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2021.05.12

生命と非生命のあわい。人間的なるものを超える人類学とアートが問いかけるものとは?Ecological Memes Forum 2021 セッションレポート①

TEXT BY KOUHEI HARUGUCHI

「あわいから生まれてくるもの -人と人ならざるものとの交わり- 」をテーマに、ビジネス・アート・エコロジーの領域から第一線を切り拓く多彩なゲストを国内外から招き、4日間にわたって開催されたEcological Memes Global Forum 2021。第1回は、「砂と共に考える」研究を実践するドイツの人類学者ルーカス・レイ氏、パリを拠点に活動する「水の音楽家」トモコ・ソバージュ氏、「素知覚」を手がかりに生命のリアリティを探求・表現するアーティスト畑山太志氏が、人間的なるものを超えた人類学とアートの地平にまつわる議論をお届けする。

このセッションの根底には、ひとつの大きな問いがある。それは、エコロジカル・クライシスやアントロポセンという言葉がよく使われるようになった背景として、長い間生態学的な均衡が保たれてきた地球という惑星の空間において、人類が他の存在に及ぼす影響が極端に大きくなっているという現実があるなか、ここでいう「他の存在」とは何を意味するのだろうか、というものである。

この問いと真剣に向き合うためには、「人ならざる存在(ノンヒューマン)」の定義を、動物や植物といった有機的な生命体だけに限定せず、拡張していく必要があるだろう。それは、この惑星を地質学的に形成しているさまざまな物質やそれを利用してつくられるものといった「非生命」のアクターに目を向け、それらと生命が織りなす複雑なネットワークにひそむ関係性を、丁寧にひもといていく作業を伴う。その壮大なプロジェクトの一端を担うふたつの異なる分野、人類学とアートが切り拓く視点をのぞいてみたい。

Ecological Memes Forum 2021 DAY2 トークセッション
「人間的なるものを超えた人類学とアート - 都市空間における生命と非生命、物質性 -」
ナビゲーター:Lukas Ley(人類学者 / ハイデルベルク大学)
トークセッションゲスト:Tomoko Sauvage (アーティスト), 畑山太志(アーティスト)
進行:田代周平(一般社団法人 Ecological Memes 共同代表)

ルーカス・レイ|非生命的なものの人類学

ルーカス・レイ(以下、レイ):今日私がお話するテーマは「災害との共生、あるいは“自然に家賃を払うこと”について Cohabiting with disaster, or "paying a rent to nature"」です。言い換えれば、普段よく目にするものを、すこし異なる視点から捉えなおすこと、となるでしょうか。

ルーカス・レイ

そもそも人類学という学問は、フィールドワークを通じて、言語や宗教、美学や知識の生成といった、人間社会にひそむさまざまな文化行為とその相互関係に輪郭を与えるという試みです。、研究対象とするコミュニティに深く潜りこみ、身の回りの出来事や営みをダイナミックに捉える。ますます複雑化する現代のグローバル社会においては、人間が人間同士だけでなく、他存在の視点に立って考えるべきなのではないか——人類学者は、これまでもこのような思考をつづけてきたのだと思います。

さらに、これからの社会においては、非生命的なものの倫理や政治性を考える必要があります。道路、石、コンピュータ。私たちの周りにあるこのような非生命的なものと向き合うことが、いま求められているのです。今日は、私の研究調査の事例から、水や砂といった視点から災害を見つめなおすことについてご紹介します。

自然に家賃を払うこと

レイ:「人間と主体性」が大きな主題になります。私は2014年から、インドネシアのジャワ島にあるスマランという街を対象に研究調査を実施しています。ここにあるものの生命性がいかに現実を構成するのかを考えてきました。

さまざまな社会的な配置のなかで、人やものが移動します。それは意図的な行為である場合もありますし、偶然そのようになることもあるでしょう。さまざまなものの配置が複雑に組み合わされ、相互作用を及ぼしあい、変化していきます。

スマランの北にある漁村では、潮の満ち引きによって環境が変化しています。年間で15cmほど水面が上昇しているこの村は、おそらく来年にはなくなってしまうでしょう。政府はこの事態に対し、コンクリートでディフェンスラインをつくって対応しようとしています。

インドネシア中部ジャワ島内にあるスマラン地域の漁港
Photo bygholib . from Pixabay

ひとつの街が少しずつ沈んでいく。ゆっくりと進むこの災害を別の視点から見れば、その影響は実に多様です。高潮によって水があふれることで、インフラはダメージを受け、家々にも影響がありますが、全員が被害を受けるわけではありません。全体を説明できるロジックがないのです。

