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2018.08.31
廃墟だらけの街がネクスト・ベルリンに? Athens Digital Art Festivalから読み解くアテネ事情。
TEXT BY SAKI HIBINO
未曾有の経済危機と貧困の最中にあるアテネがいま、“Next Berlin"とささやかれ始めている。安価な賃料とユニークな文化に引き寄せられた若いアーティストが世界から集結しているのだ。2017年には、世界有数の国際現代美術展Documentaが「Learning from Atens」というテーマを掲げ、1955年の創業以来初めて、ドイツのカッセル市外にアテネを共同開催地に選んだことで再び注目を集めたアテネ。
今回は、アテネで13年の歴史を誇るデジタルアートの祭典「Athens Digital Art Festival」をレポート。混乱の渦中から生まれる知の可能性について考察する。
歴史と混乱が共存する、現代のディストピア
2010年、ギリシャに訪れた深刻な経済危機から、EUと国際通貨基金(IMF)が数十億ユーロを投じたギリシャ救済から8年。緊縮財政政策の発動、若者の失業率が半数近くまで昇るなど、貧困の状況はEUの中でも深刻なレベルが続いている国・ギリシャ。近年は、排外主義の台頭や難民問題などに揺れている。
その首都・アテネに筆者が初めて訪れたのは2017年6月のこと。国際現代美術展「Documenta 14」に足を運ぶためであった。最古の都市のひとつであり、芸術や学問、哲学もここから生まれ、西洋文明や民主主義の発祥地とも言われているアテネ。市内の中心地シンタグマ広場からは、アクロポリスの遺跡やパルテノン神殿など、古代の歴史を眺めることができる。皮肉にも偉大な歴史の配下には、崩れ落ちた落書きだらけの空きビルの波、ストリートに溢れるジャンキー、職を失い無気力な中年男性、スリをする子供たちという現状が広がっている。
過疎化により、廃墟と化した人家が増発する田舎の光景は見たことがあるが、つい先日まで栄えていた大都市から人がいなくなりゴーストタウンと化す現象を目の当たりにするのは初めてだった。その光景はまるでディストピアのようで脳裏に深く刻みついた。
Documentaの会場の一つであったアテネの美術学校に訪れた時のこと。
殺伐とした退廃的な街を象徴するかのような構内のあちこちにはDocumentaに対する地元若手アーティストの反発が刻まれている。それらは、北ヨーロッパから持ち込まれた過去の侵略の歴史、ギリシャの経済破綻に対する措置をめぐるドイツとギリシャ間の溝になぞらえられている。
国際展に対してほとんど見られることのないこの様な意志の露出は、紛れもなくアテネのDocumentaを構成する重要な要素のひとつと言えよう。
アテネでは国の財政破綻に伴い、増税・年金改革・公務員改革・公共投資削減などの緊縮財政政策が発動され、ピーク時には若者の失業率が50%に達する事態に陥った。生活苦による自殺率・ドラッグ中毒者の増加という悲惨な現状に対し、多くの若者が職を求め国外に出ている。近年ではシリアからの難民問題も深刻化している。ドイツをはじめとし、北ヨーロッパを目指す難民の中継地点であるアテネ。各ヨーロッパの国々が難民の規制を厳しくしたことにより、行き場をなくした難民がアテネにそのまま住み着きはじめ、その数は年々増加している。
廃墟のストリートから生まれたカルチャーゾーン
そのような問題を抱える一方で、安価な空きスペースに目をつけた若いアーティストやクリエイターたちは、草の根的に実験的な活動をはじめている。Documentaと並び、この時は地元の若手アーティストが主体となって、市民と協力して作り上げたアテネビエンナーレが開催されていた。
廃墟が並び、治安が悪い地区がほとんどだが、歩いていると不思議と体温の高いエリアが随所に現れる。
活気があるエリアだなと思い、地元のアーティストに聞いてみたところ、Exarchiaと呼ばれるそのエリアは、アーティストや若者が集うエリアで、15年前のベルリン・クロイツベルク地区とも呼ばれるHotスポットらしい。
都市は自生している。人の希望が強いエナジーを都市に与えて、育っていく。この街の抱えるカオスな今とこれからのポテンシャルが非常に強い印象を与えていたのもあり、アテネを取材したいとずっと思っていた。そして、2018年5月、再びアテネに降り立った。
アテネと世界をメディアアートでつなぐ
