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2019.12.07

デンマーク、世界の果てでアート印刷に特化する印刷の楽園 ナラヤナ・プレス

TEXT BY AKIHICO MORI,PHOTO BY ASATO SAKAMOTO

デンマークのコペンハーゲンで出版されている『プレソラ・マガジン』は直訳すると「過剰なマガジン」ーーその言葉に納得してしまう秘訣のひとつが、コペンハーゲンから車で3時間ほどの奥地にある印刷所ナラヤナ・プレス(Narayana Press)によるアート特化印刷だ。アートとサイエンスを横断しながら現代を読み解き、縦70cm×横50cmという超大判サイズに、美術品レベルとも言える超高精細のオフセット印刷。過剰と呼ぶに十分なこのマガジンの印刷所を訪ねて、日本初の潜入取材がこの度実現。アート関係者たちが憧れてやまない“世界の果て”へと向かった。

農業王国の真っ只中で出会った「砂の城」

「うーん、デンマークの香りだ」

開いた車の窓から干し草の匂いにまじって牛や豚の糞の匂いが入ってくる。アーティストのアダム・イェペセンが運転する車は、牧場の中を走り抜けていた。コペンハーゲンから1時間ほど高速道路をドライブすると、見える景色は農業国デンマークらしい農地一色になる。

アダムは、彫刻家であり、写真家でもあるアーティストだ。デンマークのカロンボー生まれで、現在はアルゼンチンのブエノスアイレスで生活し、創作活動を続けている。

彼はこの日、20年に渡る創作活動の集大成である写真集『ERROR OBJECT STRUCTURE』の刷り上がりを確認しに、コペンハーゲンから約300キロ離れた街、ギリングの外れにある印刷工場「ナラヤナ・プレス」に向かって高速道路を飛ばしていた。Bound Baw取材班がアダムの車に乗っているのは、この印刷工場こそ、珠玉のアートマガジン「プレソラ・マガジン」が印刷されている場所だからだ。

▼プレソラ・マガジン(Plethora Magazine)に関しては、以下記事を参考にしてほしい。
デンマーク発。自らがアートになることを選んだ異色のアートマガジン
「PLETHORA MAGAZINE」

ナラヤナ・プレスに着く前に、アダムはオデンスという小さな街で車を止めた。オデンスは古くから繊維産業で栄えた歴史を持つ。この街にある紡績工場をリノベーションしたミュージアム「ブランツ」で、アダムの作品である《ザ・グレイト・フィルター》が展示されているというのだ。

アダム・ジェッペセン《ザ・グレイト・フィルター》。150平方メートルにならぶ砂の城は、天窓と壁の窓から差し込む太陽の光によって、毎度異なる表情を見せる。

「この作品は、人類の文明の脆さを表現した作品なんだ」と、くずれかけた砂の城のインスタレーション作品を前にしてアダムは話す。

「人間の文明というのはどこまでも進歩する。しかしある程度まで高度になると、人間のためになっていたはずの文明が、自らの存在を危うくさせることもある。そんな脆さを砂で表現したいと考えたんだ」(アダム)

考えてみれば砂というものは人類の文化を構成する最小単位であり、僕たちの文化を象徴するものとも考えられる。

「砂というのはとても面白いマテリアルだと思っている。この作品のモチーフは、まさに海辺で子どもたちがつくる砂の城からインスピレーションを得ている。つくっては波にさらわれて壊れていく。人間の文明もそういうものだと思うんだ。摩天楼だって、最初はこの地球にあった砂だ。いつかそれも砂に返っていく」(アダム)

文明を砂に戻す、波のような力を考えてみる。すると、やりたい放題やってきた人類にまわってきたツケである気候変動、テクノロジーを発展させた結果、コンピュータを使っているのか、コンピュータに使われているのか分からない人間の現状などが、崩れかけた砂の城のコンセプトに重なった。

ザ・グレイト・フィルターは、人類と文明の無常を体感できる瞑想の空間だった。

アダム・イェペセン。約20年間、北極や南米をはじめ、世界中の自然の中で詩的な写真を生み出してきた。
共に助け合うコミューンで、印刷業を営む

オデンスから車を走らせること約1時間半でナラヤナ・プレスに到着する。高速道路を降り、集落を抜け、田園風景を走るのたった一本の道を、僕たちは走っていた。

「デンマークは世界の果てだと言われているんだ」とプレソラ・マガジンの編集長、ピーター・ステフェンセンは笑って話していた。

曲がり道のないまっすぐな一本の道をただ走っていると、本当にこれまでの世界とは違う場所に行くかのような気持ちになる。そしてナラヤナ・プレスはまさにデンマークにある「別世界」そのものだった。

