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2024.07.08
サウンドアーティストevalaによる「空間的作曲」の原点と未来:『Sprout』制作舞台裏レポート
TEXT BY YOSHINO NAGAMURA
日本の音楽産業の発展を支え、35年の歴史に幕を下ろした東京・渋谷のBunkamura Studio跡地に、音楽家・サウンドアーティストevalaによる実験的インスタレーション『Sprout』が2024年3月に展示された。誰もいなくなった空所に芽吹く草木のように、閉鎖したスタジオから生まれる新しい音の可能性を探る立体音響作品である。
evalaによる音の可能性を拡張するプロジェクト「See by Your Ears」スタッフである筆者は、展示終了後に改めてevalaと制作について振り返った。自身の創作のあり方を「空間的作曲」と表現し、2010年代初頭より立体音響を用いた作制作を続けてきたevalaの最新作である本作をはじめ、これまでどのように作品を生み出してきたか、制作チームのひとりの視点からレポートする。
不要とされた音からの新しい芽吹き
サウンドインスタレーション『Sprout』は、旧Bunkamura Studio内の二部屋で構成されている。会場入口から漏れ聞こえる音に導かれ、まずメインスタジオに足を踏み入れると、薄暗い室内に音が充満しており、あちこちから何かの気配が感じられる。
作品名の『Sprout』には“発芽”という意味があるが、“Sp out” というSpeaker outの略語も隠れている。数々の名盤を生み出してきた歴史的空間への敬意と、そこから新しい価値が芽吹くことへの願いをevalaはタイトルに込める。もともとこの場所は、ミュージシャンやオーケストラが演奏・歌唱・録音するスタジオだった。閉鎖され人も機材もなくなった空間を、まるで生きた蔦のようなケーブルが床を覆い、ところどころキューブ型スピーカーが新芽のように伸び出ている。
これまでのスタジオにあった大きく高価なスピーカーとは異なり、これら可愛らしい小型スピーカーは某百円均一ショップで入手したもの。全部で30個、合計1万円以下のスピーカーそれぞれから音が発せられ、空間を浮遊する。時折、水や虫の音、泡がはじける音などの自然音が聞こえてくるが、これらはフィールドレコーディングされた音源ではなく、元はすべては“ノイズ”でありevalaが加工してつくったものだ。従来のスタジオ空間では不要として排除されてきたノイズから、生命の音色を感じるのである。
鑑賞者はケーブルの合間をぬって自由に歩くことができ、思い思いに作品を体験することができる。ひとりが体育座りで鑑賞すれば、ほかの人も同じように座って鑑賞するといった面白い連鎖も見られた。皆共通して、目をつむり長時間音だけに耳をすませていた。
アーカイブできない空間の音
2つ目の舞台は、メインスタジオに隣接するコントロール・ルームであり、ここはもともと録音音源を流通フォーマットにパッケージ化するための部屋だった空間である。隣接するメインスタジオの様子も一面に広がるガラス越しにモニタリングすることができる。
先ほどよりさらに薄暗い部屋の中央には、メインスタジオで使用しているものと同じ小型スピーカーが1台と、それを挟んで2台のブラウン管テレビが設置されている。(ブラウン管テレビはPVM-9040。スタジオ設立当時に業界標準だった映像モニターである。)会場の音の一部が抜き取られて室内に響き、テレビ画面には、メインスタジオで鑑賞する人々がリアルタイムで映る。
かつてのコントロールルームには、中央に1台のモニタとそれを挟むよう2台の大型スピーカーが設置されていたが、あえて逆の構図になっている。歴史への敬意をもって制作されたメインスタジオの音響作品とは対照的に、隣合うコントロール・ルームに対しては、流通重視の音楽産業への皮肉を込めてevalaはこう言う。
