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2020.02.19

フィクションは社会を変える力になる。スペキュラティヴ・デザインをめぐって―長谷川愛 × 藤井太洋

TEXT BY AKIKO SAITO

東京ミッドタウンにて2020年2月20日(木)から2月24日(月・振休)までの期間、開催されるイベント「未来の学校祭」。本イベントにて作品「Revolutionary 20XX! Tool Kit(レボリューショナリー 20XX! ツールキット)」を展示するアーティスト、デザイナーの長谷川愛と、SF作家の藤井太洋による対話をお届けする。

生物学的課題や科学技術の進歩をモチーフに、現代社会に潜む諸問題を掘り出す作品を国内外で展開する長谷川愛。対するは、『オービタル・クラウド』などで知られるSF作家の藤井太洋。対話のテーマは、出版されたばかりの書籍「ものごとの根本からクリティカルに問い直す力」である「スペキュラティヴ・デザイン」を養う思索トレーニングブック、『20XX年の革命家になるには──スペキュラティヴ・デザインの授業』だ。長谷川愛、初となる自著であるこの本を巡り、未来をプロトタイプする思索が始まるーー

モデレーター:塚田有那(書籍編集担当/Bound Baw編集長)

スペキュラティヴ・デザインとはなにか?

塚田: 最近発売されたこの本、『20XX年の革命家になるには』というタイトルは、アーティストの本としてかなり挑戦的なタイトルだな、と編集しておきながら思うんですが(笑)、この本を作ったきっかけから教えて下さい。

長谷川: アートシーンにおいて「スペキュラティヴ・デザイン」が大きなテーマとなる一方で、ビジネス界隈でも、アートシンキングやデザインシンキングなどが話題になるなか、「スペキュラティヴ・デザインって何なの?」という声がすごく多くなってきたんです。そういった問いに対するアンサーになる本が作りたいと思いました。

塚田: 誰かに紹介する際は、この本はどんな本だと説明していますか?

長谷川: 難しいですね。一言で言えば「授業をまとめた本です」と言っています。過去に、MITメディアラボでスプツニ子!さんのティーチングアシスタントをやっていたときに組み立てた授業や課題がもとになっています。

塚田: その後、東京大学や早稲田大学で展開された授業ですよね。

オルタナティブな家族や性のあり方を提案する、アーティストの長谷川愛

長谷川: その授業の元になったのが、私が通っていたRCA(ロイヤル・カレッジ/オブ・アート)時代、スペキュラティヴ・デザイン提唱者であり、当時のRCA教授であるアンソニー・ダン&フィオナ・レイビーから受けた「デザイン・インタラクションズ」というワークショップです。そこでは「2050年ぐらいに、世界の何かを変えるなら?」という課題が出されて、私は「グリーンマン・プロジェクト」という、人を緑化して、物を食べなくても生きていけるようにする社会設計を考えたりしていました。

塚田: 愛さんはそこでスペキュラティヴ・デザインの原型となる教育を受けたわけですが、スペキュラティヴ・デザインって、厳密にはどういう意味なんでしょうか。

長谷川: スペキュラティヴって、とことん意味がつかみづらい言葉ですよね(笑)。私のスペキュラティヴ・デザインの授業では、自ら夢見た世界を現実と繋げて、理想を言えば最終的にはスタートアップまで展開して社会実装まですることをイメージしています。

藤井: 辞書を引くと、スペキュラティヴって『投機的』と表現されることが多いんですが、「投機的なフィクション」と言われても、意味がわからないですよね。そもそも、日本ではほとんど通用しない言葉ですから。

長谷川: 最近は「社会夢想」と言われたりもします。その夢見た社会が遠すぎて現実逃避のアイデアだと揶揄されることもあります。「デザイン」は問題解決のことですから、現実に近づけつつ、別のオルタナティブな世界だったり、創造力を持っていこうという挑戦をしようと思っていまして。私はまだスタートアップまでは実現できていないんですが、そこまで出来れば、本当に、私の小さな革命になるのかなと。

ファンタジーの中に、世界を変える力がある

塚田: この本において「革命」とは、いかに人の意識、価値観や固定観念というものを変えること、そして「こういう世界があるかもしれない」と提案することだと定義しています。アーティストである愛さんの視点が面白いのは、「文化こそ人の意識を変えるものである」という主張。アートはもちろん、小説、映画などのファンタジーの中にも世界を変える力があると。それは今日お招きした藤井さんともお話ししたいテーマです。実はこの本ですでにおふたりは対談されていますが、藤井先生を選ばれた理由は?

