中で初期地球のすべての環境条件やアミノ酸の組み合わせを再現できるわけではないからだ。

よって、空間的にも時間的にも、人類未踏のスケールでの実験がAIを通じて行えるのであれば、これまでとは違ったものが出てくる可能性は大いにあるのである。

そして、それはルービックキューブの例のように、人間の持っている論理的空間を遥かに超えた地点から全く異なる解答を導き出すかもしれない。

一方で、池上は特異点的なアプローチにも可能性があるのではないかと語る。

彼は例えとして、ダーウィンと南方熊楠を対比させた。ダーウィンはありとあらゆる生物のあり方を研究することで進化論を作り上げたが、一方で熊楠は「粘菌」にだけ着目した。

しかし粘菌とは、動物と植物の中間に位置する、かなり特異点的な生物でもある。熊楠は粘菌の研究を通じて、この多様な生物世界のあり様を想像し、ダーウィンの進化論とは異なる生命観を創造した(その創造性は、「南方曼荼羅」の思想などに結実している)。

最後に藤島は「生命の起源そのものへのアプローチは始まったばかりである」と語る。つまり、ようやく生物学は二重螺旋というセントラルドグマから離れて、異なる可能性の方へと向かい始めたのだ。

そして、彼は「可能性としての生命は、地球生命の枠よりも圧倒的に広い。そして地球生命の起源を知り、そこから新たなアプローチを見つけ出すことが、逆に生命の起源を知る上で重要かもしれない」と言う。

池上はそれに対し、「地球の生命の起源という問い自体が無意味化する日が近付いている。今、実験室の中であらゆる環境と、あらゆる化学物質が試せる。それでも生命が生まれないとしたら、もしかすると、生命とは物質の問題ではなく、数学の問題かもしれない」と応える。

確かに、彼らのアプローチには歴史的なものと論理的なものという差異、ボトムアップとトップダウンという差異はある。しかし、そのアプローチが目指す先にあるのは、生命/非生命といった境界が溶解した社会であり、そこで我々は、新しい言語を用いて平等にそれらを語り始めるかもしれない。

ロボットに対してペットに注ぐ愛と同様の愛を捧げ、恋人の何パーセントが人工物で何パーセントが自然物なのかを問うことすら無くなった社会が来るとしたらどうだろうか?

いまは早急な価値判断は脇において、近い未来実現するかもしれない社会の一つの可能性に想像力を委ねてみることにしよう。

 

 

CREDIT

Sekai
TEXT BY SEKAI KOZUMA
作家・キュレーター。1989年生まれ。主な論考は『芸術作品における「魅惑の形式」試論』(art scape2016年10月15日号)、『Maltine Records における物語の生成条件~失われた20年の子供たち』(Maltine book)主な展覧会は「≋wave≋ internet image browsing」展(TAV GALLERY、2014)、「世界制作のプロトタイプ」展(HIGURE 17 -15cas、2015)。

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