「メインスタジオの立体音響作品は、この空間だから起こり得る音の現象であり、従来のCDのようにパッケージにしてアーカイブすることは不可能。それに、人間には目も耳も2つあるのに、目で見るモニターはひとつであって、いつも耳だけが2という数字、L/Rというフォーマットに囚われている。だから『アーカイブできないよ』というステートメントをこめて、目に該当するモニターを2つ、耳に該当するスピーカーをひとつにして、目と耳を逆にしている。」
『Sprout』はどのように生まれたか
完成した作品をみると、あたかも最初からそう計画していたように思ってしまうが、何が出来上がるかはevalaすらも分かっていなかった。スケジュールで見ると、最初に旧Bunkamura Studioを訪れたのは2024年の2月上旬で、3月1日から制作チームで現場入りし、約2週間ほぼ滞在制作のようなスタイルで『Sprout』をつくりあげた。
展覧会後に、改めてevalaと作品制作について振り返った。
ー2週間の制作期間は、試行錯誤の日々でしたね。
「今回は難産でした。」
ースピーカーをすべて床置きにしたことが特徴的だったと思います。「天井から音が降ってくる」ような体験なのに、それが床置きのスピーカーからの音だったことに皆驚いてました。
「天井にスピーカーが隠されていないかと探す人もいたよね。僕の音の創作はもちろんあるけど、Bunkamura Studioの音響建築がすばらしかった。天井が高くて、床からの音が空間を舞い広がるような音響反射になる。このスタジオを設計した会社の方が作品を体験しにきてくれた時に聞いた話だけど、床に近い場所で演奏する楽器の音が、気持ちよく響くようにこだわった設計になっているそうで、なるほどなと。」
ースピーカーを床置きにするアイデアは、最初から持ってましたか?
「会場でスピーカーを吊ることが難しかったから、制約からはじまったと言う方が適切かな。展示の話をもらった時、スタジオとしては閉鎖されたとはいえ、何かしらの機材やケーブルは残っているだろうと思っていたよね。でもいざ現地調査にいってみたら、機材も何もかもがなくなっていて、そこはがらんどうの”void空間”だった。」
ー椅子や机がいくつかあるくらいでしたね。
「そもそもがレコーディングスタジオであり、アート作品を展示するための場所ではないので施工面の制約が多かった。
スピーカーを吊れないからといって、アコースティックな演奏や歌唱が行われてきたこの場所に、スタンドを立てて仰々しいエレクトロニクスを持ち込みたくはなかったから、じゃあ演奏者に見立てたスピーカーを床に置いて実験してみようと。スタジオ設計の解説を聞いた今となっては、現地調査で感じた音の反響から床置きが良さそうだと、直感していたのかな。」
ー制作現場に入る前の企画書には、”小型スピーカー、草木のように大量に床に設置”、とだけ書いてありましたね。
「作品制作の多くは、コンセプトを定めて、設計をして、機材配置やシステムをあらかじめ決めてから現場に入ると思うけれど、今回は制作時間もあったから、プランニングなしでいこうと覚悟をきめた。」
「Bunkamura Studioは使用したこともあったし、数々の名盤が生まれてきた場所。その空間に敬意をもったとき、すでに別の場所でつくった自分の作品を持ってくるのは何か違う。ホワイトキューブならまだしも、特性のある場所を自分色に染めてしまおうとするのではなく、その空間と対峙して、音を投げかけて、返ってくる未知なものと遊んでみたいと思った。」
ーだいぶ時間をかけて手探りしていたという印象を持っています。「今回は難産だった」とも仰っていますが、どのタイミングから作品のかたちが見えてきましたか?