長谷川: 藤井先生は、現実からとても遠いSFではなくて、現実にちゃんと紐づいている、リアリティのあるSFを書かれる方なんです。それでもちゃんとSFだし、ものすごく面白いから、ちゃんとお話を聞いてみたくて。

作家・藤井太洋。仮想通貨社会を描いた『アンダーグラウンド・マーケット』、ITエンジニアがとある国家の陰謀に気付く『ハロー・ワールド』などで知られる。最新作は、福島第一原発事故への繋がりを示唆する原爆テロをめぐるサスペンス『ワン・モア・ヌーク』。

藤井: ここ数年のヒューゴー賞やネビュラ賞(ともにSF小説の賞)を取っているのは、決してサイエンス・フィクションではない作品のほうが多いんですよ。作家たちも自覚的に「自分が書いているのは、スペキュラティヴ・フィクションである」と表明しますし、読む人たちも「SFと言えば、大体スペキュラティヴ・フィクションだよね」と捉えています。少なくとも英語圏ではそうなっています。

塚田: いわゆるSFというと、科学技術が浸透した未来のストーリーを描いているイメージがありますよね。20世紀以降の「未来」のイメージには、どうしても科学技術の発展が伴うものでしたから。

藤井: でも実は、SFの傑作と名高い『1984』(ジョージ・オーウェル著、1948年)の中で扱われている科学技術だって、そんなに革新的でもないし、そもそも科学技術が主題じゃないんですよ。「監視国家」というアイデア、それが一番大きな仕掛けなわけですから。1948年当時に、現実に存在してもおかしくないような体制です。

塚田:『1984』は、スペキュラティヴ・フィクション、ないしは今の社会を考えていく上での、重要な思考・思索を多分与えてくれるものでもありますよね。日本のビジネスマンたちが安易に「アート思考」を求める前に、まずそのあたりの本をじっくり読んでほしいなとも思います(笑)。

藤井: ですが、本当にこれは残念な話なんですけど、ここ数年のヒューゴー賞にノミネートされた作品が100あるとしたら、日本語に翻訳されているものは1割もありません。70年代後半から80年にかけては、ヒューゴー、ネビュラを取った作品は、どんどん翻訳して紹介されていたのに。しかも、今翻訳されていない作品の8割以上が女性作家の作品で…。それらがサイエンス・フィクションではなくて、スペキュラティヴ・フィクションなんですよ。だからもう日本人は、現在進行系のSFを知らないんです。例えば海外ではもう(アーシュラ・K・)ル=グウィン(『ゲド戦記』などの作者)の次ぐらいに有名で、女性SF作家の基本とされているオクティヴィア・E・バトラーですら、SFではなく黒人文学として翻訳されていて、今はもう絶版。彼女に影響されて書かれた、最近の女性作家たちの作品も当然日本語では読めないんです。本当に、マズイ状況です。

長谷川: 日本は特殊な環境に置かれていますよね。「スペキュラティヴ・デザインとは何か?」という問いに対する私の中の答えは、スペキュラティヴ・フィクションの作品群なんじゃないかなっていうところに落ち着いているんですけど。

フィクションは、書き手自身を変えてしまう

塚田: 本書にも「未来をプロトタイプするにはフィクションの力が必要である」という言葉がありますが、私もそれこそがスペキュラティヴ・デザインの根幹なんじゃないかと思うんです。