ダメージを受けた河岸は、土砂や岩、砂など、さまざまな物質を寄せ集めて補修します。この補修する行為を、現地の人たちは「自然に対して家賃を支払う」のだといいます。政府が打設するコンクリートの堤防も砂でできています。人によって災害から受ける被害は異なるし、水に沈む街を守る方法もさまざまです。しかし、砂を使って補修しなければ、いずれそこから立ち退かなければいけません。砂が生きる命をつくり出すのです

そこにあるものによって、命が可能になる。「自然に家賃を払う」という表現には、まちが沈むことを、大きなギブ・アンド・テイクのプロセスの一環として捉え、受けいれ、その上で人間側にできることをおこなっていく、という考え方があるのかもしれません。そこではさまざまな物質が、さまざまな役割を果たしています。人間は自然から遠ざかるほうへ導かれてはいけないのです。

人間にとって、自然という存在は外的なものではなく、むしろそこに包摂された環境の中で生きています。ただ、住まわせてもらっている「家」との共存においては、必ずリスク(自然災害、人間行為が引き起こすものを含む)が伴い、そこでは「家賃を払う」、つまり、その居住環境が提示する条件をのみ、自己にとって貴重なものと交換する必要がある。そういった周囲の自然環境とのやりとりを調停しているのが物質、そして非生命の存在であり、それなしでは、人間やその他の生命の営みを継続することができないのです。

トモコ・ソヴァージュ|反響する生命と非生命

トモコ・ソヴァージュ(以下、ソヴァージュ):私は、自作した「ウォーターボウル」という楽器をつかって演奏活動をしています。水を満たした磁器のボウルのなかで、水中マイクを使って音を増幅させます。南インドの楽器からヒントを得てつくりました。

トモコ・ソバージュ

ボウルに水を入れて使うのですが、水かさによって音程が変わります。水と磁器のボウルが発する小さな振動をマイクで拾い、スピーカーを使ったフィードバック奏法などを編み出してきました。ほかにも、吊るした氷から溶け落ちる水滴の音を増幅させるインスタレーション作品もつくりました。

水や演奏する環境の状態によって音が変わる。空気が乾燥していればボウルの中の水が蒸発しやくすくなり、音程の変化に影響します。演奏する場にいる聴衆の人数によっても音が変わります。私にとって、空間自体もひとつの楽器なのです。

磁器のボウルのなかには小さなヒビが入ったボウルもありますが、日々によって音の反響具合が変わります。水のほかにも炭酸水を使うこともあります。素焼きのかけらをら使うと、吸水性があるため、水を吸うと同時に泡が弾ける強くていい音が出ます。虫やモーターの音のように聞こえることもあります。

その場の環境や、使う物質に合わせて、どのように音を発するか。演奏のたびに環境やものの状態が異なるので、その場で即興するしかありません。音がよくないときもありますが、なんとかバランスがとれるよう、いいタイミングを待つことも必要です。私にとっても、毎回が驚きなのです。

畑山太志|生命的なものの時空間のネットワーク

畑山太志(以下、畑山):樹齢何百年もの木の前に立ったとき、目には捉えられない、身体が直接感覚することがたくさんあります。そうした感覚を「素知覚」と呼び、目に見えないものに触れることをコンセプトにした、白い絵のシリーズを制作しています。

畑山太志

白い絵は、まず樹木のある風景を黒で描き、その上にホワイトを重ねて制作します。ビジュアルとしての風景は後退し、空間的、体験的な「素知覚」を表現しているのです。展示では、白い絵で取り囲まれたインスタレーションの空間をつくり、鑑賞者が環境に対して敏感になれるような場にしたいと考えています。

畑山の作品(プレゼンテーション中の画面より)

白い絵のシリーズは、素知覚=人間の知覚の内側について考えました。他方で、人間の知覚の外側を考えようと制作した作品が《草木言語》です。樹木同士が土の中の根や菌糸類を通じてコミュニケーションをとるために「ウッド・ワイド・ウェブ」と呼ばれるネットワークをつくっていると知りました。自然界にある、人間の外側にあるネットワークの総体です。そのイメージとデジタル的なネットワークのイメージが重なって《草木言語》を制作しました。