「最初は、自分でもいまいちどこに向かっているのか分からなかった。その意味でも実験的だったんだけど、使えそうな機材や音具をとにかくたくさん持ち込んで色々試し続けている最中にもかかわらず、作品タイトル提出の締切日になってしまった。
そんな中、現場に向かうタクシーの中で、ぱっと「Sprout/Sp out」という作品の中核が思い浮かんだ。それは机上のコンセプトではなく、物理的なスピーカー配置と音響システムから、どんな音を空間的に作曲するかまでがぴたっとはまって、僕の中で方向性が見えた。そこまでみえたら、後は作品化するだけだった。」
ー制作期間の折り返し地点の頃でしたね。
「そこからケーブルを”いけばな”にするアイデアも生まれ、照明もスタジオ既存の照明のみに絞るなど、目に見えるところも徐々にかたちづくられていった。反響面も変わってくるから、目に見えるところを先に仕上げて、最後に改めてひとりで空間と向き合い作品を仕上げていった。」
空間の音=空気振動を作曲する
ー『Sprout』もそうでしたが、evalaさんの制作現場には、ひとりきりで音と向き合う”孤独タイム”が常にあるように思います。
「音の作品と一口に言っても、僕が作品にしているのは楽譜や図面に記述できない『空間の音』であり、言い換えると『空気振動』を作っているとも言える。だから、ある場所で設計した空気振動を、別の場所で再現しようとするのは物理的にも技術的にも不可能に近い。
すでに発表した作品だったとしても、インストールする空間の響き方を身体で感じながら、作曲しなおす時間がどうしても必要。制作時間が限られている舞台現場であっても、その空間に合わせた音の調整をするための時間をできる限りとれるようにしてもらっている。」
ー制作クレジットに表記される役割でいうと、「音楽」だけでなく「音響」も担うということですよね。
「楽譜をつくる『作曲』と、それを空間の中で奏でる『演奏』の2つの役割で音楽が成り立つように、立体音響作品でも『作曲』と『音響エンジニアリング』、つまり『構造を考える人』=音楽と『空気振動として届ける人』=音響という役割に分かれている。
だけど、音響エンジニアリングは作曲したものを均一に届ける役割にとどまりがちで、もっと自由に演奏をするような広がりが大切だと思っている。だから役割分担やプロセスは飛び越えてしまって、音も響きも空間まるごと作曲する。そこに境目をつくらないことが音の可能性を広げていく。」
ーそのアプローチが、evalaさんの提唱している『空間的作曲』ということなのでしょうか?
「そういうことではあるけど、『空間的作曲』は、きわめて『音響創作』に近い意味合いでつかっている。僕の場合の創作とは、立体音響を用いて現実空間を忠実に再現しようとすることではなく、フィクションの音響空間をつくること。どこかで聞いたことのあるような音を、現実ではありえない運動や反射で奏でていく。それは楽譜には記譜できないもので、どう記譜していくかは自分の大きな課題だけども、そこが特徴的なんだと思う。」
ー音の響きでつくるフィクション。なるほど。
「まるで音から映像を視ているような」
ー2023年の年末まで、NTTインターコミュニケーション・センター(以下ICC)で『大きな耳をもったキツネ』が再展示されていました。この作品も『Sprout』と同じように、作品空間の中で作曲されたのでしょうか?
「『大きな耳をもったキツネ』は、機材設営も含めて大体一ヶ月くらい、無響室と1対1でじっくり向き合って制作した作品。それまでも色々な場所で作品は制作していたけれど、これが初めてのひとりきりでの滞在制作だった。
京丹後のレコーディングデータとサウンドアーティスト鈴木昭男さんの演奏データをものすごく大量に持ち込み、無響室で鳴らして、どう返ってくるかをひとつひとつ聞くところから制作を始めたかな。」
ー滞在制作に入る前のフィールドレコーディングでは、「この音をとってこよう」という目的はあったのでしょうか?