藤井: フィクションは何よりもまず、書いている人を変えるんですよ。社会を変えるより先に、書いている人自身を変えます。小説家なんか、普通の神経だったら恥ずかしくてたまらないことを書いているわけですよ。それがなぜ書けるのかというと、虚構のセリフが成立する舞台を丸ごと作ってしまうからですね。「どうやってその言葉を言わせる状況を作るか」にすごく心を砕いていくわけなんです。そうして作り出した虚構と、読者の見ている世界をどれだけ一致させることができるか。フィクションにおいては、虚構と現実の距離をアートよりも少し大きく取ることができるのが違うところですね。ナラティブが持っている機能は、アートが持つ機能とは明確に異なる。

長谷川: そうですね。アートは受け手に「説明」するのではなく、「考えてもらう」ことが機能。とりあえず石を投げることが基本なんですよ。それに対してフィクションというものは、VR的で、そのワールドに入っていく。一方スペキュラティヴ・デザインは、現実の世界に夢想から発生したオブジェクトを出現させて、鑑賞者に「もし、私たちの生活にこれが入ってきたらどうなるんだろう?」と、リアリティを持って考えさせることができるのがスペキュラティヴ・デザインなんだと思います。

塚田: もちろん、アートの中にもナラティブ性は多分にあります。アーティスト自身がどこまでで止めるか、どこまで読者や体験者に寄り添ってほしいかという塩梅にもよりますね。小説や映画は、作者が構築したストーリーと共に歩んでいくものだとすれば、アートの場合は、最後までストーリーを描かずに、ビジョンが見えそうな空間を用意して、後は鑑賞者自身の中でそれぞれのナラティブが立ち上がるような仕組みをつくる。問いかける石の投げ方、または投げる距離の違いなのかな、と。


本書の編集を手がけた塚田有那(Bound Baw編集長)
アートとは、エモさと社会批評の間を行き交うもの

塚田: 最近個人的に危惧しているのが、「デザイン思考の次はアート思考だ」みたいな風潮なんです。アートが広い形で受け取られることには大賛成なんですけど、一方で、「デザインの上位概念にアートがある」みたいな受け取られ方をしているのように感じることもあります。デザインよりもアートの方がよりイノベーティブで、突拍子もないアイデアが出てくるんだろう、というような。泉のように湧き出るアイデア装置のように思われがちなところがある気もしていて。

長谷川: それは私も危機感を持っているところですね。私は、アート、デザイン関係なく「新しい視点を与える」ことが、社会に大きな影響を与えるんじゃないかと思うんです。新しい視点って、どうしたら出てくるのか、どうしたら作れるのか?そういうことを考えて、この本では私が考える「革命家」たちを紹介しています。「人を自由にするため、自分を自由にするために作られたもの」を紹介しているので、アートとデザインの区別すらしていないんですよ。藤井先生はどう思いますか?

藤井: すごいフリが来た(笑)。

 

塚田: 藤井先生は作家になられる前、企業にいらっしゃった経験もありますよね。

藤井: アート業界の外から見ると、日本ではアーティストの内心を発露する手段という側面が強調されすぎている印象がありますね。理詰めで作っていても、「本当は何が言いたいんですか?」という質問をしてしまう。「どうして青を選んだんですか?」なんて、作者の内心そのものと作品がリンクしていなければならないという強迫観念を感じることがありますね。これは小説にも感じることではありますが。海外のバイオアートを見ていると、そういったプレッシャーから解き放たれているように感じたりします。

長谷川: 好奇心のままに作っているのがわかったりしますよね。他には「世界の流れがこうだから」という動機で作っていたりする人もいれば、逆にものすご〜くエモい人もいたり。

塚田: 個人の内面から浮き出るような「エモい」メッセージと、「社会批評」の目線というのは、両立しないものではなくて、むしろ常に交錯していくものだと思うんですね。お二人の作品は、そのバランスが絶妙だと感じます。 

フィクションの力を得るには?