「アテネのメディアアート」というイメージは正直なところなかったのだが、今回訪れたAthens Digital Festivalは14年の歴史を持つ、メディアアートのフェスティバルとして、ヨーロッパの中でも地位を築きはじめている。2005年にビデオアートの熱狂的愛好家であった若者、Ilias Chatzichristodoulouがイニシアティブをとり、ビデオアート、インスタレーション、ライブパフォーマンスのプラットフォームを提供する意向で設立された「Athens Video Art Festival」がその前進だ。
14年という時間の中でフェスティバルは徐々に進化し、より多くの芸術形態を取り入れたテクノロジーとデジタル文化の創造的側面を探求し続けている。アンダーグラウンドであったVideo Art Festivalから飛躍的成長を遂げ、今では世界中で活躍する気鋭のアーティストを招待するフェスティバルとなっている。
ギリシャ神話から読み解くシンギュラリティ
2018年のADAFのテーマは「Singularity Now」。フェスティバルキュレーターのElli-Anna Peristeraki(エリ・アンナ・ペリステラキ)に今年のテーマについて聞いた。
「イベントホライズン(事象の地平面 - 重力が非常に強く曲げられ、光でさえも脱出不可能とされるブラックホールの表面)から着想を得て生まれたテーマです。
Singularityとは、科学の様々な分野において異なる定義を持つ概念です。数学では、関数や方程式が無限に向かって縮退または分岐し、性質を変えて定義することが不可能になる点です。物理学では、ブラックホールの核心であり、ビッグバン直前の状態であり、すべてがゼロ次元で圧縮され、密度が無限大である時空のゼロ点です」
「技術においては、人工知能が人類を超えているシナリオを指し、その結果は予測できません。Singularityは概念としては無限かつ未知のものであり、宇宙の始まりでもあり、物理的でコンセプチュアルなものですが、芸術や技術にどのように結びついているのかは明らかではありません」
「今回のテーマにおいて、もう一つのインスピレーションはプラトンの神話と、フランスの哲学者 Bernard Stiegler (ベルナール・スティグレール)の「La Technique et le temps(技術と時間I - エピメテウスの過失)」から来ています。
すべての宇宙は時間の経過とともにその存在を開始し、時間の認識は創造と技術に結びついています。ギリシャ神話の中に出てくるプラトンの話になぞらえると、人類に火を提供したことにより、文明や技術の恩恵を人類は受け、そこから独自に創造をするといった創造主の行動をSingularityとして連想することができます。知性と専門性の両方を同時に象徴する火は、すべての「テクネ(ギリシャ語の技術)」の発展のための最初の媒体だったとも言えます。
Singularityと時間という道具の派生物として技術と芸術は、この世界の始まりを宣言しましたが、これは同時に終わりの可能性でもあります。Singularityの概念は、科学に根ざし、現代技術によるコメントと人道的なエッセンス=”芸術で詩を書く”ためのシステムを構築することにおいては、黄金のルールみたいなものであるとも言えるでしょう」
豪華アーティスト陣が説く「シンギュラリティの今」
今年は世界各国の4237名のアーティストからの応募から350作品が選ばれた。
今年のプログラムは、AI、ロボット工学などの科学的領域をメインに、SF、古代ギリシア神話、デジタル人類学も視野に入れ、総合的な議論が生まれるように構成されている。
AI研究のパイオニア、メモ・アクテン(バウバウ記事参照)から今をときめく売れっ子ビジュアルアートユニットNonotak(バウバウ記事参照)をはじめ、2017年に文化庁メディア芸術祭のアート部門大賞をとったRALF BAECKERなど。市民にとてっては"アートどころじゃない"混沌の地・アテネで、世界で活躍する豪華アーティスト陣の作品が一気に鑑賞できることに驚いた。紹介したい作品が多すぎるのだが、その中から数点を紹介する。
映像と彫刻の境界を追求するアーティスト、Peter William Holden(ピーター・ウィリアム・ホールデン)による「Arabesque」は、メアリー・シェリーのフランケンシュタインと錬金術のリサーチから発想を得たキネティックアート作品。人間の身体と同じサイズの人体部分で構成されたこれらの半透明の物体からは内部の配線、テクニカルなパーツなど人体組織とは対照的なロボットメカニズムが浮かび上がる。さまざまな角度から時間とともに変化する人間の型から作成された美しいパターンが、まるで万華鏡のように展開していく。