「レコーディング時には作品の青写真を持たないことが大事。赤ちゃんの耳に戻って、気になった音をあれもこれもと思うままに集めていた。
ファイルの連番がばーっとある中で、このへんにしようかなと、直感でランダムに選んで再生して、この無響室空間での音を耳で確認する。もちろん時間的にもすべてを聞くのは難しいほどの膨大なデータ量だから、一ヶ月の制作期間中でも氷山の一角しか聞いていない。レコーディングしたことすら忘れている音もたくさんあると思う。」
「そうやって時間も空間も異なるものたちを混ぜ合わせて架空の故郷をつくっていった結果、真っ暗闇の中でひとりきりで体験する作品になった。その頃はまだ『See by Your Ears』という看板を掲げていなかったけれど、体験した人たちが『まるで音から映像を視ているよう』と言ってくれて、この作品が今の活動の原点になっている。」
「このスタイルの無響室作品はその後も作り続けて、他の場所でも展示するために、移動式無響室を開発して美術館に空間ごと持ち運んだり、たくさんの人に体験してもらえる劇場型の作品《Sea, See, She―まだ見ぬ君へ》をつくったりと、See by Your Earsの活動初期は『大きな耳をもったキツネ』の発展型を模索していた。
当時は、いろいろな要素を削って削って、音だけにした時に初めて到達できるものがあると思っていたし、無限に何かを生みだすものだと思っていた。」
耳からのイマジネーションで感覚をひらく
ー活動の原点となる『大きな耳をもったキツネ』は、自分がどこにいるのかも不確かになるような暗闇の無響室で視界を奪い、耳に集中せざるを得ない状況で半ば強制的に開眼させるドS的作品のように思います。一方で最新作の『Sprout』は、作品内での過ごし方も、入退場も鑑賞者それぞれに委ねられていますよね。なぜ鑑賞スタイルが変化していったのでしょうか?
「それは加齢です。というのは冗談で(笑)、実は初期のスタイルは、ドSにみえて優しいアプローチだったりする。ひとりきりの空間にしてあげて、真っ暗闇にして周囲の情報をなくしてあげて、それぞれの内側から浮かびあがってくるイマジネーションを、丁寧に引き出していく。
ただ8-9年くらい前、無響室作品を移動式にして京都で展示した時に、音響マッド・サイエンティストと呼ばれるエンジニアの宇都宮泰さんが訪ねてきてくれたことがあった。『今はリアルタイムでこんなことが出来るんだね』と褒めてもらった一方で、『技術が進めば進むほど、人は不自由になってしまうこともある』という一言ももらって、それがずっと引っかかっていた。
がちがちに立体音響システムを組んで、ここに座ってとスイートスポットを限定する。そのおかげで音響体験の濃度は上がっていく。けれど一方で、そのピンポイントだけに人間の身体を詰め込んでしまってることも忘れてはいけない。」
ー『Sprout』は、いわゆる「スイートスポット」がない音響空間のように感じました。どこを歩いていても、立体的に音が聴こえてくる。場所によって響きも違うので、歩きながら音を探すような楽しさもありました。
「ようやく、閉じ込め型の作品と同じような鮮度と濃度を保ったまま、オープンな場所や不特定多数が行き来する場所で作品が実現できるようになってきた。成長といえば聞こえはいいけど、10年かかってようやく出来るようになったと言う方が近いかもしれない。
もちろん茶室で特別な時間をすごすような無響室シリーズは継続していくけど、建築様式はオープンでもクローズでもどちらでもよくて、根っこには共通して、目でなく耳からのイマジネーションによって感覚をひらいてあげたい想いがある。はじめは周りの目が気になってしまうけど、段々と作品に没入していって、歩きまわったり座り込んだりしながら一人の世界に夢中になっている鑑賞者の様子を見ると、よしっ、と嬉しくなるよ。」
ー2024年の冬には、ICCで個展を予定していますね。例年の2倍のスペースをつかった大規模展示です。現在どのような構想を持っているでしょうか?
「建築家でいえば僕の年齢は若造だから(笑)、今までの作品を並べる回顧展のような形にするのはまだ早い。 ICCは先駆的なメディア・アートの美術館であり、See by Your Earsの原点ともなった場所。いつもどおり空間に向きあって、音だからできることをとことん突き詰めていきたいね。」
INFORMATION
「evala: See by Your Ears」展(仮称)
会期:2024年12月14日(土)—2025年3月9日(日)
会場:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
*詳細は後日発表
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