塚田: 最後に、お二人に「フィクションの力」について聞きたいと思います。自身の想像力を育み、自ら「もうひとつ別の未来」としてのフィクションを編み出せるようになるためには、どんな方法があるのでしょうか。

長谷川:「驚き」があると考えるきっかけができますね。例えば、自分が今まで会ったことがない人たちに会うようにしていたり。こういう欲望もあるんだ、こういう要望を持つ人もいるんだ、なんて、頭の中に広がりが出てくるんです。そこで手っ取り早いのが旅なので、今年はいっぱい旅をしようと思っています。

藤井: 僕からは、掌編と言われるような短い小説を書いてみるのがオススメですね。ひとつ書けば、考え方も確実に変わります。書くことって、子どもの頃からすごくトレーニングし続けている技術なので、書き始めれば、作品ができあがる可能性がとても高いんですよね。短いものから書いてみて、書けるという手応えと、友達に読んでもらって面白がってもらえるという、そういうプリミティブな喜びからスタートしてみてください。

塚田: 事業計画書のような、仕事のプロジェクトも、小説にしてみると面白そうですね。

藤井: フィクションはいろいろなことが棚上げできるので、どんなこっぱずかしいことでも書けますよ(笑)。

塚田: すてきですね、すぐに伝えていきたいです。おふたりとも、今日はありがとうございました。

(会場:青山ブックセンター本店にて)

Revolutionary 20xx! Tool Kitをやってみよう

本著の付録カード「Revolutionary 20xx! Tool Kit(レボリューショナリー 20xx! ツールキット)」は、「スペキュラティヴ・デザインを誰にでもできるように」というコンセプトで作られたもの。以下、5種類のカードからそれぞれ選んだカードのキーワードを組み合わせて、アイデアを考える。

1. SDGsカード
2. テクノロジーカード
3. 哲学カード
4. アウトプットカード
5. 革命家カード

普段アートやデザインに携わっていない人でも、未来のアイデアを自分ごととして考えていくための道具である。「未来の学校祭」にて体験することができる。

「未来の学校祭 “脱皮 / Dappi ―既成概念からの脱出―”」開催概要

期間: 2月20日(木)~2月24日(月・振休)
時間:11:00~21:00
場所:東京ミッドタウン各所 他
入場料:無料
主催:東京ミッドタウン
特別協力:アルスエレクトロニカ
協力:東京ミッドタウン・デザインハブ
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京

https://www.tokyo-midtown.com/jp/event/school_future/

パートナー: 株式会社アイ・エム・ジェイ / 株式会社 東芝 / 株式会社博報堂 / 株式会社博報堂アイ・スタジオ / 株式会社博報堂DYホールディングス・株式会社MESON / 株式会社バンダイナムコ研究所 / 株式会社ポーラ / グローバルスカイ・エデュケーション株式会社 / メルセデス・ベンツ日本株式会社 / ヤマハ株式会社 / 慶応義塾大学SFC / 多摩美術大学 / 筑波大学 / 東京工業大学 / 武蔵野美術大学 / リンツ芸術デザイン大学 / 恵比寿映像祭 / DIGITAL CHOC(アンスティチュ・フランセ日本) / Media Ambition Tokyo [MAT]

 

CREDIT

Akiko saito
TEXT BY AKIKO SAITO
宮城県出身。図書館司書を志していたが、“これからはインターネットが来る”と神の啓示を受けて上京。青山ブックセンター六本木店書店員などを経て現在フリーランスのライター/エディター。編著『Beyond Interaction[改訂第2版] -クリエイティブ・コーディングのためのopenFrameworks実践ガイド』 https://note.mu/akiko_saito

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「Bound Baw」は大阪芸術大学アートサイエンス学科がプロデュースする新しいWebマガジンです。
世界中のアートサイエンスの情報をアーカイブしながら、異分野間の知見とビジョンを共有することをテーマに2016年7月に運営を開始しました。ここから、未来を拡張していくための様々な問いや可能性を発掘していきます。
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そして、未知の航海に乗り出す次世代クリエイターのためのスコープとして、アートやデザインなどの表現・文化の視点と、サイエンスやテクノロジーの視点を融合するメディア「バウンド・バウ」が誕生。境界を軽やかに飛び越えた、冒険的でクリエイティブな旅へと誘います。

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