「Approximation Theory」は、視覚数学とデータ美学のリサーチプロジェクト。ウルグアイの数学者Felipe Cucker(フェリップ・クッカー)とスペインのソフトウェアアーティストHector Rodriguez (ヘクター・ロドリゲス)による写真と映像で構成された作品は、近似値の数学的な考えを視覚化させる。 彼らは数学的近似理論は、視覚芸術における抽象化と言うテーマに対しどう作用するか、その美学を感じることができる。
ロボット工学とパフォーマンスを研究するカナダのLouis-Philippe Demers(ルイス・フィリップ・デマーズ)+Bill Vorn(ビル・ボーン)のロボットパフォーマンスプロジェクト「Inferno」。ダンテの「神曲・時獄篇」、シンガポールにあるHaw Par Villaの地獄の十の法廷やその他の宗教上で表される地獄の表現からインスピレーションを得ている。鑑賞者が実際に作品を身体にインストールし、音楽に合わせてダンスするのだが、彼らの意思に反して、機械が人間の特定の動きを強制し、物理的反応を誘発する。私たちがテクノロジーと融合すればするほど、私たちは自身の喪失を体験することになる。80年代後半に現れたサイボーグの概念を思い起こさせる作品は、シンギュラリティと機械への従属というユートピア的概念を再考させる。
ロンドン・パリなどを拠点とするPatrick Tresset(パトリック・トレセット)による「Human Study #1 – 3RNP」は、人間が俳優になる劇場型ロボットインスタレーション。3体のロボットが、人間を描く光景は、人物画をスケッチする授業を連想させる。Tressetのアプローチは、ロボットの行動に芸術的、表現的、および強迫観念的な側面を導入し、アーティストがどのように作品を生み、鑑賞者が芸術作品をどのように認識するかというテーマを深掘りする。
ワークショップスペースでも多彩なアーティストがトークを繰り広げた。特に興味部かかったのは、スペインを拠点とし、腕に感覚的な拡張機能をインストールし、振動で地震を感じることができる能力を持つアヴァンギャルドなサイボーグアーティストMoon Ribas(ムーン・リバス)。種と技術の融合、サイバネティクスによる人間の感覚の拡張の概念からサイボーグと動物、自然、宇宙との関係を説き、過去100年で世界で起こった地震を音に変換した地球のパフォーマンスを披露した。
Dries Depoorter(ドリス・デポーター)は、社会的アイデンティティ、ビッグデータ共有、暗号化、オンラインプライバシーの保護の欠如などをて0間に、インターネット上で見つかる個人情報を組み立て、共有し、実験するデジタルアーティストだ。
Depoorterのワークショップは、参加者が持ってきた、本当に愛している人、または愛していない人の膨大な量のチャットデータをFacebookメッセンジャーまたはiMessageのデータに変換し、AIがアルゴリズムにそって新たな会話を構成するというもの。愛情レベルの異なる個人との間でやりとりされるメッセージを再構成することで自分という人格を再認識するという行為は遊び心に満ちている。
アナーキストと警官の暴動は絶えない
こんなにも豪華なフェスティバルで、一つだけ残念だったのは、地元市民の来場の少なさであった。一年前のドクメンタに比べたら、来場者は多く感じたものの、実際アテネのアートシーンはどうなっているのだろうか。
この記事の冒頭でも触れたExarchia地区は、今アテネで最も活気のある地区でもある。
落書きだらけの廃墟、ジャンキーがたむろするストリート、点在するアナキストの拠点やスクワット。治安が悪いエリアの一つでもあるが、近年、若者がバーやレストラン、ショップ、ギャラリーなどを開きはじめ、夜ともなれば多くの若者で賑わう人気のエリアだ。
この地区に住む地元の映像アーティストの友人に話を聞いた。「Exarchiaはクリエイターやアーティストにも人気のエリアで、地価も高騰している。私は100平米のフラットに住んでいるんだけど、家賃は380ユーロ。でも、引っ越したくて家を探してる。毎週土曜の深夜になると若者、アナーキストと警官が乱闘を始めるんだよね。深夜2時に催涙ガスの煙で号泣して眠れないのが悩み。でも、家を見つけるのは難しい」