人間の内側と外側、それぞれの知覚のネットワークには、生命・非生命的なものの時空間が取り巻いています。どんなものも大きな流れの中に存在しているような感覚です。世界は、非生命的な事物も含めた無数の「環世界」(生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した概念)がオーバーラップして成り立っているのではないか。そのような感覚があります。

ディスカッション|人間と非生命が共に生きる未来へ

田代周平(以下、田代):今日のセッションのタイトルにある「人間的なるものを超えた人類学」は、エドゥアルド・コーンの著作『森は考える――人間的なるものを超えた人類学』から付けました。砂や水など都市空間にあふれたものに主体性があるのだと考えるためには、どのような視点が必要なのでしょうか。

レイ:たとえばトモコさんの作品は、水の声を翻訳してメッセージを伝える行為だと思います。著書の中でコーンは『主体性』という概念を再考しようとしていますが、この言葉自体が、そもそも人間の思考や行為に対して使われることがほとんどだと思います。人間中心的な視点を乗り越えていく、すなわち水やボウル、音響空間それぞれに内在する「質」のインタラクションを「音」として抽出し、それを使い慣れた器具を通じて表現していく。

一方で畑山さんは、目に見えないものを普段とは異なる感覚を使って感じられるようにしている。つまりふたりは翻訳者として、目に見えないものを具現化しているのです。人類学者もある意味では翻訳者です。人間が中心になるのではなく、地域の社会的なダイナミズムを言葉に翻訳することが、人類学者の役割だと思っています。そして非生命的な物質にも、社会のなかでの役割があるのです。コンクリートに使われる砂は、何十年ものあいだ都市を形づくり、社会システムを構築する大きな役割があります。そこに主体性があるのではないでしょうか。
 

田代:コンクリートのまわりには、砂を採掘した人もいるし、加工した人もいるし、運搬した人もいるし、施工した人もいる。いろんなところで人が関わり、新たな力学が生まれ、関係性が再生産されるプロセスがありますね。

レイ:トモコさんと畑山さんの作品を見て、物質と自分が織り込まれていくような感覚を覚えました。自分の手で、水を感じ、ボウルの面を感じる。私も、さまざまな物質を織り込むように、人類学者として調査研究をしているのかもしれません。

田代:トモコさんの音楽を聞くと、それまでとは違う時間感覚に入っていくような不思議な感覚を覚えます。さまざまな物質を使って音楽をつくる活動のなかで、時間の感覚にはどのような役割があるのでしょうか。

ソヴァージュ:音楽は音楽自体が目的ではありません。どこか別の所に行くこと、瞬間を超えたタイミングを求めています。まるで時間が停止したかのような。パフォーマンスでは、人ともの、空気、水、すべてのものが振動します。時間と場とエネルギーが音を通じて共有される。そこから時間と空間がひとつになる感覚が得られるのではないかと思っています。

田代:畑山さんの白い絵のシリーズにも共通した感覚があるように思いました。

畑山:白には「顕在性」という意味があります。顕在的な白は、個々人が個性の現れとして存在し、活気あふれる場が生まれるようなイメージを想起します。顕在的な白で空間が満ち溢れたひとつのユートピアが生まれ、生命と非生命が等価に扱われる状況を想定して、制作しています。

レイ:私は人類学者なので人間について考えることが多いのですが、非生命の存在についてもよく考えます。人間以外の存在をどう考えるのか、あるいは人間とは何なのか、非生命と共に生きる未来をどのように想像していくのか。私たちは自らに問いかける必要があるのです。

Ecological Memes Forum 2021 シリーズ
▼EMFレポート②
拡張生態系のパラダイム - シネコカルチャー(協生農法)とは何か【前編】

▼EMFレポート③
拡張生態系のパラダイム - シネコカルチャー(協生農法)とは何か【後編】

関連情報

「Ecological Memes Forum 2021」の各セッションの映像は、オンラインショップで販売されています。ぜひチェックしてみてください。

▼本記事で紹介した「人間的なるものを超えた人類学とアート - 都市空間における生命と非生命、物質性 -」セッション
https://shop.ecologicalmemes.me/items/42800151

▼DAY2の振り返りトーク

 

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TEXT BY KOUHEI HARUGUCHI
編集者。エディトリアル・コレクティヴ「山をおりる」メンバー。建築、都市、デザインを中心に、企画、執筆、リサーチなど編集を軸にした活動を脱領域的に展開している。ロームシアター京都『ASSEMBLY』編集など。

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