ナラヤナ・プレスの印刷工場

ナラヤナ・プレスには“モンク”と呼ばれる住人が約50人ほど暮らしている。広大な農場と牧場によって自給自足が可能、太陽光エネルギーによる自家発電、自然の冷気を活かした冷蔵庫もあり、住人たちの宿舎と瞑想を行う礼拝堂がある。一種の「コミューン」のような場所だった。

「私はここが始まった頃からいたわけではないけれど、ナラヤナ・プレスの始まりは混沌としたものだったと聞いているよ」と、ナラヤナ・プレスでディレクターを務めるエリック・タープは、自らの“移民”としての歴史を語ってくれた。

ナラヤナ・プレスのディレクター、エリック・タープ 

インドの宗教観をルーツとする独自の哲学に基づいて営まれているナラヤナ・プレスの
歴史は非常に奇妙なものだった。まず彼らの出自はインドだ。1955年にヒマラヤのリシケシ(Rishikesh)でインド人の作家であり哲学者のスワミ・ナラヤナナンダ(Swami Narayanananda)によって創設された原始的な印刷機を備えた印刷所として誕生する。

そしてナラヤナナンダの哲学はデンマーク語で翻訳され、出版されることになる。デンマークへの移住は1961年。彼の教え子たちがコペンハーゲンにナラヤナ・プレスの子会社をつくったことが始まりだ。そして1967年にはギリングにある現在地に農業用の土地を購入して移動し、そこで自給自足型のコミュニティを創造する。

「私たちは相互扶助の哲学を受け継ぎ、互いに助け合いながらこの地で暮らしている」とエリックは話す。

移住した当初は地域住民とのトラブルもあったそうだが、現在はそのような問題は起きていないようだ。彼らの相互扶助の哲学が彼らをこの地に定住させた背景に、印刷・出版文化への貢献によるものが大きいのだろう。「デンマークでアートブックの出版に携わる人ならば、ナラヤナ・プレスの名前を知る者は多いだろう」とアダムは話す。

ナラヤナの人々は皆にこやかで、穏やかな人々が多い。取材の日は、アダムの作品集の校正作業が昼夜行われており、休憩の合間に取材班にもナラヤナ・プレスの農場で収穫される野菜をふんだんに使った昼食がふるまわれた。昼食の内容はピザや豆をつかった料理などで、おかわり自由。着飾らない、この味は何かに似ていると思ったら、それは昔食べた小学校の給食だった。

新鮮な野菜たちは、素朴に、そして栄養バランスを考えて機能的に調理されていた。わざわざオーガニックを謳わなければオーガニックになれない都会の野菜たちに比べて、どこか幸せそうに見えた。

食後には生姜味のクッキーとニンジン、リンゴなどのフルーツを「おやつ」として持たせてくれる。甘く、新鮮なニンジンはおやつになるのだ。

ナラヤナ・プレスで栽培される野菜たち
知恵と技術で共生していく知恵

「ナラヤナ・プレスにやってくる客は、みんな無理難題ばかり言うんでです(笑)。
プレソラ・マガジンもその筆頭ですが、従来の印刷技術では不可能と思われてきたような印刷を、私たちはいくつも可能にしてきた。彼らの理想をともに追求する日々とそこで編まれた知恵が、私たちの技術をより高めてくれたとも言えますね。私たちは世界中から無理難題を持ち込むお客様に育てられてきたんです」とエリックは話す。

これまでの話からナラヤナ・プレスの風景を、「昔ながらの丁寧な手作業による印刷」を思い浮かべた人もいるかもしれない。しかし牧歌的な雰囲気と異なり、印刷工場は、精密機械工場を思わせるほどに清潔で、明るく、最新の印刷機器がどかどかと置かれている。

PHOTO AKIHICO MORI
アダムの作品集の印刷が行われていた「KBA Rapida 106」。紫外線を照射することで、インクを速乾させ、フルカラーのオフセット印刷が短時間で可能になる。乾燥させる手間が省けるとともに、従来は乾燥のプロセスで紙の内部に浸透するインクを紙表面に留めることができ、鮮やかな発色を可能にする。