こんなに廃墟があるのに、家を見つけるのが難しいの?と疑問に思った。
「このあたりの廃墟はね、人が住めるレベルじゃないの。持ち主は、自主的に建物を壊したり、リノベーションしたりするお金もないから、自然崩壊するのを待っている。そうしている間に、移民やジャンキーが住みついてるわけ。海外からも、安価なスペースに目をつけて、たくさんの人が移ってきているのもあって、住める住宅の家賃は上がっている。地元民にとっては今の価格でさえ払うのがやっと。海外からお金や人が入ってきて、シーンが盛り上がることはいいことだけど、地元民にとっては厳しい状況でもある」
EU圏内で比較的物価が安いと言われるベルリンでさえも、現在100平米のフラットの相場は約1000~1500ユーロ、物価はうなぎ登りだ。アテネは貧困、暴動、移民問題などの不安定要素は多々あれど、家賃相場はベルリンのさらに約3分の1程度で、数年前のベルリン・クロイツベルグのようにここからムーブメントが生まれていくというようなエネルギッシュなポテンシャルが混ざり合う独特のカオスに惹かれるアーティストも少なくはない。また海外のアーティストだけではなく、地元のアートコレクティブが運営するギャラリースペース3137を筆頭に、海外に出た地元の若手アーティストもアテネに戻ってきて、実験的な活動を行うケースが増えている。
アテネ出身アーティストのひとりを紹介しよう。ギャラリー「SECCMA Trust」、ファッションとアートレーベル「Serapis」を展開するアーティスト、キュレーター、デザイナー、ミュージシャンと多彩な顔を持つManolis Daskalakis-Lemos(マノリス・ダスカラキス・レモス)は、自身もパリのPalais de TokyoやニューヨークのNew Museumでの展示などで活躍する新進気鋭のアーティストである。
「アテネの美大を卒業後、ロンドンの美大に行って、その後パリやニューヨークで暮らしていました。一度はアテネから離れたけど、今、アテネは面白いと思うよ。このギャラリーは、以前はアナーキストが占拠していてすごく荒れ果てていたんだけど、半年以上かけて自分たちで改装したの。ピンクの壁がかわいいでしょ?
アテネは貿易で栄えた都市である分、移民や経済の問題の要になっているのも貿易。一方で、芸術をサポートする財団も海運関係の財閥が多くて、ギリシャのミノス文明時代から栄える海上貿易とアートシーンの歴史的関係を紐解き、現代アートの世界においてもボーダーを超えた発展を目指すという意味を込めて、自分のレーベル=架空の海洋芸術信託会社を作ったの」
未来は自分たちの手でつくる
最後にアテネビエンナーレ・フェスティバルのキュレーターElliに、現在のアテネにおけるデジタルアートシーンについて話を聞いた。
「アテネは芸術に関しても長い歴史がある都市ですが、アテネにおけるデジタルアートシーンは、ここ数十年間で普及してきた“若い”領域。でも、創造性は非常に優れています。アテネは矛盾に満ちた活気のある街です。人々は毎日、自分たちの生活を良くするために、サバイブしています。それは、アーティストの創作活動においても明らかで。彼らは生きる中で幸せや楽観的側面よりも、不況による生活苦、経済システムへの批判、移民問題など常に暗い側面を抱えているのです」
「アテネでのアートシーンが年々、規模を広げているのを見ると、この街の将来において私たちは希望しかありません。特にアートとサイエンスの分野では、さまざまな領域の知識のクロスセクションを促進し、非常に興味深く複雑な知識や芸術の融合が生まれています。アテネの人々は戦士であり、過酷な状況下で、私たちは常に自分の道を切り開いているのです」
CREDIT
- TEXT BY SAKI HIBINO
- ベルリン在住のエクスペリエンスデザイナー、プロジェクトマネージャー、ライター。Hasso-Plattner-Institut Design Thinking修了。デザイン・IT業界を経て、LINEにてエクペリエンスデザイナーとして勤務後、2017年に渡独。現在は、企画・ディレクション、プロジェクトマネージメント・執筆・コーディネーターなどとして、国境・領域を超え、様々なプロジェクトに携わる。愛する分野は、アート・音楽・身体表現などのカルチャー領域、デザイン、イノベーション領域。テクノロジーを掛け合わせた文化や都市形成に関心あり。プロの手相観としての顔も持つ。