ナラヤナ・プレスの歴史はその印刷技術の発展とともにあった。デンマークに移住した1961年には小さなオフセット印刷機で始まったが、1980年代には30人の従業員を擁し、最新設備を備える印刷所となった。この時期に現在に通じるビジネスの基盤を確立するとともに、世界的に知られるデンマークの写真家クラス・クレメント(Krass clement)の
写真集の印刷を手掛けるようになり、アーティスト御用達の「高品質印刷といえばナラヤナ・プレス」といった評判を獲得しはじめる。かくして世界中からこの世界の果てにある印刷所に人々がやってくるようになった。なぜその業態をいまも続けられるのか。

「約10年前にデンマークでも経済が落ち込んだとき、国内の数多の印刷工場が廃業に追い込まれました。価格競争が始まれば、たとえば信じられない低価格を実現している中国の企業などに勝ち目はありません。でも、私たちはアート印刷に特化し続け、採算の合わないようなプロジェクトをずっと手掛けてきました。その結果、ヨーロッパ中の美術館やアート関係者がナラヤナ・プレスに集まるようになったのです」(エリック)

その姿勢はまるで、高品位なスーツの“仕立て屋”を思わせる。アダムの作品集も200部のみの小部数で出版されるという。本質的な価値を求めている人が必ずいることを信じている人々とともに仕事をし、世界の果てで畑を耕し、牛を育てて暮らし続ける印刷工の姿は、凛々しいものがあった。

ナラヤナ・プレスはオープンな印刷所だ。ウェブサイトもあるし、こちらから連絡をとることもできる。つまり誰でも仕事を発注可能だ。

多くの人がデンマークは「理想的な国だ」と話す。それは「サマーハウス」と呼ばれる夏の休暇を過ごすための別荘を持ち、電気のない時間をゆったりと過ごすという精神的豊かさのあるライフスタイルにたとえられることが多いが、ナラヤナ・プレスは、この国の他の文化的アイデンティティへのリスペクトの高さを体現していた。

インド由来の、言ってみれば宗教に紐づくコミュニティが、美術書の印刷で自給自足のコミュニティをつくり、その地に根づく。その奇跡のような現実が生まれた背景には、デンマークという国の寛容性。それは他者の文化を深く尊重し、ともに生きていこうとする融和性がこの国をどこまでも文化的に高度にしてきた歴史の現れとも考えられる。

そうしてこの国の、世界の果てに生まれた印刷の「楽園」もまた、今日も明日もアーティストの理想を実現してゆくのだ。

 

CREDIT

Profile mori
TEXT BY AKIHICO MORI
京都生まれ。2009年よりフリーランスのライターとして活動。 主にサイエンス、アート、ビジネスに関連したもの、その交差点にある世界を捉え表現することに興味があり、インタビュー、ライティングを通して書籍、Web等で創作に携わる。 幼い頃からサイエンスに親しみ、SFはもちろん、サイエンスノンフィクションの読み物に親しんできた。自らの文系のバックグラウンドを生かし、感性にうったえるサイエンスの表現を得意とする。 WIRED、ForbesJAPANなどで定期的に記事を執筆している。 
 http://www.morry.mobi
Ttzp1grqc uu07kk5qv fe812f52189d 512
PHOTO BY ASATO SAKAMOTO
プロデューサー、クリエイティブディレクター、撮影監督。2006年、大阪にてセレクトショップを開業後、シルクスクリーンスタジオを併設。同年デザインオフィス CUE inc.を創設し、手塚治虫からスタンリー・キューブリック、釣りキチ三平まで、音楽、映画、マンガ、アニメなど幅広い商品開発を手掛ける。2013年、写真・映像制作に特化したMEDIUM inc.を設立。ダレン・エマーソン、トレヴァー・ホーンなどの音楽家や電子楽器メーカーRolandのドキュメンタリー映像制作を手がける。現在、デンマーク発のアートマガジン「PLEHORA MAGAZINE」の日本エージェント「REC TOKYO」のクリエイティブディレクターを務め、ヨーロッパを中心にさまざまなアーティストの企画展を展開する。 https://the-lightsource.com/

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